魔王陛下はお熱いのがお好き
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魔王陛下はお熱いのがお好き
「だぁぁぁあああっ! やってられるか、なのじゃー!」
邪悪な雰囲気に満ち満ちた古城の一室。
その主たる魔王の寝室、ベッドの上で枕をぼすんぼすんと叩く少女がいた。
「毎日毎日毎日毎日仕事仕事仕事仕事……余はまだ160歳の乙女なのじゃぞ! 恋に遊びに勉強に青春を燃やすべきお年頃なのじゃぞぉー!」
少女の赤い長髪からは尖った耳が覗き、額の上からは小さな角が飛び出している。
当年取って160歳、彼女の言う通り、魔族としてはまだまだ乙女の年頃だ。
そんな彼女が、なぜ年齢に似つかわしくない仕事漬けの日々を送っているのかと言えば――
「何もかも、この忌々しい《月の
少女は、腰に挿していた短い杖を引き抜き再び枕をぼすぼす叩いた。
この杖こそ、少女が多忙な日々を送る原因となった魔族の秘宝 《月の王笏》だ。
膨大な魔力を秘めたそれには意思があり、数百年に一度、自ら持ち主を選ぶ。
王笏に選ばれた魔族は、魔王として魔界に君臨する習わしであったのだ。
そう、彼女こそ、今代の魔王メリスその人なのである。
「一言目には戦争戦争戦争戦争。なーにが戦争じゃ。アホくさい。戦争で腹が膨れるか。何よりも気に入らぬのは食事じゃ。なぜわしの食事だけいつも冷めたものばかりなのじゃ……」
なぜとは言ってみたものの、メリスにはその理由がわかっている。
メリスに供される食事は何人もの毒味を経てから食卓に運ばれるのだ。
8人もいる毒味係にあちこち食べられるせいで、メリスの口に入るときにはそれはもう無惨な有様だ。
メリスが魔王になってから10年。揚げたてサクサクのコロッケも、熱々のラーメンも口にできた試しがない。
はじめのうちは魔王に選ばれた名誉で政務に励んでいたメリスだったが、いい加減に限界が訪れようとしていた。
言葉を選ばずに言えば、大声で独り言を叫びまくるくらいに情緒不安定になっていたのである。
「じゃが、明日は月に一度の貴重な休み! 今度こそ城を抜け出して自由に遊び尽くしてやるのじゃー!」
メリスはベッドから飛び降りると、部屋の隅に置いた姿見をがしっと掴んだ。
古ぼけた鏡だったが、なんとも形容し難い不思議な魔力を放っている。
「ふふふふ……頼んだぞ、転移の鏡よ。文献通りならばこれでどこまでも遠くまで遊びに行けるはずじゃ」
謎の鏡の正体は、魔王城の宝物庫から持ち出したマジックアイテムだった。
魔王の魔力に呼応して、世界中の望むところへとつながる通路を創り出すという。
一度に数人しか通れず、魔王にしか使えないため、すっかり忘れ去られて埃を被っていたものを、メリスが見つけて密かに寝室に運び込んでいたのだ。
「ではゆくぞ、鏡よ! 余が望むのは、人族の王都デレクタへの通り路じゃ!」
メリスが魔力を流し込むと、鏡面が波打ち、七色の光を放った。
さながら虹を思わせるそこに、メリスは躊躇なく飛び込んだ。
* * *
(人間の街とは想像以上ににぎやかなのじゃのう)
午前中いっぱい、王都を歩き回ったメリスは手近な居酒屋レストランで休憩をしていた。
帽子を目深にかぶり、魔族の特徴である角と尖った耳を隠している。
魔力も慎重に押し殺しているし、誰にも正体は気づかれなかった。
(これが魔族の街であったらこうも上手くはいかなかったの)
メリスの顔はすべての魔族に知れ渡っている。
なにしろ貨幣の肖像として採用されてしまっているのだ。
魔力を隠そうと変装しようと、あっという間に正体がバレてしまうだろう。
「お客様、ご注文はお決まりですか?」
「おお、すまんの。もう少し待ってくれるか」
「かしこまりました。お決まりになりましたらお声掛けくださいね」
店員から注文の催促をされて、メリスはメニューに目を落とした。
というか、店に入った直後からずっとメニューとにらめっこしている。
