第2話 突然の縁談

 エルスタット侯爵家。

 それは、貧乏貴族家の一人娘でしかないアミルでさえ、何度となく聞いてきた有名な家だ。


 元々は子爵家という家格の低い家柄だったにもかかわらず、十五年ほど前から生産業に舵を切り、大成功をおさめた貴族家である。

 最早庶民の家でも、各家庭に一つは存在する冷蔵庫。それに火の魔石を用いた料理用コンロやオーブン、水の魔石を用いた水道や洗濯機、水洗トイレといった生活設備――その全てを開発、普及させたのが当時のエルスタット子爵家であり、その功績により伯爵位を叙爵されたのだとか。

 現在でもエルスタット印の製品は非常に多く、アミルが先ほど食べたシリアルなど、食品関連でも様々な新しいものを提供してくれている。その内容は食品のみに留まらず、文具や工具に至るまで様々だそうだ。

 そして一年ほど前に、様々な生産業における功績を国王より讃えられ、最も新しい侯爵家として叙爵されたと聞いたが――。


「は、はじめまして。アミル・メイヤーと申します」


「はじめまして。僕はレオンハルト・エルスタットと申します。体調不良でお会いできないと仰っていましたので、このまま帰ろうかと思っていたのですが……体調は大丈夫ですか?」


「え……」


 さすがに、その嘘はどうなんだ――そうウィリアムの方をちらりと見る。

 ウィリアムの方は引きつったような笑みを浮かべながら、内心では恐らく汗がだらだら流れていることだろう。


「い、いや、アミル。ま、まだ病み上がりだし、も、もう少し休んでおいた方が、いいんじゃないか?」


「……」


「そ、そうね。いや、ほんとに、侯爵閣下の前で、こんな寝間着姿で恥ずかしいわ。お話をするにしても、もっとちゃんとした服に着替えないと。おほほ……」


「……」


 作業着として使っている、麻の上下。

 これが、アミルの普段着である。そしてちょっと外に出るくらいならこの服で出ているし、よそ行きの服など持っていない。夜会に出るためのドレスは一着だけあるけれど、さすがにドレスを毎日着ているというのは不自然ではなかろうか。

 というか、何故エルスタット侯爵が、アミルに用なのだろう。

 その意味が分からず、じっとこちらを見据える彼――レオンハルトを見る。


「なるほど……いえ、病み上がりということでしたら、また日を改めさせていただきます。こちらも突然の訪問でしたし、急ぐものでもありませんので」


「そ、そうですか……?」


「ええ。ひとまず三日後にもう一度、この時間に来ます。その際には是非、建設的なお話をさせていただければと。ご息女の予定は大丈夫ですか?」


「え、ええ! 大丈夫です! 何もありません!」


「分かりました。では、三日後に」


「え、ええ……」


 すっ、と一礼をして踵を返す男――レオンハルト。

 その所作の一つ一つも、高位の貴族として品があるものだった。だというのに物腰は柔らかく、人の好さが滲み出ている。

 あまりにも意味の分からない邂逅に、アミルは首を傾げ。

 ウィリアムとハンナは慌てながら扉を開き、レオンハルトを見送っていた。














「お前の縁談だ、アミル」


「…………………………はい?」


 レオンハルト侯爵令息をお見送りしてから、応接間――そこにアミルは呼ばれた。本来、来客をもてなすための部屋だというのに。

 そして正面のソファに両親が座り、発された謎の言葉。

 縁談。


「いや、わしも驚いたんだが……レオンハルト様が、今朝突然いらっしゃってな……」


「さすがに侯爵閣下とはいえ、先触れがないというのは……」


「エルスタット侯爵家からすれば、我が家など木っ端の貴族家に過ぎん。先触れというのは、同格と考える相手に対してするもの。我が家にエルスタット侯爵の来訪があるならば、他の全ての予定を後回しにして対応するのが当然のことだ」


