第2話:俺の前には誰も来ない

 塾のチューターって仕事は忙しいもんだな。

 講義中は保護者向け資料のパソコン入力や来客の受付、休み時間には教室の掃除や整理などなど。休む間もなく動いてる。


 俺はこんな作業は嫌いじゃないからいいけど。

 うんまあ、楽しいとすら思える。


 俺の作業のおかげで『助かるよ』って喜んでくれる人がいたら俺も嬉しいし。


「佐渡君お疲れ様~ 頑張ってるね」

「あ、奄美さんお疲れ様です」


 授業が終わって、講師の奄美あまみさんが講師準備室に戻ってきた。

 わざわざ声をかけてくれて、ホント優しくていい人だ。


 どうやら今日の講義はこれで全部終わりらしい。


「今から自習室の説明するからついてきて」

「はい」


 自習室って、生徒はいつでも使えるらしい。

 チューターは手が空いたらここに来て、事務仕事の合間に生徒の質問に答えるんだそうだ。


 講師は講義とかその準備があって、なかなか自習室には来れないからな。


「しばらくは仕事覚えるために大変だからいいけどね。慣れてきたらできるだけ自習室に入ってあげてね」

「あ、はい」


 ──って待ってくれ。


 どんな質問がくるかわからないのに対応しなきゃならないなんて、講師よりもむずくないか?


「佐渡君がわからない質問は聞いておいてくれたら、あとで私や他の講師が教えるからね」

「なるほど」


 なんで俺が不安に思ったことわかるんだ?

 この人エスパーか?


「あ、奄美先生キターっ!」


 なんだなんだ?

 俺と奄美さんが自習室に入ったとたん、生徒がワラワラと集まってきた。


「質問ありまーす!」

「いや、俺が先だ!」

「僕の方が先に並びましたよ!」


 あっという間に奄美さんの前に列ができてしまった。大人気だな。


 ──っておい! 男子生徒ばっかかよ。


 こいつら美人と喋りたいだけなんじゃないか?


 とりあえず自習室の隅っこにある机に向かって座る。チューターの指定席のような場所だ。


 あれ?

 なんか俺、遠巻きに生徒たちから見られてるような……


「あ、みんな! この人、今日からチューターで来ることになった佐渡さど君。彼にも質問してね~」


 奄美さんがそう言ってくれたにもかかわらず、みんな無言だ。


 おいお前ら! 訝しげな目で俺を見るな!

 特に男子! その「ははは」って乾いた笑いはなんだ!


 まあ……わからんでもない。

 同じ質問するなら誰かわからない地味男より、美人がいいよな。しかも帝都大生だし。


「きゃー、八丈センセー!」


 うわ、今度はなんだよ?

 女子の歓声が起きてる。


 八丈先輩が自習室に入ってきたんだ。

 あっという間に生徒の列ができた。


「はいはい、並んで並んで! 質問は順番ね!」


 八丈先輩に言われて、みんな素直に並んでる。

 今度は大半が女子だ。

 さすがスター講師。人気がハンパない。

 ちなみに今現在、俺の前には誰も来ない。以上。


 悔しくなんかないぞ。

 まったく気にならないぞ。

 ──くそっ!


 あれっ?

 入り口から入ってきたのは……


 自習室には不似合いな金髪のギャルが現れた。

 チラリとこちらを見た。

 ──戦いますか?


 いや、そうじゃない。

 RPGじゃないんだから。


 勉強やる気がないって聞いてたけど、自習やるのかな?


「やる気になったか、こまめ」


 ギャルが近くを通ったから、思わず声をかけてしまった。


「ならないよ。声かけて来ないでよバカスケベ」

「は? 誰がバカスケベだ」


 俺はバカでスケベだけどバカスケベではない。

 ああ、声かけなきゃよかった。

 ついついお節介してしまうのが俺の悪いとこだな。


「こまめって呼ぶな。あたしの名はあずきだよ」

「じゃあ、あずきって呼んでいいのか?」

「ダメ。香川様と呼んだらいいじゃん」

「嫌だ。だったら『そこのギャル』って呼ぶ」

「うぐっ……メンドくせ」

「は?」

「もういいよ『あずき』で」

「え? お、おう。わかった」


 思ったより折れるのが早くてちょっとびっくりした。だったら俺も、ちょっとお返ししとくか。


「勉強やる気になったんなら、質問あったら聞いてくれていいぞ」

「八丈先生ならともかく誰があんたなんかに」

「じゃあ八丈先生に質問したらいいだろ」

「いやいいよ。あたしは友香ともかについてきただけだし」

「あ、おい……」


 離れていっちゃったよ。


 そう言えば黒髪清楚な友香ちゃんが八丈先輩の列に並んでるな。


 ん? ギャル……じゃなくて小豆あずきは遠巻きに、八丈先輩をポーっと見つめてる。

 コイツもイケメン講師狙いなんだな。


 ふぅーん。

 まあ、いいけど。

 なんせギャルだ。

 イケメン好きで当たり前だ。


 ──って謎理論を振りかざす俺。


「あの……ちょっといいですか?」

「え?」


 あっ、俺の前に男子生徒が一人。

 とうとう俺のところにも質問者が来た!


 メガネの真面目そうな、ちょっと小太りの青年。

 うん、きっとコイツいいやつだ。

 顔もちょっと可愛い感じだし。


「どうぞ。何かな?」

「佐渡先生って大学どこですか?」

青谷あおたに大学だよ」

「じゃあいいです」

「なにが?」

「俺、帝都大目指してるんで。やっぱり八丈先生か奄美先生に質問します」


 ──は? なん……だと?


 青谷大だって早慶ほど超難関じゃないけど、その次くらいに難しいんだぞ?

 ムカつくなコイツ。

 ちょっと可愛い顔だなんて思ったけど、よく見たらブ男だ。


 いや、でもまあいいや。

 帝都大からしたらそんなもんか。


 俺は高校時代は模試の偏差値が40ちょっとだった。部活ばっかやってたし。

 それを一浪して頑張って、偏差値60オーバーで憧れの青谷大に合格したんだ。


 だから他のヤツがなんと言おうと俺は青大が好きだし、誇りを持ってる。


 なんて、立ち去る男子生徒の背中を見てたら──


「あっ……」


 ──ん? 女子の声。今度はなに?

 

 どうやら次の順番で待ってた友香ちゃんが、後ろの女子に割り込まれて弾き出されたみたいだ。


 なのに八丈先輩は、割り込んだ方の女子の質問を受け始めてる。

 友香ちゃんと違って華やかで可愛い女の子。

 まさか顔で優遇してるとか?


 ちょっと注意してやろうかと立ち上がりかけたら、なぜか友香ちゃんがトコトコとこっちに向かってくる。


 血相を変えた小豆あずきと目が合った。

 彼女も文句を言おうとしたんだろうけど、友香ちゃんの謎の行動にポカンとしてる。


「あの……銀ちゃん先生、質問いいですか?」

「え? 俺?」

「はい」


 銀ちゃん……先生?

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