第43話・緊急の伝令

 魔の森の奥深くに建つ館が、もうすぐ夜の闇に包まれようとしている時刻。風のない静かな庭園に、オオワシがゆっくりと翼音を立てながら降り立った。その鋭い爪を携えた二本の足でしっかり握り締めた綱で吊り下げているのは、一辺が一メートル以上もある大きな木箱だった。


 すでに結界の揺らぎによって、自身の契約獣の到来に気付いていた森の魔女は、ブリッドが着くと同時に入口扉から姿を見せた。今夜の訪れは、ベルが呼び寄せたからではない。


「あら。何かあったのかしら?」


 主の姿を見つけて、嬉しそうに駆け寄ってくるオオワシの頬を撫で、運ばれて来た木箱の中を覗き込む。この時間に契約獣を使って持ち込まれたということは、翌朝の庭師の配達では間に合わないような、急ぎの要件なはずだ。


 木箱に入れられていたのは、最近はあまり本数を見なくなった青色の薬瓶と、橙色の小瓶と一通の封書。純白の封筒を裏返してみれば、馬の意匠を施した朱色の封蝋に加えて、ベルにとっては叔父でもある領主の名前が記されていた。

 それを見た瞬間、ベルは小走りで館の中に入り、夕食の支度中だった世話係を呼ぶ。


「マーサ、手紙を開封するからナイフを持って来て。それから、レイラはブリッドが運んで来た荷物を中に入れてくれるかしら」


 調理場で作業していた二人は何事かと慌ててホールに顔を出した。不思議そうにしている二人へ、ベルは手に持つ手紙を掲げる。


「領主の名における、緊急の伝令よ」


 マーサから手渡されたナイフで封を開け、ベルは椅子にも腰掛けず、その場で手紙に目を通し始める。ブリッドを使い、領主の名を記して送られて来た封書と、大量の空の薬瓶。多くの薬を必要とする緊急の案件なのは間違いない。


 レイラを手伝って荷物を運び入れていたマーサも、心配そうに主の様子を気にしていたが、余計な口出しはしない。緊急時の判断をするのはこの館の主であるアナベルなのだから。


「アヴェンで大規模な鉱山事故が起こったそうよ。薬の支援を求めて来たらしいから、回復薬と傷薬をあるだけ送ってくれって」

「んまぁ、また鉱山事故ですか? 確か、昨年も――」


 マーサは驚きと嘆きの入り混じった表情で、口に手を当てていた。世話係の言う通り、前回の事故からまだ一年足らずしか経っていない。あの時もアヴェン領では薬不足に陥っていた。その際、次に同じようなことがあれば領主間で協力体制を取るという取り決めをしたと聞いている。


 魔石の掘削を主な産業とするアヴェン領にもベル達のような薬魔女は存在する。だが若い魔法使いは魔力補充の仕事に偏りがちで、魔女の高齢化が他よりも進んでいるのが現状だった。


 グラン領内での混乱を避ける為に、薬店や他の薬魔女達への通達が必要ならば、時間をおいてから行われることになるのだろう。だが、ベルは領主と同じグラン一族の人間であり、領主の庇護下に置かれた薬魔女だ。いち早く動き、グランの名に恥じぬ働きを求められている。


「とりあえず、作業部屋にある物を確認して先に送って、残りは今から作るわ」

「あ、在庫は私が見て来ます!」


 作業部屋へと走って向かうレイラの後ろ姿を見送ってから、ベルは手に持っていた封書とナイフを世話係へと渡す。記されていた必要量は頭に入っている、あとは薬をただ作り続けるだけだ。


「私にも何かお手伝いできることがありましたら、お申しつけ下さいませ」

「そうね、じゃあ、作業しながら摘まめる物を作ってくれる? しばらくは籠らないといけないようだから」

「かしこまりました」


 指示を受け、マーサは軽く頭を下げてから調理場へと戻っていく。途中、足元を擦り寄って来る子猫達に躓きそうになるのをギリギリ堪えて、いつもよりは少しだけ強い口調で嗜める。


「お嬢様達はしばらくお忙しいのだから、邪魔にならないようになさいな――あ、ご飯はもうすぐですからね」


 ご飯という単語に、ソファーの上で丸くなっていたティグの耳がピクリと反応する。子猫達は調理場の中までマーサに付いて行ったが、危ないからとすぐに追い出されていた。


 作業部屋に入ると、必要な薬草の確認をしていく。大量の薬草茶の納品を控えていたおかげで、途中で材料が足りないということにはならなさそうだ。最近は粉末薬ばかりを卸していたので薬瓶もそれなりに残っていた。


「粉末化は手間が増えるから、まずは瓶がある分だけを作ることにするわ。レイラには傷薬の方を任せてもいいかしら?」

「分かりました!」

「あ、魔力疲労を起こす前には休むようにすること」


 倒れるまで頑張ろうと極端に意気込んでいた弟子は、思惑がバレて少しはにかんでいた。緊急の伝令だけど、そこまで急がなくていいと宥められ、意欲を削がれてしまったと気落ちしていたが、無理までする必要はどこにもない。


 両手で抱える大きな壺に乾燥した薬草を目一杯詰め込んで、ベルは蓋をしてからその側面に手を添え、薬草を粉砕していく。その隣ではレイラがベルの使っている物の半分にも満たないサイズの壺に傷薬用の薬草を入れて、同じ作業を開始した。

 壺のサイズも中への詰め込み具合も圧倒的に大きかったはずだが、レイラの壺がまだカサカサと硬い音を立てている内に、森の魔女は粉になった薬草を壺から大鍋へと移し替えていた。


「ゆっくりでいいのよ。レイラのペースでね」


 焦って顔を歪めている弟子に、柔らかい口調で声を掛ける。同じ品質の物は求めるけれど、決して同じ早さを求めている訳ではない。

 レイラが粉砕した薬草を鍋いっぱいまで溜めた頃には、ベルは大鍋で煮出し終えた物を冷却魔法で冷ましていた。張り合うには少しばかり次元が違ったと気付き、以降は自分のペースを保つことに集中する。

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