第11話 伝説を試すなかれ

(腕時計は……外してリュックの中に仕舞ったっけ)

 携帯端末を頭の近くに置いていたはず。丸森はそこに手を伸ばしかけて、「あ、先に動画撮影を終了させなくっちゃな」と声に出した。多岡の了解を得なくても、夜が明けたのだからもうよかろう。

 丸森は立ち上がると、主に多岡の方に向けられている携帯端末のそばまで行き、取り上げて撮影を終了させた。ついでに時刻を見ると、八時八分だと分かる。漠然と感じていたよりも寝坊しているが、末広がりで縁起がいい、と思うことにする。

「撮影はできてるようだ。先に見たいけど、勝手に見たら起こるだろうな」

 また独り言を言って、丸森は多岡の方へ歩いた。真上を向いた姿勢のまま、行儀よく眠っていると表現できよう。そこそこ物音を立てている割に、多岡に起き出す気配はない。

「多岡さん、起きてください。朝です」

 声を少し張り、呼び掛ける。しかしそれでも多岡に反応は見られなかった。

「先輩、お疲れかもしれませんが、八時過ぎですよ。そろそろ動き始めないと」

 丸森が膝をつき、多岡の肩口に手でちょんと触れる。

 その瞬間、猛烈な違和感を覚えた丸森。日常生活では触れたことのない、ある種異様な感覚。

(――この人はこんなに冷たくなかった)

 服の布地越しではあったが、それでもはっきりと分かった。多岡の肌体温がいつもに比べて、相当に低い。もしや、病気?

 慌て気味にそのまま肩を揺さぶった。だが、丸森の期待に反し、多岡からの反応はない。

「多岡さん!」

 耳元で声を張ったが、結果は同じ。その間、ずっと揺さぶり続けていた。やがて多岡の顔ががくりと横を向いた。力なく、しかし中途半端な位置で止まった頭部。あとから思い返せば、これは死後硬直のせいだったと推測できるのだが、この時点での丸森は、多岡と目が合ったような気がして(無論、多岡はまぶたを閉じたままであるのだが)、怖気を振るった。

「ひ」

 瞬間的に腰を上げ、後ずさりをする。が、バランスを崩して尻餅をついた。

「た、多岡さん……まさか、本当に死んじゃ……いませんよね?」

 冗談だ、達の悪いたずらだと言ってくれるのを期待するかのような口ぶりになった。しかし、依然として先輩からの応答は皆無だった。

 多岡の脳裏に、「人工呼吸と心臓マッサージをしてみたら息を吹き返すんじゃないか」という思いが、頭をよぎる。そのすぐあとで、「いやあの冷たさは普通じゃない、もう亡くなっている」とも思う。考える時間をほんの少し取り、丸森は判断を下そうとした。余計なことをせずに、警察や救急に通報するべき。いや、形だけでも人工呼吸をしておけ。していないと分かったら、あとで何を言われるか知れたものじゃない――このような思考をすること自体、丸森がすでに多岡の生命に関してはあきらめの心境になっている証だった。

 丸森はふと思い出して、携帯端末を手に取った。横たわった多岡に背を向け、操作を試みる。

「だめか」

 依然としてつながらない。丸森は肩越しに多岡を振り返り、ほとんど反射的に尋ねていた。

「冗談で言ってたはずなのに。どちらかが死んだら、生き残った方が通報する。電話やネットが通じないか、通じたとしても時間が掛かりそうであれば、遺体の温度がなるべく上がらないようにしてから、小屋を離れて助けを求めに行く……だったけど、そ実際にそうなってみたら、簡単には置いて行けませんて、先輩」

 丸森は再び多岡と目が合った錯覚に陥った。行くな、行かないでくれ、助けてくれと懇願されている映像すら脳裏に浮かぶ。

 立ち上がった丸森は、少しだけ多岡へと歩み寄ってから、ぶるぶると首を横に振った。自分の精神状態が頼りにならなくなってきているのが、どうにか自覚できた。

「しょうがない。多岡先輩、少しだけですよ」

 独り言めいた返事をすると、丸森は多岡の身体の左サイドに周り、膝立ちした。心臓マッサージと人工呼吸を交互にやってみよう。これで自分自身の気が済むのなら、心の安寧のためにやるべきに違いない。


 ~ ~ ~


 カラオケボックスの一室で、僕らは一切唱わず、依頼者の語る話に聞き入っていた。

「――と、日記の内容は、だいたいこんな感じだった」

 密室怪異収集家の杠葉和英ゆずりはかずひでと名乗った男性は、ルーズリーフ型のノートをパタリと閉じた。コピーをくれる気配は今のところない。

 顔は丸いが身体はスマートという、ちょっとこけしを連想させるフォルムの人だ。童顔の外見からは年齢を推し量りにくいが、三十代半ばと見当づけた。オカルト研のOBだから、あとで調べれば分かるはず。

 怪我で“退場”した大西さんにそもそもの依頼をしてきたのが彼で、本業は小説家、ライターとのこと。割合は後者が七割ぐらいだという。ライターと言っても大物作家のための資料集めがメインで、怪異収集はその合間にやっているそうだ。

「丸森という人物がメモしていた日記、実物はないのですか」

 話の一区切りがついたと判断したのであろう、僕ら推理小説研究会を代表して、高松部長が尋ねた。

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