何種類もある昼定食のうち、どれにするか悩んでいたのだ。
とんかつ定食か、唐揚げ定食か、そこまでは絞り込めているのだが決めきれなかったのだ。
「とんかつか、唐揚げか……それが問題だ」
「うむ、悩ましいのう」
「ほんと悩むよね……って、えっ?」
自分の思考をそのまま言葉にしたような声が聞こえ、メリスは思わず返事をしてしまった。
声の主はカウンター席の隣りに座った客だったのだ。
そちらを見ると、青い短髪をした少女が目を点にしている。
「す、すまんの。余も同じメニューで悩んでおったからつい返事をしてしまった」
恥ずかしさでメリスの頬が赤く染まった。
見知らぬ他人の独り言に反射的に返事をしてしまうとは、普段の癖がついつい現れてしまったらしい。
「いや、ごめんなさい。ボクも急に独り言なんて言うから」
しかし、恥ずかしかったのはメリスだけではなかったようだ。
青髪の少女の頬も赤く染まっている。
「えへへ、とんかつと唐揚げで悩むなんて、女の子っぽくないよね」
改めて周囲を見渡してみれば、店の客は男性ばかりで、女性客はメリスと少女の二人だけだったのだ。
二人の少女は、明らかに店の中で浮いた存在だった。
「ふん、そんなことは気にするでない。食事のことでいちいち女らしさだの考えていたら、プリンとケーキしか食せなくなってしまうではないか」
だが、メリスはそんなことは気にするかと鼻で笑う。
魔王に就任してからすぐの頃は、年若い女だからと古参の魔族軍幹部たちに侮られがちだったのだ。
男社会の魔族軍の中で気を張るうちに、メリスの肝は鍛えられていた。
「すごい! ボクと同い年ぐらいに見えるのにかっこいいね!」
「ふふふふ、当然じゃ。余は魔お……麻婆豆腐も好きじゃぞ!」
調子に乗って正体をバラしかけたメリスは強引に言葉を変えた。
「ああ、麻婆豆腐もあるんだ。気になるなあ。うう、選択肢が増えちゃった」
「くっ、余としたことが悩みを増やしてしまった。じゃが、麻婆豆腐は単品でも頼めるようじゃな……」
いつの間にか、二人はひとつのメニューを一緒に見てああでもないこうでもないと相談をしはじめた。
絵付きのメニューはどれもこれも美味しそうで、時間をかけるほどに悩みが深まってしまうのだった。
「あのー、お客様? そろそろご注文をお願いできますか? もうすぐ昼営業が終わる時間ですので」
「「あっ」」
「とんかつ定食と唐揚げ定食でお悩みでしたら、お二人でシェアされたらいかがですか? 代金は一緒ですし、取皿もご用意できますよ」
「「なるほど、その手があったか!」」
こうして二人は、とんかつと唐揚げを同時に堪能することに成功したのだった。
あと、麻婆豆腐も追加で頼んだ。
* * *
「あー、美味しかった。両方食べて正解だったね!」
「うむ、さくさくで熱々の衣に閉じ込められた、ジューシィなお肉がたまらなかったのう」
「唐揚げに麻婆をかけたのもよかった」
「うむ、あれは発明じゃな。言わば麻婆唐揚げ定食じゃ。女よ、素晴らしい献策じゃった。褒めてつかわすぞ」
「あはは、ありがとう。でも唐揚げに麻婆かけただけじゃん」
「シンプルゆえに、思いつかぬこともあるのじゃ」
「なるほどねえ、なんだか深いねえ」
昼食を終えたメリスは、青髪の少女と二人で街の通りを歩いていた。
元より具体的な予定は何もないのだ。
なんとなく、そういう流れになっていた。
「あ、あのさ。ちょっと変な相談してもいいかな?」
「む、なんじゃ? 遠慮なく申せ」
「もし暇だったら、このあとも一緒に遊んでくれないかな? ひさびさの休みで街に出てきたんだけど、一人じゃ行きにくいところもあるし、ご飯もあれこれ食べられないし……」
「おお、そんなことなら大歓迎じゃ! 余もこの街には詳しくないからの。地元の人間に案内してもらえるのは助かるぞ」
「やった、ありがとう!」
もじもじと相談を切り出した青髪の少女は、メリスの返事を聞いてぱっと顔を明るくした。
