王国の闇

 エルトリアは国王が支配する君主制の王国だ。

 しかし実際に、この国を動かしているのは、王族を含めた神々の末裔シミディウムと呼ばれる神の血を引く者達だった。


 行政の実務を司る政務官せいむかんや国王の諮問機関である元老院げんろういんの議員達は、貴族階級パトリキと呼ばれて、由緒ある神々の血筋を持つ事からエルトリアにおいて高い権勢を誇っている。


 神の血を持たない大多数派の平民階級プレブスを極一部の貴族階級パトリキが支配する。

 それがエルトリアという国、いや、この世界にある全ての国の在り方だった。


「亡き父上の代で、その有り様は頂点に達した」


 黄金大宮殿ドムス・アウレアで尤も豪華絢爛な広間“大鷲の間おおわしのま”の玉座にあるタルキウスは、嫌悪感を示すかのように眉間に皺を寄せている。


「平民には長い兵役と重い税を課し、貴族には数々の特権を認めた。おかげでエルトリアは巨大な軍事国家へと成長したが、国内には不満と怠惰が蔓延り、国としては醜く腐り果ててしまった。これを是正するのは父上の後を継いだ俺の仕事だ」


「タルキウス様……」

 リウィアはどこか悲しそうな顔で玉座に座るタルキウスを見る。

 彼女は知っていたのだ。

 タルキウスが先代国王トリウス王の施政を酷く嫌悪しつつも、父親として彼を敬愛しているのだという事を。その証拠に、タルキウスは必ずトリウス王の事を“父上”と呼ぶ。


「この国の膿は俺が全部出し切ってやる!」


「はい! タルキウス様なら必ずできますよ!」


「ふふふ! それじゃあ早速、仕事を始めようか!」


 今日の最初の仕事は、ある人物の謁見を受ける事だった。


 今のタルキウスは、黒色のトゥニカを着て、その上から赤紫の生地に金色の縁飾りをしたトーガを身に付けている。両腕に純金で作られた腕輪を嵌め、頭には黄金製の月桂冠を被っていた。

 そして右手には、王家に代々伝わる杖が握られている。長さはタルキウスの幼い身体と同じくらいで、先端には大きなダイヤモンドが取り付けられていた。

 まだ幼い少年王は、身なりを整える事で少しでも威厳を持たせようとしているのだ。


 宮殿の衛兵に案内されたその人物が大鷲の間へと足を踏み入れる。


 綺麗な生地のトーガを身に纏った四十代半ばくらいの赤髪の男性は、玉座の前まで来るとゆっくりと跪く。


「お初にお目にかかります、黄金王タルキウス陛下。私はガリア属州マッシリア市長を務めますナシディウスと申します」


 黄金王おうごんおうというのは、タルキウスの渾名だ。

 巨大な黄金の宮殿を建てた事に由来している。


「うむ。遠路遙々ご苦労であった。で、今日は一体何用で参ったのか?」

 まだ幼い子供の声色をしながらも、その声には大国の王としての威厳に満ちしていた。


「はい。半年前の津波で受けた被害の復興が思うように進まず、陛下のお力に縋りたく参った次第です」


「そういう事は総督に相談すべき案件だろう」


 エルトリアは、イタリア本土を除くと数多くの属州ぞくしゅうによって国土が形成されている。

 ガリア属州の中の都市マッシリアは、ガリア内陸部と海を繋ぎ、そしてイタリア本土とも交易路を繋ぐ海上交通の要所。

 しかし半年前の津波で、港は壊滅的被害を受けており、その復興が急務となっていた。


「総督閣下には何度も予算を増やして頂きたいと相談しているのですが、財務官様の許可が下りないと言われ、復興費用が確保できていない状態なのです」


「そんなはずはない。マッシリアの復興は余の勅命で財務官に既に命じている」


「しかし実際には、現場には銅貨一枚すら下りてきておりません」


「……事情は分かった。財務官には余から話を着けておこう」



 ◆◇◆◇◆



 それからのタルキウスの動きは迅速だった。

 すぐに財務官ルキウス・ドミティウス・アノバルブスを呼び出した。


 エルトリアに十人配備され、エルトリアの財政を担う財務官ざいむかんの一人であるアノバルブスは、ガリアなどの属州へと予算配分を担当している政務官だった。


「陛下、突然のお召し、一体何事にございましょうか?」

 よく肥え太った中年貴族は、礼節に則った態度でタルキウスに頭を垂れる。


「半年前の津波被害を受けたマッシリアの復興が思うように進んでいないらしい」


「ほお。それはそれは大変ですな。マッシリアはガリア経済の要。ここの復興が一日でも遅れれば、それだけエルトリアには莫大な損失が生まれてしまいます」


「まったくもってその通りだ。だが、聞くところによれば、原因は財務官のそなたが予算を出し渋っているからという事らしいぞ」


 タルキウスの言葉を聞いたアノバルブスは小さく笑みを零す。

「私が? ふふふ。何を言われますか。お戯れを。そのような事をして私に何の得があるのです?」


「そうだな。例えば復興予算を自分の懐に仕舞い込んでいる、とか」


「な! へ、陛下、証拠も無しにそのような事を口にするのはお止め頂けませんか?」


 アノバルブスが一瞬見せた動揺に、タルキウスは彼が何か自分に隠し事をしている事を確信した。


「ふふふ。許せ。……だが、余としても消えた予算の行方は気になるところなのだが?」


「……実を申しますと、陛下。大変、申し上げにくいのですが、マッシリアの津波被害によってガリア属州からの徴税が思うように集まらず、国庫からの歳出を削らざるを得ないのです」


「それはそうだろうな。ではこうしよう。そなたが提言していた新軍団創設案を白紙撤回し、その浮いた金をマッシリアの復興予算に当てる」


「ッ! そ、それはお待ち下さい! へ、陛下、お言葉ですが、金など平民や属州からかき集めれば宜しいではありませんか? 先王陛下はそうしてこのエルトリアを大きくされてきました」


「それでは民が飢える。そなたは余に民無き国の王になれというのか?」


「ははは。民など虫のように湧いて出ます。いくら搾り取ろうともご懸念には及びませんよ」


 その時、タルキウスの怒りの沸点は吹っ切れ、玉座から勢いよく立ち上がる。


「ルキウス・ドミティウス・アノバルブス! そなたの財務官の職を解く」


「は? な、なぜです!? 理由をお聞かせ下さい!」


「分からぬか? 余の命に背いて復興予算の支出を渋り、己の提言を押し通そうとした。そして何より余の民を虫呼ばわりした。これはこの二つだけ取っても余への不敬罪として罪過を問うには充分だ」


「し、しかし、」


「あくまで拒むというのなら、そうだな。余に刃を振って挑んでみるか?」


「く、くぅ……。そのような真似、できるはずがありますまい……」

 逆らえば今ここで殺される。アノバルブスにもはや選択肢は無かった。


「では決まりだな。そなたの新軍団創設案を白紙撤回。その予算を全てマッシリアの復興予算に当てる。それから、そなたの邸も一度調べさせてもらうぞ」


「……」

 アノバルブスは何も答えなかった。邸を調べられれば、これまでの不正の証拠は全て露見してしまう。

 それを承知で、邸を調べられるのを拒む術がアノバルブスには無かったのだ。

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