聖女とテルマエに

 太陽は既に沈み、日光に比べると頼りない月明かりが地上を照らす中。

 宮殿の廊下もだいぶ暗くなっていたが、日光の代わりに廊下の壁に等間隔で設置されている照明用の魔法道具が起動して廊下を照らし出した。

 照明の光は、柱や壁の材料に用いられている黄金に反射して、灯りを拡散し、僅かな灯りでも充分な明るさが確保されている。

 これならば夜であっても暗くて足元が見えない、などという事は起きないだろう。

 このように、エルトリアでは数々の魔法道具が開発され、人々の生活水準を向上させていた。特にここ黄金大宮殿ドムス・アウレアは最新式の魔法道具が惜しみなく投じられている。


 そんな人類の芸術と技術の結晶とも言える宮殿の廊下を通って、タルキウスとリウィアは、タルキウス専用の浴場である国王専用大浴場へとやって来た。

 まず脱衣室に入ったタルキウスは、身に付けている衣服をあちこちに脱ぎ捨てながら駆け足で浴場へと向かう。そんな彼の後に続くリウィアは、タルキウスが脱ぎ捨てた衣服を回収して籠に片付けた後、自身も衣服を脱いで浴場へ足を運ぶ。


 国王専用浴場は、外の黄金で豪華に装飾された内装とは違って、純白の石造りの内装をしていた。

 大浴場の奥には、エルトリアで信仰されている海の神ネプトゥヌスの石像が設置され、その左には豊穣の女神ケレスの像、右には健康の女神サルスの像が置かれ、サルスが携えている壺からお湯が流れて浴場に注がれているという仕組みになっている。

 そんな湯舟の中を、タルキウスは軽快に泳いでいた。


「タルキウス様! お行儀が悪いですよ! お風呂で泳いではいけません!」

 まるで母親のように叱り付けるリウィア。


「は~い!」

 タルキウスもそれを素直に受け入れて泳ぐの止めた。


 エルトリア人にとって入浴とは非常に重要な文化である。人によっては一日のほとんどを浴場で過ごす事もあるほどだった。

 そのためエルトリアの王は、国民への施しとして立派な公衆浴場テルマエを建造する事も多々ある。そして、ローマの各地に築かれた公衆浴場テルマエのどこよりも壮大な造りをしているのがこの国王専用浴場である。


「もう!真っ黒な身体で湯船に浸かって……。ちゃんとお身体を洗いますから、上がってきて下さい」


 タルキウスが椅子に座り、リウィアは彼の身体を庶民では中々手に入らない高価な石鹸でゴシゴシと洗っていく。その間、タルキウスは改めてこの大浴場を見渡す。

「やっぱりこの風呂ってちょっと大き過ぎるよねぇ」

 ほぼ毎日、この風呂に浸かっているタルキウスですらたまに感じるほど、この風呂は大きかった。


「ふふ。そうですねえ。タルキウス様が可能な限り豪華絢爛に作れって注文するからですよ」


「だ、だって。まさかこんなにすごい奴ができるなんて思わなかったんだもん!」


 この黄金大宮殿ドムス・アウレアは、タルキウスの国王即位直後に彼がローマの町を焼き払った後に建造された建物である。なので当然、建築にはタルキウスも少なからず関わっているが、彼がこの宮殿の建築を一任した宮廷建築士に出した注文は「世界で最も豪華絢爛な宮殿に仕上げろ」の一言のみだった。

 その建築士は予算に糸目はつけないというタルキウスの言葉から、持てる才幹の全てを出し尽くし、予算を一切考慮せずに作ったのがこの宮殿である。


 そしてこの国王専用浴場にも彼の趣向が存分に凝らされている。

 白一色に統一された内装は、外の黄金で彩られた建築に比べると華やかさに欠けるが、浴槽の傍に設置されているネプトゥヌス像とその両脇に並ぶ女神像の精巧な造りとその美しさが際立っていた。


「それにしてもタルキウス様、また筋肉が付いたんじゃないですか?」


「え? そうかな?」


 タルキウスの身体はまだ幼く細身ではあったが、ほどよく筋肉が付いて引き締まった身体つきをしている。


「そうですよ。毎日頑張ってトレーニングをされている成果ですね」


 タルキウスは生まれつき底無しの魔力量と優れた魔法のセンスを持っていた。

 そこに目を付けた実父の先代国王によって過酷な軍事訓練を課せられ、国王になる前から最前線に出て戦う事もしばしばあった。そして国王になって以後も身体が鈍らないようにと、出来る限り修練の時間を毎日設けるようにしていた。


「タルキウス様は頑張り屋さんですから。これからもっともっとお身体も大きくなるんでしょうねえ」


「そうだよ! 今はまだ小っちゃいかもしれないけど、これからどんどん背も伸びるからね。そのうちリウィアだって追い越しちゃうかもよ!」


「ふふ。それには、いっぱい食べて、いっぱい運動をして、いっぱい寝ないといけませんよ。前の二つはともかく三つ目は大丈夫ですかね~?」


 国王として忙しい日々を送っているタルキウスは、最近寝不足に悩まされる事が増えていた。

 と言っても、タルキウスにも問題はあった。いくら国王親政と言っても、流石に部下に任せればいいだろう、と誰もが思うような事まで自分で抱え込んで自ら仕事量を増やしてしまう事が度々あった。その都度、リウィアが注意をしているのだが、一向にその癖は治る気配がない。


「うぅ。こ、これからはリウィアの言う通りに、もっと寝るようにするよ!」


「そのお言葉を信じてますよ」

 リウィアとしてはタルキウスは頑張り屋で真面目だから、あれもこれも自分で抱え込んでしまう、という事をよく理解していた。

 本音を言えば「頑張って偉いですねえ」と褒めてあげたいところなのだが、それをしてしまうとタルキウスはまた褒めてほしいと思って、これまで以上に仕事を頑張り出すのは明白である事も理解している。なので、この件に関してはタルキウスの健康のためにも褒めたりはしないよう心掛けていた。


「うん! それに身体が大きくなるだけじゃないよ! 俺はもっともっと強くなって、最強の魔導師になるんだからね!」


 タルキウスが今よりも強くなる事を望んでいるのはリウィアも知っている。しかしリウィアには、タルキウスが更に強くなるというのが想像できなかった。


 現在、エルトリアでタルキウスに勝てる魔導師は一人もいない。

 それどころかリウィアはタルキウスが戦闘で負けたところを、いや、苦戦したところすら見た事がなかった。まだ十一歳という幼さでタルキウスは既に人間の限界に到達している。そうリウィアには思えてならなかった。


 だがタルキウスは違う。日々上を目指して頑張っている。その凄まじい向上心をリウィアは素直に尊敬していた。


「はい! タルキウス様は最強の御方ですから。絶対に誰にも負けたりしません!」


 屈託のない笑みでそうリウィアが答える。

 それを聞いたタルキウスは満面の笑みを浮かべた。

 リウィアはタルキウスこそ最強の存在だと信じて疑わない。その絶大な信頼に応えたい。それがタルキウスがより高みを求める最大の原動力となっていたのだ。


 グウウギュルルル~

 タルキウスのお腹が豪快に鳴った。


「あ、あのさ。リウィア、腹減った」

 後頭部を掻きながら照れ臭そうに言うタルキウス。


「おっと。そうでしたね。では、そろそろ上がって夕食にしましょうか」


「やったー!」

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