第二章『聖女裁判篇』
少年王と聖女の朝
エルトリア人の朝は日の出と共に始まる習慣がある。
朝日が昇り、タルキウスが眠っている寝室の東側の窓から朝日が差し込む朝六時頃。扉が開いてリウィアがゆっくりと中に入った。
このエルトリアの国王であるタルキウスは、大きな天蓋付きのベッドで今だにすやすやと幸せそうな寝顔を浮かべている。
彼を起こさないように静かに顔を近付け、右手で彼の頭を撫でた。
これがリウィアの朝の日課であった。その愛らしい寝顔を見るだけで今日も一日頑張ろうという気持ちになれるからだ。
「ふふ。タルキウス様ったら、一体どんな夢を見てるのかしらね?」
「んふふ。もう、……こんなにたくさん食べられないよ~」
ご馳走が大量に並んでいる夢でも見ているのだろうか。
「本当に食いしん坊さんなんですから」
リウィアはそう言ってタルキウスの柔らかい頬を軽く突く。
こんな幸せそうな寝顔を浮かべている子を起こしてしまうのは申し訳ない気がするし、勿体無い気もする。そう思うリウィアだが、流石にそろそろ起きてもらわねばならない時間である。
「タルキウス様、起きて下さい。朝ですよ」
リウィアは慣れた手付きで、タルキウスの身体を両手で揺すって起こす。
しかしタルキウスはまったく起きる気配が無い。そもそもこれだけでタルキウスが目を覚ました事はこれまで一度もない。
タルキウスは一度寝ると、起こすのが本当に大変なのだ。ここで起きない事はリウィアも察してはいるものの、強引に叩き起こすのでは朝の目覚めも悪いだろうしと思い、もしかしたら起きるかもという希望を持って一応毎日初めはこの起こし方から入る。
「タルキウス様! 朝ですよ! タルキウス様!」
二回目はちょっと大きめの声で、少し強めに身体を揺すった。
「……」
タルキウスはすやすやと眠っていて、まったく起きない。
するとリウィアは、今度はタルキウスが被っている掛布団をガバッと勢いよく剥ぎ取るという強引な手段に出た。
「ん、んん~」
ようやくタルキウスが反応した。
まだ目を覚まさないものの、瞼がピクピク動いて両手でリウィアに奪われた掛布団を手探りで探す。
「タルキウス様! 起きて下さい!」
一瞬起きそうな素振りを見せたが、タルキウスは剥ぎ取られた掛布団を探すのを諦めたのか、そのまま再び深い眠りに入ろうとする。
それを見てリウィアはこの好機を逃すまいと畳み掛ける。
「よいしょっと!」
タルキウスの身体を両手で掴んで引っ張り、そのままベッドから引きずり落とした。
床に頭から落下したタルキウスは「イタッ!」と声を上げる。
「んんん~。ふふぁああ~」
大きな欠伸をしながらタルキウスは目を覚ます。
「おはようございます、タルキウス様。今日はいつもより早く起きられましたね」
「んん~」
タルキウスは眠そうな目を擦りながら周りの様子を確認する。どうやらまだ寝惚けていて何が起きたのか理解できていないようだった。
そこで透かさずリウィアは二度寝をされないように秘密兵器、タルキウスの大好きなホットミルクを差し出す。
「さ。ホットミルクですよ。これを飲んでちゃんと目を覚まして下さい」
タルキウスはホットミルクの入ったコップを受け取り、勢いよく飲もうとする。
「熱ッ!」
そう声を上げて、タルキウスの意識が一気に覚醒へと導かれた。
その様を見てリウィアはクスクスと笑う。タルキウスの眠気が覚めるようにとわざとかなり熱めにしたのだが、正にそれが効果てき面だったようだ。
しかしタルキウスはどこか不満そうな視線をリウィアに向ける。
「……リウィア、何か起こし方がどんどん手荒になってない?」
「そ、そうですか? 私はただタルキウス様にすぐ起きてもらいたいと思って、やってるだけなんですけど」