「……はぁ、そうなのですか」


「だが……その内容が、驚きのものでな……」


 はぁぁ、と大きく溜息を吐くウィリアム。

 その隣で、頭を抱えているハンナ。

 そして、縁談という謎ワード。


「レオンハルト様が、お前を……アミルを、妻として迎え入れたいと、そう仰せだ」


「……はい?」


「言葉通り、お前の縁談だ。レオンハルト様の、ひいてはエルスタット侯爵の妻として、お前を娶りたいと言ってきた」


「……何故ですか?」


「……そんなもの、こっちが聞きたいわ」


 アミルの疑問に対して、そう項垂れるウィリアム。


「いきなりやって来て、ご息女はおられますか? ああ、僕はレオンハルト・エルスタットと申します、とか言われてわし、どうすればいいか本気で分からなかったぞ……」


「しかも用件が、よろしければご息女を、エルスタット侯爵家の妻として迎え入れたいのです、とか言われたのよ……もう、いきなりすぎて何が何だか……」


「お前、どこかでエルスタット侯爵家と繋がりがあったのか? 学院とかで」


「いえ、全く」


 三年間の学院生活を思い出しても、ほぼ研究と勉強漬けだったアミルだ。

 同級生を思い出しても、エルスタット侯爵家に繋がる相手はいなかった。それに何よりアミルは友達がいなかったため、横の繋がりも全くない。

 せいぜい、土魔術の講師とは仲良くなったけれど、それくらいだ。


「じゃあ、何故お前を、エルスタット侯爵家がご指名なのだ……?」


「いや、ですからわたしも、何故と聞いたのですが……」


「ああ、分からん……だがとにかく、三日後、改めてレオンハルト様がそういう話をなさるだろう。今度はお前も同席だ、アミル」


「……参考までに聞きますが、拒否権は」


「ない」


 ウィリアムのそんな言葉に、アミルは肩を落とす。

 それも当然だ。相手は王国内でも超有名な侯爵家。比べ、こちらは吹けば飛びそうな貧乏伯爵家。

 そんなエルスタット侯爵家が、アミルを妻にと指名してきたのだ。

 高位貴族からのご指名であるならば、それを拒否することなどできない。

 つまり実質、アミルがエルスタット侯爵家に嫁入りすることは、決まったようなものだ。


「……三日後、ですか」


「ああ。だがとりあえず、街の方にハンナと一緒に買い物に行け。出来合いのものでいいから、侯爵閣下の前に立てるまともな服を買ってこい」


「え、わたしのですか?」


「当然だろう。お前が持っているのは、作業着とドレス一着だけだ。そんなものを着て、エルスタット侯爵閣下とお会いするつもりか?」


「……」


 確かに、ウィリアムの言う通りである。

 貴族らしい、よそ行きの服などアミルは持ち合わせていない。そんな服を買う金があるなら、ゴーレムを作るための触媒を買うのがアミルだ。

 以前にウィリアムから「服を買ってこい」と渡された金で、全力でゴーレムの触媒を買ってきた前科もある。


「……はい、分かりました」


「その後は、アミル……お化粧のやり方を覚えてもらうよ。その次は、テーブルマナーだ。とことん仕込んでいくから、覚悟しな」


 次に、無理難題を言ってくるのは母ハンナ。


「何故ですか」


「あんたが嫁に行くなんて思ってなかったから、今まで放っておいたけどね……侯爵家に嫁ぐってことは、相応の品性とマナーが求められる。あんたのマナーがなってないせいで、笑われるのは侯爵家なんだ。人前に立てるだけのマナーは仕込んでいくよ」


「え……」


「これからは、規則正しい生活を送ってもらう。しっかり、テーブルマナーを学べるように食事を用意するよ。結婚まで……まぁ半年はあるだろうから、それまでの間、勉強の毎日になるから覚悟しときな」


「……」


 ハンナの言葉に、アミルは絶望すら覚えていた。

 朝起きて、ゴーレムの研究をして、食事をして、ゴーレムの研究をして、昼寝して、ゴーレムの研究をして、眠る。

 そんな毎日が続いていた、アミルの楽園。


 それが今日――学院の卒業からたったの半年で、崩壊した。

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