第3話 心臓が停まる部屋

「ええ、まあ」

 少なくとも刑事事件はと付け足そうかと思ったけれども、これまた突っ込まれると説明が長くなりそうなので飲み込んだ。

「だから今後も変な希望は持たないことだ。そういう心構えでいれば、今回のような話が持ち込まれたとき、期待していなかった反動で凄くやる気になるんじゃないか?」

「あれ? 大西さんという人が怪我をしたのなら、中止か延期ではないのですか。高松部長の今の言い方じゃあ、まだ終わっていないみたいなニュアンスを感じます」

「鋭いな。続行してほしいと依頼者自身から伝言をもらっている。そもそも大西は依頼人であって、当事者ではない。実体験した者は他にいて、その人物が大西を通じて我々にコンタクトしてきたんだ。だから、今日のところは話は進展しないが、つなぎはとっている。早ければ明日にも、詳しい話を聞けるだろう。何たって、密室が絡む怪異を主に収集してきた人で、実体験もいくつかしているというからな」

 高松部長は背もたれに身体を預けると、楽しみにしとけと言い足し、本日のクラブ活動は予定変更だと告げた。



1.心臓が止まる部屋

 言い伝えによると、その曰く付きのコテージは谷底のへんぴな場所にある。そこを目的地に定めるのは、物理的にも心理的にも厳しい。乗用車が通れるようなルートはないし、観光地としての魅力にも欠けるという訳だ。だからくだんのコテージに辿り着き、奇々怪々な体験をした者は不幸な偶然によって導かれた登山者か、自然災害発生でやむを得ず、利用した地元民くらいであったのだが。

 一晩を過ごした者が体調不良に襲われ、四割は死ぬという伝説が広まるにつれ、物好きな輩が出始める。といっても、多くの場合は場所の特定ができず、辿り着くことすら非常に難しい。悪くすると、正真正銘の遭難なんていう事態に陥った面々もいたほどだ。

 その点、多岡たおか丸森まるもりの二人組は、物見高い連中ではあったが幸運の持ち主でもあった。コテージの正確な位置を掴めないまま、だいたいこの辺だろうという情報のみで辿り着けたのだから。

「ここのようだ」

 うっすらと張り付いた乾いた土を払いのけると、玄関脇の看板には「アムネジア」とあるのが読み取れた。多岡の口元に笑みが広がる。多くの者がこのコテージを立ち去ると、どこにあったのかを忘れてしまう――そんな逸話があったからこそ、コテージは“健忘”を意味する名称をいただいたのか、それとも逆にこの名称であるが故に、多くの者は場所を忘れるのか。

「まじで来ちゃったって感じですね」

 丸森はリュックを背負い直しながら、やはり顔を明るくさせた。しかし、看板から建物に目線を移すと、表情は苦笑いに代わった。

「コテージっていうよりも小屋ですね。コテージと表現するなら、もっとペンションとかロッジとかに寄せてくれないと」

「ペンションやロッジのイメージも人それぞれって気がするが、まあいい。寝泊まりできるかどうか、見てみるとしよう。無理なら、中にテントを張る」

「噂の真偽を確かめるには、コテージの中で一晩過ごすしかない、ですね?」

 丸森が聞くのへ多岡は「ああ」と鷹揚に応じて、三段しかないステップを駆け上がるとドアノブを握った。軽く揺する。

「おお、噂通り、鍵は掛かってないみたいだ。丸森君、君は外周りをざっとでいいから見てきてくれ。時間を節約するために、写真も適宜、撮っておいてほしい。僕は中の状態を見てから、そのまま観察を始めるとする」

「分かりました。ただ、荷物が……。中に置けるかどうかだけ、先に確かめてもらっていいですか」

「それもそうだ」

 言うが早いか、ドアを引いた多岡。丸森は戸口に立ったまま、多岡の肩越しに中を覗いた。

 コテージ周りの地面はほとんどが濡れたような具合になっており、リュックをそのままどすんと下ろすには少々躊躇いを覚える。ビニールシートなら持って来ているけれども、コテージを目の前にしておきながら、いちいち出して広げるのも面倒だ。

「行けそうだ。少なくとも荷物を置く分には大丈夫だろう」

 多岡の判断を疑る訳ではないが、丸森は首から先だけ屋内に突っ込み、ちょっと見渡した。湿った空気感はあるけれども、床が濡れているということはない。これならリュックを下ろしても問題あるまい。

「じゃあ、玄関のとこに置いておきます」

 リュックを下ろして、そのサイドポケットからコンパクトタイプのデジタルカメラを取り出すと、バッテリーに問題がないことをチェック。ついでに携帯端末の方も同様にチェックしてから、腰を上げた。

「行ってきます。何かあったら連絡をください」

「ああ。丸森君もな。あまり遠くに行くなよ。正直言えば、結構不気味で怖いんだからな」

 普段の先輩然とした多岡の頼もしさが隠れて、弱気がちょっぴり覗く。丸森は背を向けて出て行きつつ、微苦笑を抑えるのに努力を要した。

(ま、確かに不気味さは発散されているかな)

 コテージから数歩離れ、三角屋根を見上げながら思う丸森。平屋なので、背伸びするか少し高い場所に登るかすれば、ある程度見通せる。屋根の一部には午後の太陽の光が当たって白く照らされているが、大部分が日陰でそちらの方は緑色に見える。苔生しているようだ。

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