「ふ~ん。まあいいや。それよりもおはよう、リウィア!」
タルキウスは一瞬で気持ちを切り替えて元気よく朝の挨拶をする。
「はい。おはようございます、タルキウス様」
こうしてタルキウスの朝がようやく始まり、リウィアも朝の難所を乗り越えた。
起床後、タルキウスはリウィアに手伝ってもらいながら衣服を着替えたり、頭に付いた寝癖を直したりする。
その時間を利用してリウィアが今日一日のスケジュールを説明するのが習慣になっていた。
「タルキウス様、今日は午後からコロッセオで開催される闘技会に出席する事になりますので、公務は午前中にこなせる量だけに留めて下さいね」
「そういえば今日だったね。マエケナスがあんまり煩いから出席する事にしたけど、またつまらない試合だったらどうしてやろうかな~」
「ふふ。タルキウス様の手に掛かれば、ほとんどの剣闘士は大した事がないってなっちゃうんですよね」
「勿論だよ!」
コロッセオとは、フォルム・ロマヌムの南側に位置する
タルキウスの命令で築かれたこの闘技場は、
民衆はそれを最高の娯楽として認識しており、この闘技会を定期的に開催する事は人心を掴むための歴代国王の常套手段であった。
「剣闘試合は民衆に人気がある。だから国王としては止めるわけにはいかない。でも、人の殺し合いを見世物にするってやっぱり悪趣味だよね」
連戦連勝を重ねる剣闘士は、身分を問わず人々から絶大な人気を誇り、人々から英雄視されて尊敬や憧れの眼差しを向けられた。
しかし、その一方で高い教養を持つ知識人の中には、奴隷同士を戦わせるこの剣闘試合を野蛮で醜悪な遊興だと批判する者もいる。
元老院議員キケロもその一人だった。彼は剣闘試合を「残虐で非人道的な催しだが、平民達に流血や死に慣れさせる訓練として、これ以上効果的なものはない」と皮肉めいた評価を下していた。
「嫌な話ですけど、人は何だかんだ言って残酷な事に興奮してしまうんですよね」
「まあ、それを利用している俺も充分悪趣味なんだろうけどさ」
「タルキウス様……」
「っと、それはそうと、俺、腹減っちゃったよ!そろそろ食堂に行こ!」
着替えも終わり、二人は朝食を食べるために食堂へと移動する。
食堂には大量の果実やパン、それに蜂蜜に、豆と野菜のスープ、ミルクなどが既に用意されていた。しかしこの場にいるのはタルキウスとリウィアだけだというのに、この食料の量は明らかに二人分よりも圧倒的に多い。
「それじゃあ、頂きまーす!」
席に着いたタルキウスはすぐにも朝食を始めた。
「頂きます」
タルキウスに続いてリウィアも朝食を取る。
食事を始めると、タルキウスは凄まじい勢いでパンや果実を次々と口の中へと運ぶ。あっという間に一人分の量を食したかと思えば、二人分、三人分と目の前の食べ物を平らげていく。
その食欲は留まる所を知らず、その様を毎日見ているリウィアも不思議そうな表情を浮かべる。
「いつ見ても思いますが、本当によく食べますねえ」
「そりゃ育ち盛りだからね。いっぱい食べないと!」
「だとしても、よくその小さなお腹に入りますね」
「ちょっと! 小さな、は余計だよ!」
子供扱いされたと思ったタルキウスは過敏に反応した。
しかしその様が面白かったのか、リウィアはクスクスと笑う。
「ふふ。はい。申し訳ありませんでした」
リウィアが謝ると、タルキウスは再び食事を再開する。美味しそうにパンを頬張るタルキウスの姿はとても愛らしく、リウィアはその様を見ているだけで自分も満腹になるような感じがした。
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