第44話・緊急の伝令2

 手際よく精製し終えた薬を青色の瓶に移し入れていく師の横で、少女は額から浮き上がり始めた汗を袖で拭っていた。

 隙間時間に片手で食べられるようにと二口程の大きさにカットされたサンドウィッチの皿が視界に入った途端、急にお腹が減り出してくる。それまでの集中力が一気に削がれてしまうが、キリの良いところまではと魔力を振り絞った。


「ふぅ……」


 煮出しが終わった鍋を作業台に乗せ換えると、レイラの口から思わず息が漏れた。休憩している内に自然に冷めてくれることを期待して、熱された鍋から手を離す。


「お茶、淹れさせていただきますね」


 魔力疲労を和らげる薬草茶のブレンドを選んで、ポットに少し多めに入れる。熱いお湯でじっくり蒸らしてから、二つのカップに注ぎ入れた。


「ありがとう。さすがに疲れるわね」


 受け取ったカップの温かさを手の平で慈しむと、ベルは軽く息を吹きかけて冷ましてから口を付けていた。マーサが用意してくれた食事から、ピックを刺した黄色の果実を選んで頬張っている。さっぱりとした甘さが、休みなく作業していた身体を優しく癒してくれるようだった。


 食事の置かれた簡易テーブルを囲むよう、レイラと向かい合って丸椅子に腰かけるが、ベルの食がそれ以上進む気配はなかった。考えごとをしながら、薬草茶をゆっくりと味わうように数度に分けて口をつけている。


「ベル様?」

「あら、何かしら?」


 心配そうにこちらを見ている弟子は、相当お腹が空いていたのかサンドウィッチの皿をほとんど空にしていた。根野菜を薄切り肉で巻いた総菜のピックを手に取っては淀みなく口に入れていく。


「ふふふ。繰り返しの作業はお腹が空くわよね。こっちも食べていいわよ。何なら、おかわりを頼む?」

「あ、いいえ、大丈夫です。ベル様もちゃんと召し上がって下さい」


 レイラの方に寄せられてきた皿を押し返し、恥ずかしがって慌てて首を横に振った。


「そろそろ魔力も無くなってきているでしょう? 今やってるのが終わったら、先に休みなさい」

「いえ、まだ平気です。お腹いっぱいになったので、もう少しくらいは――」


 言いかけるレイラの言葉を、ベルは静かに首を振って遮った。これから何日も続くかもしれない状況で初日から無理をしていてはダメだと諭す。


「起きた事故の規模は分からないし、叔父がどのくらいの支援を考えておられるかも分からないのよ」


 思っていたよりも傷薬の在庫が残っていた為、先のブリッドの便で送った分と合わせれば、今作りかけている物で最初の支援分の傷薬は賄えるはずだ。明日以降に依頼される分はまた日を改めて作ればいいと、渋る弟子を宥める。


「回復薬はどのくらいお作りになられるんですか?」


 複数の薬草をそれぞれ煮出したり濾過や精製したりを繰り返さなければならず、回復薬は作業工程がとても多い。作業の早いベルでさえ、ようやく一回目の調合が終わって瓶詰めできたところだった。

 レイラに問われて、ベルは顎に指を当てて首を傾げて考えていた。


「そうね。材料があるだけは作らないといけなさそうね。次で瓶は無くなるだろうし、あとは粉末でかしら」


 全てを使い切るつもりで、仕入れ先である道具屋へは薬草の追加発注をかけてある。おそらく今夜中には店にある全ての薬草を送ってくれることだろう。


「そんなに、ですか……」

「仕方ないわ。個人のやり取りではないもの」


 薬の支援は単にお隣さんが困っているようだから手助けしてあげる、などという人道的な理由では無くなっている。今後の二つの領の関係を左右する案件へと移行しているのだ。ベルは今、森の魔女としてではなく、グラン家の一員として動いていた。


 世知辛いと言ってしまえばそうなのだが、叔父がこれを機に今後の切り札を手に入れたがっているのなら、別邸に住まわせてもらっている身としては協力を惜しむつもりはない。この館だから、猫達との生活が保てているのだ。


「叔父様に恩を売りつける、絶好の機会だわ」


 悪戯っぽく微笑んでいられるところを見ると、森の魔女にはまだまだ余力がありそうだ。座ったまま一度大きく伸びをすると、ベルは作業台の傍へと戻っていく。

 まだ食事途中のベルの皿には埃避けの布をふわりと掛け、レイラは自分の分の空いた皿を積み重ねて調理場へと運んだ。


 ホールを通り抜ける時にソファーで毛繕いしていたティグと目が合った。いつもはベルと一緒に二階の主寝室で眠っている時間帯だったが、今日はベルが終わるまでそこで待っているつもりなのだろうか。


「夜中でも甘い物なら召し上がっていただけるかしらね。お嬢様は忙しくなると、食が雑になられるから」


 そう言いながら、マーサは一口大にした果実の一つ一つにピックを刺し、軽く摘まめる焼き菓子に添えていた。


「明日はどうなるかは分かりませんし、私はこれをお持ちしたら先に休ませていただきますわ。レイラさんもお嬢様が良いと言われたら、無理をせずにお休みをいただきなさいな」

「はい、そうさせていただきます」


 運んで来た皿を洗っている後ろから声を掛けられ、マーサとおやすみの挨拶を交わす。綺麗になった食器を乾いた布で拭いてから棚に戻していると、ホールでナァーと会話する声が聞こえてきた。


「随分とお待たせしてしまったわね。じゃあ、お休みしましょうか」

「ナァー」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る