メリスの手を取って、ぴょこんぴょこんと飛び跳ねている。
「そういえば、まだ名乗ってもなかったね。ボクはエヴァンス。エヴァって呼んでくれたらいいよ!」
「余はメリスじゃ。エヴァよ、今日はよろしく頼むぞ」
「うん、こちらこそよろしく、メリス!」
こうして二人は、丸一日王都の名所を遊び歩き、食べ歩いた。
締めには近頃王都で話題だという熱々の激辛ラーメンを食べ、ぽたぽたと汗を垂らしながら笑い合った。
「今日は楽しかったよ。ありがとう、メリス」
「余も楽しかったぞ。感謝するぞ、エヴァよ」
「また遊びに行けたらいいけど……ボク、月に一度しか休みがないんだよね」
「なんと、お主もか!?」
「メリスも月に一日しか休めないの!?」
「うむ、そうなのじゃ……。次の休みは鷹の月の
「ええっ!? すごい偶然。ボクも次の休みは十六夜の予定だよ」
お互いの休みが同じだったことを知った二人は、また一緒に遊ぶことを約束して別れたのだった。
* * *
大理石を積み上げて築いた王都の大神殿。
足音を忍ばせて廊下を歩くエヴァがいた。
「勇者様、いくら休みでも行く先も告げずに出かけられてしまうのは困りますぞ」
そこを、白髪の老人に呼び止められる。
金糸銀糸に彩られた立派な僧服を身にまとった老人だった。
「悪かったよ、神官長。でも、行き先なんて決めてなかったんだ」
「行く先も決めずに出歩くなど……。《太陽の剣》に選ばれた者であるというご自覚を持ってくだされ」
「そんなのはわかってるよ」
神官長の制止を振り切り、エヴァは自室へと駆けていく。
戸に鍵をかけ、ベッドにぼすんと身を投げ出した。
「うわぁぁぁあああー! なんでボクなんかが勇者なんだよぉぉぉおおお!」
枕に顔をうずめて手足をばたばたとさせる。
エヴァは、1年前に人族の至宝と言われる《太陽の剣》の振るい手として選ばれたのだった。
《太陽の剣》は数十年ごとに覚醒し、自らの主である勇者を指定する。
それに選ばれたのが、当時は一介の冒険者に過ぎなかったエヴァだったのだ。
剣の腕にはそれなりの自信があったし、吟遊詩人が語る英雄譚に憧れて冒険者稼業をはじめたエヴァだったが、人族の命運を握る勇者という役目は少女の肩にはあまりにも重すぎた。
そして、何よりもエヴァは知っていたのだ。
魔族と呼ばれる人々も、人族と同様に言葉を話し、家族を持ち、日々の暮らしに笑ったり泣いたりしていることを。
エヴァが生まれた村は、魔族との国境に近い辺境にあった。
同じ年頃に見える魔族の友だちもできた。
長命な魔族だから、実際は見た目の何倍も歳を取っていたのだが、そんなことはまるで気にならなかった。
厳しい自然を相手に、共に生きる仲間だという意識しかなかったのだ。
「それを急に、魔族と戦えって言われてもな……」
今のところは、表立った戦争が起きていないからまだいい。
エヴァの仕事は王国中を巡って国民たちを鼓舞し、来たるべき魔族との決戦に向けて士気を高めることなのだ。
だが、いざ開戦すれば戦場に立たなければならないだろう。
そして魔族たちを容赦なく打ち倒さなければならないのだ。
「ほんと、どうして勇者なんかに選ばれたんだよ……」
エヴァは力なくつぶやくと、枕に顔を押し付けたまま眠りについた。
* * *
それから、数年の月日が流れた。
戦いに向けた機運が高まり、魔族の都にも人族の都にも剣呑な空気が漂っている。
互いに戦死者こそいないものの、国境線では小競り合いが続いていた。
《月の王笏》に選ばれた魔王を得た魔族は、いまこそ人族を滅ぼす絶好の機会だと思っているし、反対に《太陽の剣》に選ばれた勇者を擁する人族は、魔族を打ち倒す機会だと盛り上がっている。
そんな緊迫した情勢下にある王都の一角で、
「ごめんごめん、お待たせー」
「お主が遅刻とは珍しいな、最近も忙しいのか?」
「待たせちゃった言い訳じゃないけど、睡眠時間がガンガン削られてるよ」
