第3話 侯爵閣下の条件

「……ぶぅ」


 母ハンナと共に街に繰り出し、よそ行きの服を何着か上から下までまとめて購入し、その足で化粧品店に向かい、簡単な化粧の方法を教わって一式を購入した。

 未だかつて、このメイヤー伯爵家で見たことのない金額が支払われていたのが、記憶によく残っている。普段の食卓に、肉が並ぶことさえ珍しい我が家だというのに。

 そして夕食は母特製のコース料理を出され、父ウィリアムが給仕に扮し、テーブルマナーを磨く場になった。少しでもマナーを怠ると飛んでくる母からの指摘に、もう味なんてほとんど分からなかった。

 結果――その全てを終えたアミルは、寝台に突っ伏していた。


「……どうして、こんなことに」


 今日も、いつもと変わらない毎日であったはずだった。

 アミルはゴーレムという新しい労働力で、メイヤー伯爵領に革命をもたらし、生産力を上げる――その目標の最中にいたはずだ。

 だというのに、何故か唐突に決まってしまった結婚。

 母は結婚までの向こう半年、アミルを鍛え直すと言ったのだ。


 半年間、アミルには自由がない――そう言ってもいいだろう。


「わたしは、ゴーレムの研究をしたいだけなのに……」


 頭の中には、数多のビジョンがある。

 領民たちから話を聞いて、どんな機能があれば農作業に役立つか、どんなゴーレムであれば今後の領地繁栄に繋がるか、これから色々と作っていくつもりだった。

 だというのに今日、アミルはひたすら服を着て、化粧をして、マナーを学ぶという一日だった。まるで、普通の貴族令嬢みたいに。


「はぁ……」


 領地でゴーレムを動かしているのは、興味半分実益半分というのが本音だ。

 領民たちにゴーレムの有用性を分かってもらい、その上で両親を納得させ、アミルが真剣にゴーレムの研究をできる日々を作る――そのために、根回ししてきたのだ。

 三年間やってきた研究――それを、結婚のために失うなんて、絶対に嫌だ。


「……」


 三日後。

 エルスタット伯爵がやってくるのは、三日後の朝――同じ時刻だと言っていたから、恐らく十一時だろう。

 そのとき、アミルも同席するようにと、そう言っていた。

 恐らく、結婚について詳しいことを言われるのだと思うけれど――。


「……決めました」


 メイヤー伯爵家にとって、この縁談は喜ばしいものだ。

 だけれどアミルからすれば、自由も何もない未来しかない。こんな結婚、したくない。

 だったら、簡単な話だ。


「……断ります」


 両親は失望するかもしれない。

 だけれど、それ以上の結果を出してみせよう。

 そうすればきっと、アミルもまたのびのびと研究を続けることができるはずだ――。













「改めまして、レオンハルト・エルスタットと申します」


「アミル・メイヤーです。本日は、遠いところをありがとうございます」


 三日間は、瞬く間に過ぎていった。

 当然この三日間、アミルはひたすらマナーと化粧について母から仕込まれ続けた。母ハンナも一応は貴族家の妻であり、マナーに関しては詳しく、アミルの知らなかったことを多く教えてくれた。

