第45話・緊急の伝令3

 調理場での片付けを終えたレイラが作業部屋へと戻って目にしたのは、右手を大きな壺に左手を大鍋へと添えて、粉砕と煮出しを同時に行っている魔女の姿だった。

 作業台とコンロとの間に立って両腕を伸ばしている様子は、ぱっと見では何をしているのかが分からなかった。が、二種類の魔法を同時に繰り出して調薬していると気付き、驚愕した。


「べ、ベル様?!」


 壺も鍋もどちらも扱うには相当な魔力を必要とするサイズだ。それを二つ同時に扱うということは、普通に考えて消費魔力も倍になる。ベルならば魔力を使い果たすことはなさそうだが、異なる魔法を並行して発動するには魔力以外の負担も出てくるはずだ。


「まずは夕食を召し上がって下さい! 無茶が過ぎます」


 簡易テーブルの上を見ると、あれから一度も手を付けられていない食事には布が掛かったままだった。マーサから頼まれて運んで来た焼き菓子と果実の皿も一緒に並べ、ポットに新しいお茶を淹れ直す。


「あら。心配ないわよ」

「いいえ、食事もとらずに作業させたなんて知れたら、私がマーサさんに怒られますから」


 さあ、とでも言うように皿の布を捲って、渋るベルを椅子に座らせる。温かいお茶から上がる湯気をしばらく見ていた森の魔女は残念そうにぽつりと呟いた。


「レイラ、最近ちょっと、マーサに似てきたんじゃない?」

「それは光栄ですね」

「ティグが待ってるから、早く終わらせたかったのよね」

「お利口にソファーで待ってましたよ」


 ソファーで丸くなっていたことを聞いて、ベルはとても嬉しそうだ。先に部屋に行って一匹で眠ることもできるのに、ベルが作業部屋から出てくるのを待ってくれているかと思うと、さらに気が逸る。


「お食事が終わられたら、私も先に休ませていただきますね」

「そういうとこよ、マーサっぽいのは」


 ベルが食べ終わらないとレイラも寝ない、という遠回しな脅しをおかしそうに笑って、根野菜の肉巻きを口に放り込む。

 時々、ベルは食べるという行為が面倒になってしまうことがあるようだ。別に小食という訳ではないから一度食べ始めたら、ちゃんと量を食べられるので、黙々と口に運んでいる様子にレイラは内心ホッとしていた。


 空になったカップに2杯目を注ぎ足した後、レイラは壁面の棚に並ぶ薬草の在庫を確認していた。回復薬で使う種類の一部は完全に空になっているので、今夜にベルが作る予定分は今着手している物が最後のようだった。

 夕刻に送られて来た瓶は全て詰め終わっていたので、空いている木箱にまとめていく。


「もうすぐ、ブリッドが追加の薬草を持って来てくれるわ」


 ブリッドはベルの契約獣だ。彼がどこにいるかは感覚で分かる。街を出てこちらに向かって飛んでいるから、数分後には結界を入ってくるだろう。


「じゃあ、薬を外に出して出迎えにいきますね。ベル様は召し上がってて下さい」


 レイラが入口扉を開いて木箱を外に運んでいる時、月の無い真っ黒な夜空からバサバサという大きな鳥の翼音が聞こえて来た。見上げると、オオワシがゆっくりと館の庭に降り立とうとしていた。

 そして、夜目が効くということは本来は夜行性の鳥なんだろうかという疑問が沸き上がってくる。


 ――確か、魔鳥図鑑がホールの棚にあったはずだし、後で調べてみようかな。


 ブリッドが運んで来た木箱には薬草が詰まった麻袋がぎっしりと積み込まれていた。必要な種類の薬草を道具屋にある分全部を送るように依頼したらしく、なかなかの量だった。木箱の中から麻袋を積み下ろし、代わりに薬瓶の入った木箱を積み込んでいく。


「夜遅くにご苦労さま。気を付けてね」


 いつも師がしているようにブリッドへ声を掛けてみるが、さすがに手を伸ばして触れる勇気はなかった。オオワシの方も聞こえているのか聞こえていないのか、返事すらしようともせず、レイラが積み荷から離れるとさっさと飛び去ってしまった。――つれないものだ。


 追加で運ばれて来た薬草を作業部屋へと移動させてから、ベルの食事の後片付けも終えると、レイラは宣言通りに二階の自室へと向かった。その際、ホールの棚から魔鳥図鑑を借りていくのは忘れなかった。


 ベッドの上で図鑑を開いていると、少しだけ開いたままの扉から順に子猫達が顔を出し、捲られるページにじゃれ付いたり、読んでいる書物の上に乗ってきたりと邪魔ばかりされて全く集中できそうもない。

 眠る前の読書は諦めて部屋の灯りを消してしまうと、さすがに夜も更けていたからか、小さな獣達は各々の好きな場所を陣取り、あっと言う間に寝息を立て始めた。


 すーすーという小さな寝息に囲まれて、赤茶色の髪の少女もまた深い眠りについていた。この館を訪れた時はショートだった髪は、少し伸びてセミロングくらいにはなった。


 翌朝、庭師のクロードが本邸より運んで来た荷物の半分は空の薬瓶が占めていた。ベテラン世話係を見習って、遠慮せずに先に休ませて貰ったのは正解だったと、レイラは作業部屋の一角に積み上げられた木箱を前に、しみじみと頷いていた。

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