「目の下にクマができておるぞ。ほれ、保湿クリームを塗ってやるから顔を貸せ」
「メリスにもクマができてるよ。ボクも塗ってあげるよ」
「こ、こら! くすぐったいからやめい!」
メリスとエヴァは今日も待ち合わせをしていた。
魔族と人族の緊張が高まるにつれ、メリスとエヴァの仕事は増えている。
月に一度、あるかないかの休みに二人で遊ぶのが唯一の息抜きになっていたのだ。
傍から見れば、仲の良い少女同士が戯れているようにしか見えないだろう。
そして二人も仕事の話は避けるため、互いの正体については知らないままだった。
ただし、エヴァについては少し事情が違っていたのだが。
「それで、今日は何をしようかのう」
「とりあえず、商店街のお店でも冷やかそうか」
エヴァがメリスの手を引いて歩きはじめる。
出会ったころは同じような背格好だった二人だが、いまではエヴァの方がずっと大人びていた。
身長も伸び、胸も膨らみ、すっかり大人の女性になっている。
一方のメリスは出会ったころからほとんど姿が変わっていない。
長命な魔族は、人間と比べて成長も遅いのだった。
「む、なんだか人だかりができておるの」
「路上演劇みたいだね。覗いていこっか?」
「暇つぶしにはちょうどよいの」
王都では、吟遊詩人たちが集まって路上で演劇を披露する文化がある。
題材は昔ながらの英雄譚であったり、貴族たちのゴシップであったりと色々だ。
いま演じられているのは、勇者が魔王を倒すという古典的な英雄譚を現代的にアレンジしたものらしい。
「フハハハ、よくぞここまでたどり着いたな、勇者よ」
「魔王よ! お前の命もここまでだ!」
「ククク、勇者よ。貴様が余の仲間になるなら、世界の半分をくれてやろう」
「そんな甘言に乗るものか! 《太陽の剣》をくらえっ!」
「ぐわぁー! まさか、この《月の王笏》が斬られるとは、信じられぬ……」
アレンジしたとはいっても、お定まりの結末は変わらない。
勇者が魔王を打ち倒し、人族が打ち勝つという定番通りだった。
「ふん、つまらぬのう。代わり映えしない筋書きじゃ」
「でも、まだ続きがあるみたいだよ?」
メリスが適当なおひねりを投げて立ち去ろうとすると、エヴァが最後まで見ていこうと引き止めた。
別段、急ぐ用事があるわけでもなく、メリスはエヴァの言うとおりにする。
人間の街では魔族が悪役となった演劇や創作が珍しくなく、いまさらこの程度のことで気分を害することもなかった。
少し間を置いて、倒されたはずの魔王役の女優がむくりと起き上がる。
「さてさて、これでようやく一区切りがついた。これで戦が収まればよいが」
独り言をつぶやく魔王役に、勇者役の男優が駆け寄ってくる。
「大丈夫だったか、魔王? 怪我はしないよう加減はしたつもりだが」
「うぬぼれるな。人間ごときに斬られるような私ではない」
「はは、それならよかった。後は俺の仕事だな」
「うむ、魔王が倒れて魔族の脅威はなくなったと、存分に喧伝してくれよ」
「ああ、こんな馬鹿げた戦争はいつまでも続けたくないからな」
勇者役が魔王役の手を取って引き起こす。
そして勇者役が魔王役を抱きしめようとしたところで、警笛の音が鳴り響いた。
「こらぁっ! けしからん芝居などして! このような演目は許されていないぞ!」
警笛の主は憲兵たちだった。
演じていた吟遊詩人たちは荷物を掴んでてんでに逃げ去っていく。
観客たちも、関わり合いにはなりたくないと素知らぬ顔で散っていった。
「筋書きには無理があったが、なかなか変わった芝居じゃったの」
「はじめから魔族を擁護する内容じゃ、すぐに止められちゃうからじゃない?」
「なるほどのう」
メリスとエヴァも、面倒に巻き込まれてはかなわないとその場を離れていた。
「芝居の出来はともかく、小道具はよくできていたの」
とくに《月の王笏》は本物以上にそれらしい出来じゃった――と言いかけて、メリスは慌てて口をつぐんだ。
「一座に腕のいい細工師でもいるのかな?」
