悪夢と安らぎ
タルキウスは夢を見ていた。
まだ国王になる前の、昔の夢をだ。
空気を切る鋭い音。肉を叩き、皮膚を引き裂く音。
それが広間に響き渡った。
広い玉座の間で、王座の主人は鞭を振るって鎖で吊るされた少年を嬲る。
ビシッ!
「うぐッ!」
音が鳴り響くと、少年は歯を食い縛って痛みに耐えようとするも、微かに声が漏れてしまう。
「あんな部族を屈服させるのに三日。まったくもって話にならんな。遅過ぎだ! 父の言い付けを何だと思っているのだ!? お前の実力であれば、一日もあれば充分であろう!」
振るわれる鞭が、浴びせられる罵声が、容赦なく少年を、タルキウスを痛め付ける。
しかし、タルキウスは甘んじてその責め苦にじっと耐え続けていた。
自分は責められても仕方がないと思っていたからだ。
それでも、どれだけ自分が悪いのだと思っていたとしても、父親から振るわれる鞭は、浴びせられる罵声は、タルキウスの身体と心に容赦なく痛め付ける。
そしてタルキウスの虚ろな瞳からは、一雫の涙が零れ落ちる。
◆◇◆◇◆
漆黒が空を覆う闇夜を打ち払うかのように、太陽が東から姿を現す朝。
「タルキウス様、今日はどのくらいで起きてくれるかしら」
リウィアにとってある意味一日で最大の苦難はこの瞬間かもしれない。
眠っているタルキウスを起こす。
内容はそれだけだが、それがリウィアにとっては大きな苦難であった。
ただでさえタルキウスは、一旦寝ると中々起きない体質だったのだが、それに加えて日頃の国王としての激務等で疲れが溜まり、しかも寝る時間が遅くなってしまった事などが重なり、余計に朝が起きられなくなっていたのだ。
リウィアはタルキウスが眠る寝室の扉の前で足を止めて一呼吸を置く。
そして、これから戦場に赴く兵士のような顔付きで扉を開ける。
「おはようございます、タルキウス様」
無意味な行為と思いつつも、一応挨拶をして中に入る。
当然の如く挨拶への返事は無い。
代わりにベッドの中からこの部屋の主の寝息が微かにリウィアの耳に届く。
「やっぱり起きてませんよね。まあ分かってはいますけど」
そうは言いつつも、リウィアは自身の気配を押し殺して、ゆっくりとタルキウスが眠るベッドへ近付く。ほんの少しでも日頃の激務で疲れているタルキウスが眠る時間を増やしてあげたいと思いながら。数秒の差ではあるが、たったそれだけの時間でもタルキウスにとっては貴重な時間なのだ。
そうしてベッドの前まで来ると、リウィアはそっと布団の中で眠るタルキウスの寝顔を覗き込む。
そこにあったのは、気持ち良さそうにすやすや眠る愛らしい寝顔、ではなかった。
まるで声を押し殺すかのように唇を噛み締め、額には汗を浮かべ、苦しそうにしているタルキウスの寝顔だ。
「……うぅ。……くぅ」
「タルキウス様、また、悪い夢を見ているのですね」
リウィアは自らの手でタルキウスの額の汗を拭う。
タルキウスはこうして悪夢にうなされる事が度々あった。
今でこそ黄金王と呼ばれ、エルトリアの絶対者として君臨しているが、タルキウスは元々人を傷付けるくらいなら自分が傷付いた方が良いと考えるほど純粋で心優しい少年だったのだ。
それが国王としての責務を果たすため、私情を投げ捨てて、多くの国を滅ぼし、多くの人の命を奪ってきた。
その事について口にこそしないが、日々罪悪感に押し潰されそうな思いをしているという事をリウィアは知っていた。
本来であれば、今すぐにでも叩き起こして悪夢から解放するべきなのだが、リウィアには別の思いもあった。
「このまま眠ったままの方がタルキウス様にとっては幸せなのでしょうか」
眠ったままなら、もう戦う必要は無い。大勢の人の命を奪って、彼が罪悪感に浸る事も無くなる。そんな事をつい考えてしまう事がリウィアにはあった。
リウィアはベッドに入り、彼の横に寝転ぶ。そして少しでも悪夢が和らげばと祈りながら、ギュッとタルキウスの小さな身体を抱き締めた。
