第1話 みっしつこわい
密室殺人。
人が出入り不可能な状況下で、人が殺されている。
推理小説家の有栖川有栖が『有栖川有栖の密室大図鑑』(新潮文庫、創元推理文庫)でコメントしていたように、密室殺人とは本来、恐ろしい物なのだ。人間が出入りできない状況で殺人が起きるなんて、人の手では不可能である。人智を越えた存在か、あるいは化け物の仕業と考えても、何らおかしくはない。
0.みっしつこわい
~ ~ ~
――
「やけに静かになったね。あれだけ騒いで怖がっていたのに」
「まさか、くたばっちまったなんてこと……」
「いや、さすがにそれは」
「でも、尋常じゃない怖がり方だったからなあ。まるでほんとに密室で殺されるみたいな」
「うだうだ言ってても始まらねえ。確かめようじゃねえか」
そうだそうだと話がまとまりまして、悪友連中を代表して一人が、そっと部屋のドアを開けます。さすがに鍵は掛かっておらず、縦長の極細い隙間が、ぎぎっという蝶番の軋む音とともにできあがる。その隙間から目を凝らし、中を探ると、程なくして
「おい、どうなんでい?」
「いや、それが満太郎の奴、黙々と読んでいるみたいなんだよ、密室殺人の出て来るミステリを」
「何でだ? あれほど『密室が怖い怖い』って言って、ほんのついさっきまで、ぎゃーぎゃー喚いていたじゃないか」
「うんそうなんだけれどよ。今の満太郎は、憑き物が落ちた、いや逆か、憑き物が憑いたみたいにむさぼり読んでいやがる」
「んな馬鹿な」
悪友連中、場所を交代して順番に室内を覗きまするに、最初の男の言葉を認めざるを得ない。
「『密室怖い』どころか、あの野郎、目をらんらんと輝かせて熱中してるんじゃねえか」
「うむ。どうやらこいつは、いっぱい引っ掛けられた気がしてきたぞ」
「そんな。怖いもん知らずの満太郎を怖がらせるために、皆で金を出し合って、密室ミステリの傑作最新刊を取り揃えたってのに、無駄金だったってか?」
「許せんな」
「おう」
悪友連中、うなずき合って意思を確かめると、全員が一斉に部屋へと雪崩れ込んだ。
「うわ! び、びっくりしたなあ。タイミングよすぎるぜ。ちょうど今、密室を破って謎解きが始まるくだりだったんだから」
「そいつはすまなかなった、なんて言うと思うか? やい、満太郎。おまえ、『密室怖い』はどこへ行った?」
「ああ、怖いよ。いや、正確には怖かった、だな」
「何だ、過去形だと?」
「そう。みんなには感謝しなくちゃいけないね。みんなが買ってくれた密室ミステリを読み漁った結果、ようやく慣れて、密室を楽しめるようになってきたみたいだ。ありがとう」
「どういたしまして……って、てめえ、それじゃあ怖い物知らずになったってことか?」
「うーん、いや、読んでいる内に別の怖い物ができた」
「何だそれは。言ってみやがれ」
詰め寄られた満太郎。手にしていた本のページにしおりを挟み、パタリと閉じてから言った。
「そうだなあ、今はアリバイ崩しが怖い」
~ ~ ~
「何ですか、これ」
僕は手にした会誌から面を起こし、長机を挟んだ真向かいに座る
「あれ?
同じように本を読んでいた先輩は、長いストレートヘアをかき上げながら応じてくれた。
「いえ、それは知っていますが、会誌に載っている
「まあ、そうなるわね。どう?」
「割とそのまんまというか、途中までは密室殺人が起きる雰囲気だったのに、肩すかしを食らったというか」
書いた当人が部室にいない今、率直な感想を述べるのはかえって言いにくい気がした。
「そうよね、私達も似たような感じだった。ただ、そこにあるのは合宿で倉石君が実演したのが“初出”で、そのときは大受けだったの。彼が隠し芸として、本物の落語っぽく語って。その場の雰囲気もあったんでしょうけど、語り口が巧みで、みんな大笑い」
「へえ。それならぜひ、落語版の方を聴いてみたいです」
「どうかしら? 気分が乗らない限り、やらないかも」
「そんなあ。だとしたら、去年、その場にいた人だけのお楽しみだってことになるんですか」
今年入学した僕には、どうしようもない。
ここは公立のCC大学にある推理小説研究会の部室であり、部屋に今いるのは僕・坂木
「音源ならどこかに残してあるはずだけど」
顎先に片手人差し指を当てて、上目遣いに思い出そうとする仕種の長峰先輩。顔立ちが個性的なのか、角度によって一級の美女に見えたかと思えば、蛇顔に見えるときもある。今は前者だ。
「だめだ、思い出せない。あとで倉石君に聞いて」
「分かりました。それにしても皆さん遅いですね」
僕はドアの方を見やってから呟き気味に言った。
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