《太陽の剣》は本物よりも神々しく見えたよ――と言いかけて、エヴァも慌てて口をつぐんだ。
「ともあれ、せっかくの暇つぶしが終わってしまったの。じゃが、ちょうど昼時じゃの。今日は何を食べようかのう」
メリスは先ほどの騒ぎはもう忘れて、昼食を何にするか考えていた。
魔王城で食べる冷めた料理にほとほと嫌気が差して、月に一回だけエヴァと食べる食事が数少ない楽しみだったのである。
「……今日は行きたいお店があるんだけど、いいかな?」
「むぅ、なんじゃ突然神妙な顔をして? もちろん、かまわぬぞ」
「ちょっと奥まったところにあるんだけどね」
二人は連れ立って、王都の路地を進んでいく。
貧民街の近くまで進み、やっとひとつの店に入った。
「ずいぶん変わった店を知っているのう」
「……うん、たまたま機会があって」
「うむうむ、こういうひなびた店もたまにはよいの。案外こういうところが美味いんじゃ」
「味なら太鼓判を押すよ!」
メリスは楽しげに壁に貼られたメニューを見る。
これまで王都では見かけなかった珍しい料理が色々とあった。
「これは目移りしてしまうのう。店員よ、おすすめを教えてくれぬか?」
「はっ、はいっ! 当店のおすすめはこちらとこちらでして……ま、ま、お客様のお口に合えば幸いなのですが!」
「うむ? 新人か? 妙にかたいのう。とりあえず、そのおすすめを頼むぞ」
「喜んでっ!」
不自然に緊張している店員を怪訝に思いつつ、メリスは注文を済ませた。
帽子を目深にかぶった店員は小走りにカウンターに入っていく。
「おや、あれはさっきの吟遊詩人たちじゃないかの?」
「ホントだ、彼らもここの常連なんだね」
店の奥に目をやると、そこには先ほどの吟遊詩人の一座が食事をしていた。
憲兵から逃れて、町外れのこの店に姿を隠したのだろう。
メリスはふと思い立って彼らの元へと歩いていく。
近づいてきたメリスに気がついた吟遊詩人たちは、怪訝そうな視線を向けた。
座員の一部は怯えているようにも見える。
憲兵の手先が来たとでも勘違いをしているのかもしれない。
「驚かせてすまんな、先ほどの芝居は面白かったぞ。おひねりを投げる暇もなかったからのう、これを受け取ってくれ」
「こ、こんなに頂いてよろしいので?」
「かまわぬ。さっきの騒ぎで実入りが少なかったじゃろうからな」
「これはありがたいことで……」
メリスがおひねりを渡して戻ってくると、すでに料理が運ばれてきていた。
肉と野菜をホワイトソースで煮込んだものと、鶏の半身を丸ごと揚げたものがほかほかと湯気を立てている。
「どちらも美味そうじゃのう。王都ではあまり見かけん料理だな」
「なかなか珍しいでしょ? じゃあ、さっそく食べよう」
料理を取り分け、各々手を付けはじめる。
メリスが最初に食べたのは鶏だ。パリッとした皮の中に、肉汁をたっぷり含んだ肉が閉じ込められている。
「熱つっ、むう、このびしりと刺すような辛味がたまらんな。まだ昼間じゃが、エールも頼むか?」
「絶対お酒に合うやつだもんね。おねえさん、エール追加で!」
すぐに運ばれてきた冷えたエールで乾杯をし、今度は煮込みに手をつける。
スプーンですくうと白いソースがどろりと糸を引き、いかにも濃厚な味わいを想像させた。
メリスは先ほどの反省を活かし、ふうふうと吹いてから口に運ぶ。
ほふほふと野菜を噛むと、青草のような香りが鼻を抜けた。
「これはなんとも風味が豊かよのう。ソースにはチーズが混ぜてあるのか?」
ちょうど近くにいた店員にメリスが尋ねると、おずおずと返事があった。
「は、はい。黒の山に棲むカラカラヤギのチーズを使っています!」
「ほう、カラカラヤギを使うとは、このあたりでは見かけんのう」
カラカラヤギの乳から作ったチーズは魔族の国では好んで食べられるが、人間の街では滅多に使われない食材だった。
夏の草いきれを思わせるような匂いが、慣れない者にはなかなか受け付けられないのだ。