「例え世界の全てがタルキウス様の敵となっても、世界中の人々がタルキウスの不幸を願ったとしても、私だけはあなたの味方です。私だけはあなたの幸せを願います」
すると、その思いが通じたのか、しばらくするとタルキウスの表情は僅かに穏やかなものとなる。
「これで少しは良い夢を見て頂ければ良いんですけど」
そう言ってリウィアは起き上がる。
「できればもう少し寝かせてあげたいですが、そろそろ起きてもらわないと」
ここからリウィアの一日で最大の苦難が幕を開ける。
「タルキウス様! 朝ですよ! 起きて下さい!!」
ベッドから降りて早速タルキウスの身体を揺すって起こそうとする。
しかし当然の如くタルキウスがこれで起きることはない。
「タルキウス様! もう起きないと寝坊になってしまいますよ!」
更に大きな声で叫び、更に強めにタルキウスの身体を揺する。
しばらくリウィアの悪戦苦闘が続いた後、タルキウスの瞼がピクリと動く。
「ん。んん~。……リウィア?」
やっと起きてくれた。そう思い、朝の挨拶を述べようとした瞬間、先にタルキウスの方が口を開く。
「ねえリウィア。もしかして俺、またうなされてた?」
思いもしなかった言葉に、リウィアは唖然として言葉を失う。
「え?」
一瞬、いいえと返そうかと思うも、タルキウスの澄んだ黒い瞳はどんなに誤魔化してもすぐに見抜いてしまいそうだと思い、大人しく白状する事にした。
「はい。うなされていました。悪い夢でも見たんですか?」
「いや。正直、どんな夢を見てたかよく覚えてないんだよね。でも、リウィアが辛そうな顔をしてたから、もしかしたら心配させちゃったかなと思って」
タルキウスの優しさにリウィアは嬉しさと同時に複雑な気持ちも感じた。
タルキウスはどんなに自分が辛くてもそれを表に出そうとはせず、他人の事を気遣ってばかり。
「……ええ。とっても心配しましたよ。このまま全然起きてくれなかったら、寝坊して朝のお仕事に遅れてしまうんじゃないかって」
「え? そ、そっち?」
「はい。この前も寝坊してしまったばかりなんですから。タルキウス様も少しは自分でも気を付けて下さいよ!」
「う、うん。努力するよ」
まったく予想外の方向に話が向かった事に動揺するタルキウス。
「お願いしますよ! この前もそう言って寝坊しそうになったんですから」
「う! あ、あれは! ……ていうかリウィア。そんな話をしてて良いのかな? このままだと朝食の時間が無くなっちゃうよ。せっかく今日は起きられたんだから、今日はゆっくり朝食が食べられるね! あ~腹減ったな~!」
朝食の時間が無くなっちゃうよ、と言ってリウィアからのお説教から逃れようとするタルキウス。
しかし表情はどこか楽しそうである。
彼にとっては、こうしたリウィアとの何気ない日常こそ、日頃の疲れも王としての責務も忘れて、ただの一人の子供になれる大切な時間だった。
「ふふふ。それもそうですね。では、この話はまたの機会にしましょうか」
リウィアは自分のお説教に怯えつつも、何とか逃れようとするタルキウスを見て安堵する。
本来、タルキウスのような子供はこうあるべきだ。
多くの人をその手で殺めてきた罪悪感や国王としての重責に苛まれるのではなく、親に叱られるのを何とか逃れようと頭を悩ませる方がずっと自然だとリウィアは思った。
そんな事をリウィアが考えている間に、タルキウスはベッドから降りて寝間着をその辺に脱ぎ捨てる。
「リウィア、早く着替えて朝食を食べに行こうよ~。俺、腹減ったよ~」
タルキウスは目が覚めてしばらくは眠気に襲われるも、次第に眠気から食欲に脳がシフトするのだ。
「ふふ。はいはい。分かりました」
無邪気に己の空腹を訴えるタルキウスの姿を微笑ましく思うリウィア。
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