 だが、それ以上にアミルは不満が溜まっていた。ゴーレムの研究をもっとやりたいのに、と。


「体調の方は大丈夫ですか?」


「はい。ご心配をおかけしたようで、申し訳ありません」


「いえ、突然訪れたのはこちらですから。それで、用件なのですが……」


「はい」


 内容は、アミルも分かっている。

 今回の訪れは、あくまでアミル本人に話をするだけのことであり、既に決まっていることなのだ。ハンナ曰く半年程度で結婚することになるだろう。


「アミル・メイヤーさん。僕と結婚して、エルスタット侯爵家に入っていただきたい」


「……話は伺っていましたが、何故わたしを?」


「そのあたりは、色々と事情があるのですが……」


 ちらり、とレオンハルトがアミルの左右――ウィリアム、ハンナの両名を見る。

 そして目を細め、笑みを浮かべて。


「ご息女と二人で話をしたいのですが、少し外してもらってもよろしいですか?」


「……そ、それは」


「彼女にだけ、話せることです。ひとまず、外してください」


「……」


 ウィリアムとハンナが目を合わせ、それぞれ立ち上がる。

 これは要請ではなく命令。高位の貴族が命じたことに、逆らうことなどできない。

 だけれど、そう命じてまでアミルと二人になりたいというのは――。


「それでは、失礼します」


「ええ」


 応接室から、出ていくウィリアムとハンナ。

 それを見送り、扉が閉まったのを確認して、レオンハルトは小さく溜息を吐いた。


「いきなり、すみません」


「ええ、わたしは問題ありません。ただ、ここは割と壁が薄いので、その声だと多分外にいるお父様とお母様に聞こえると思います」


「……忠告、ありがとうございます。では少し、声を抑えて話させてもらいます」


 ぐっ、と前に屈んで、アミルへと近付いてくるレオンハルト。

 少し近付いただけで、アミルはその眩しさに目が眩みそうになった。美男子というのは、近くで見ると随分毒になるものだ。

 出来れば、観賞用に遠くに置いておきたい、というのが本音である。


「まず……アミル、と呼ばせていただいても?」


「はい。大丈夫です」


「では、僕のこともレオと。親しい者からはそう呼ばれています」


「……ええ、分かりました。レオ様」


「よろしくお願いします、アミル」


 にっこり、と微笑むレオンハルト。

 そして、その唇が紡いだのは――。


「まず、こちらの条件から話をさせていただきたいと思います」


「……条件?」


「ええ。エルスタット侯爵家からは、まずアミルの部屋を三つ、提供します。一つは寝泊まりに使ってください。一つは、光が一切入らない小部屋を用意してあります。研究や実験などは、そのお部屋で行ってもらえればと」


「……」


 思わぬ言葉に、アミルは目を見開く。

 それは、現在のアミルの環境でもある。一つは寝泊まりの部屋、もう一つは研究用の部屋――そこは、日光が入らないようにしている場所だ。

 何故、そのことを知っているのか――。


「触媒や魔術に関する道具は、侍女に言ってもらえればすぐに揃えます。どんな道具でも構いません。多少値が張ろうとも問題ありません。難しい素材などは、出入りの商人がおりますので、そちらに依頼してもらえれば構いません。そして三つ目の部屋ですが、それなりに大きい広間を用意しました。実験や研究を行うための素体など、倉庫として活用してください」


「……」


「食事は三食、お部屋に届けます。また夜会などに招かれたりもしますが、基本的には出席しなくて構いません。王家の関わるものだけは夫婦での出席が強要されますので、それだけはお願いします。あとは……」


「ちょ、ちょっと、待って、ください……」


 あまりにも意味が分からない状況に、アミルはそうレオンハルトの言葉を止める。

 侯爵に対して無礼かもしれないけれど、そんなことを言っている場合ではない。何せ、アミルは聞きたいことが山ほどあるのだから。

 レオンハルトはそんなアミルに対して、にこりと微笑んだ。


「はい。ご質問などありましたら、どうぞ」


「え、ええと……」


「ええ」


 柔和に微笑むレオンハルト。

 無論、聞きたいことは山ほどある。何故そんな好条件なのかとか、何故アミルの部屋の間取りを知っているのかとか。

 だけれど、それ以上に。


「触媒や素材を、どんなものでも……?」


「はい。お金のことは心配しなくてもいいですよ。貴重な鉱石でも、魔物の素材でも、用意できます。ユニコーンの角とか、ドラゴンの鱗とか」


「――っ!!」


 ごくり、と喉が鳴る。

 アミルは今まで、限られた予算の中でゴーレムを作り続けてきた。この触媒があったらなぁ、でも高いしなぁ、と何度諦めたことか分からない。

 特に魔物の素材は、強力な魔物になるとそれこそ金貨で取引される貴重品だ。

 それが、いとも容易く手に入る――。


「さて、では次にそちらの条件ですが」


 結婚は断ろうと、そう考えていた。

 自由のなくなる夫婦生活など絶対に嫌だと、そう考えていた。

 だけれど、レオンハルトの出してくる条件は――。


「結婚して、僕のためにゴーレムを作ってください」


「はい」


 迷いもなく、アミルはそう頷いた。

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