メリスの好物のひとつにカラカラヤギのチーズを使ったクリームシチューがあるのだが、城では冷めて固まったものしか食べられないし、人間の街ではそうそう食べられるものではない。
思いがけずそれによく似たものにありつけて、メリスは上機嫌になった。
「カラカラヤギのチーズ、おいしいよね。ボクも王都で食べられるなんて思わなかったから、この店を見つけたときはびっくりしたよ」
「うむ、こんな穴場を見つけるとはお手柄じゃな。エヴァよ、褒めてつかわすぞ」
「ははは、ありがたき幸せ」
メリスがふざけて青い髪を撫でると、エヴァは嬉しそうに微笑んだ。
「ボクが育った村ってさ、魔族の国と近かったから、魔族の料理もよく食べてたし、魔族の友だちも普通にいたんだよね」
そして、エヴァは真剣な面持ちで続ける。
「魔族って言うだけで悪者扱いするのは変だと思うんだ。だから、メリスにはいまのうちに逃げてほしい」
「はっ!? に、逃げろとはどういう意味じゃ?」
「だって、メリスは魔族なんでしょ?」
「ぬうっ!? 急に何を言うのじゃ!」
図星を突かれてメリスはうろたえた。
自分の正体が魔王であることに気づかれてしまったのだろうか。
「たぶん、魔族と人間との間でこっそり交易をしてる商人たちの仲間でしょ? この店の中なら隠さなくても大丈夫。店員もお客も、隠れ住んでる魔族が多い店なんだよ」
「なんと、そんな店が王都にあったとは……」
魔王ではなく、単なる魔族と思われていたことにメリスは若干安堵した。
落ち着いて店内を見回してみると、客も従業員も目深に帽子をかぶったものがほとんどだ。
事情を知らないものが入ってきても正体がわからないよう注意しているのだろう。
「しかし、余が魔族じゃといつから気がついておったのじゃ?」
もはや誤魔化しても無駄だろうと観念したメリスは帽子を脱いだ。
短い角と、尖った耳の先端があらわになる。
魔族が人間の生活に紛れ込んでいるというなら、魔王ということさえバレなければ最悪の事態にはなるまいという計算もあった。
「会って数回目から、なんとなくね。いつも帽子をかぶりっぱなしだし、時々人間とは別種族みたいな言い方をするし……」
「そんなに以前から察せられておったのか……」
自分では完璧に変装できていると考えていたメリスはがっくりと肩を落とした。
「しかし、なぜいまになってそんなことを言うのじゃ? それになぜ逃げる必要がある?」
「魔族への決戦を挑む日が決まっちゃったんだよ」
「決戦じゃと?」
「勇者を先頭に、魔族の国に大軍で斬り込んでいくんだ。きっとひどい戦争になる。だから、メリスにはそれに巻き込まれないよう離れていてほしい」
「なぜそんなことをエヴァが知っておる?」
「ああ、それは――」
――ボクが、勇者だから。
エヴァが、砂でも吐き出すかのように、言った。
* * *
数カ月後。人族と魔族との国境付近で、何万もの兵たちが対峙していた。
一方は王国が主導し同盟国の援軍を束ねた人族の連合軍。
一方は魔王が麾下の魔族たちを結集させた魔族の総力軍。
会戦による鮮烈な勝利を望んだ王国は、魔族軍に対して戦場と日時を指定して会戦を申し込んだのだ。
伝説の勇者が顕現している以上、魔族に対して敗北はないと信じ切っている。
人族の陣から、一人の騎士が馬に乗って進み出た。
白銀色の鎧を身に着け、金色に輝く長剣を掲げている。
それこそ絵物語に伝わる勇者の出で立ちであった。
「魔王よ! 今日こそ貴様ら薄汚い魔族が最期を迎える日だ! せめてもの慈悲に決闘の栄誉を与えてやる。臆病風に吹かれていないのならば、私との一騎打ちに応じろ!」
その騎士は、男装をしたエヴァであった。
教会の教義において、勇者が女であるというのは望ましくなかったのだ。
勇者として公衆に姿を表すときには、男装をすることになっていた。
「くくくくく、思い上がった人間め! 余がその勘違いを正してやろう!」
魔族の陣から、3つ首の犬に乗った女が進み出た。
漆黒の法衣を身にまとい、
代々の魔王に受け継がれる伝統の戦装束だった。
「卑怯な魔族の分際で、恐れずに勝負を受けたことだけはほめてやるぞ、魔王!」
「勇気と無謀を履き違えるなよ! 愚かな人間め!」
そこからの戦いは、恐ろしいものだった。
勇者の振るう剣が大地を断ち割り、天空の雲さえ切り裂く。
魔王の放つ魔法が嵐を生み出し、豪雨と雷鳴で戦場が塗りつぶされる。
死闘は三日三晩にも及んだ。
永劫に終わることがないと思われた戦いであったが、決着は拍子抜けするほどあっさりしたものだった。
「これで最期の一撃だ、魔王!」
「くくくく、その言葉、そのまま返すぞ人間め!」
勇者の振るう剣と、魔王が振るった杖とがぶつかり合い、砕け散ったのだ。
そして、凄まじい光を発して辺りを吹き飛ばす。
そのあとには、勇者の姿も魔王の姿もどこにもなかった。
三日三晩にもわたって凄まじい戦いを目の当たりにし、各々が旗頭としていた勇者と魔王を失った両軍には、もはや戦う気力は残されていなかった。
勇者と魔王の一騎打ちを除けば、ただの一合、ただの一矢のやり取りもなく決戦が幕を閉じたのである。
* * *
「ああー、疲れたー。三日も戦い続けるとか、正気の沙汰じゃないよ……」
「仕方がないじゃろう。あれくらい派手にやらねば、血気に逸ったもののたちの頭は冷えんからのう」
「それはわかってるんだけどさー」
「ま、正直余も疲れたがな」
「でしょ?」
戦場で消失したはずの勇者エヴァと、魔王メリスが談笑しているのは魔王城にあるメリスの寝室であった。
「それにしても、この鏡はすごいね! これさえあれば世界中に行けちゃうんでしょ?」
「うむ、余にしか使えぬ品だがな」
「これがなかったら、あの作戦は上手くいかなかったねえ」
あの一騎打ちが行われた場所には、メリスが鏡を使ってあらかじめ通路を創り出しておいたのだ。
要するに、はじめから結末の決まった八百長だったのである。
あの王都の店でエヴァが正体を明かした後、メリスもまた魔王であることを明かしたのだ。
魔族と人族の争いを望まない二人は、なるべく血を流さない手段を模索してこの茶番を思いついたのである。
「これで少なくとも数十年は大きな戦争はないじゃろう」
「どちらが戦争を仕掛けるにしても、魔王か勇者、どちらかの存在が前提だからね」
そして、魔王を定める《月の王笏》も、勇者を定める《太陽の剣》もどちらも砕け散った瞬間が目撃されているのだ。
伝説によれば、どちらも壊れたときは世界のどこかで再生すると言われている。
当面は戦争よりも、2つの神器を探すことに血まなこになることだろう。
「ま、いくら探しても見つからぬのじゃがな」
「メリスも人が悪いことを考えたねえ」
「ふっふっふっ、なにしろ余は魔族じゃからのう!」
メリスはベッドの下から一本の杖と剣とを引っ張り出した。
それらこそが本物の《月の王笏》と《太陽の剣》であったのだ。
一騎打ちで壊したものは、あの吟遊詩人の一座に頼んで作ったレプリカだったのである。
ちなみに、あの店で店員や吟遊詩人たちが妙に緊張した態度を取っていたのは、メリスの顔を見て魔王だと気がついていたためだった。
おかげで頼みごとはすんなりと出来たのだが、その後も妙にかしこまられてしまってメリスは居心地が悪かった。
「ともあれ、余らはこれで死んだはずの身じゃ。どこへとも自由に行けるの」
「目のクマが消えない生活ともおさらばだね!」
「冷めた料理しか食えん毎日もこれまでじゃ!」
「はは、メリスは本当に食いしん坊だねえ」
「うむ、今後はもう出来たて熱々のものしか食わぬぞ!」
そうして二人は大声を上げて笑い合い、鏡の中に消えていった。
その後しばらくして、あちこちを旅しながら魔族も人族も隔てなく助ける二人組の女冒険者の噂が立つのだが、それはまた、別のお話。
(了)
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