第37話・ハイージュの薬店2

 薬店の前に停められたソルピットの魔女の荷馬車に、薬草茶の円柱瓶を入れた木箱を積み込むと、レイラは客足の落ち着いた店の中を窓越しに覗き見た。薬店に薬を納品に来るのは初めてだったから、まだ浮足立った気分は続いていた。


 薬魔女の中には薬店を通さずに個人間で薬の売買を行う者もいる。勿論、公的な許可を得ないと薬の販売することはできないので、そういった免許を取得した上で。

 以前の師だった老魔女は元々から直接販売しかしない人だった。ご近所や知り合いなどの決まった人達を相手に、必要とされる分の薬だけを作る昔ながらの薬魔女だ。薬店に卸すことなど考えたことも無さそうだった。


 なので、誰しもが薬店でいつでも買い求められる時代になると、リューシュカのような売り方は徐々に倦厭され、いつしか彼女の元に薬を買い求める人もいなくなっていた。レイラが弟子入りしたばかりの頃も、薬を作る姿よりも裏庭で栽培している薬草の世話をしている姿しか見ることがなかった。


「まだ買い足りない気もするけど、飲み切れないと困るのよね」


 荷台の薬草茶の瓶を確認しながら、ルーシーが自分自身に言い聞かせるように呟いている。新しく入った弟子と二人で毎日飲んだとしても十分過ぎる量だとは思うが、名残り惜しそうに購入した瓶の数を数えていた。


「あ、そうだわ。アナベル様が解熱剤の作り方をレイラに教えて欲しいって手紙に書いておられたのよね」

「ソルピット茸の解熱剤を、ですか?」

「ええ。解熱剤はアナベル様のよりも私の薬の方が、あなたには向いてるんじゃないかって」


 ベルの作る森の魔女の解熱剤のレシピは複数の薬草を使う。レイラの魔力量では扱えない薬に分類されてしまうので、代わりにルーシーの薬を作れるようになれればということらしい。


「宜しいんですか?」


 ルーシーの元には、以前にベルが紹介した新しい弟子が既に居る。しかも、ソルピットの魔女にとっては解熱剤は代名詞的な薬でもある。他の魔女の弟子に伝承レシピを教えてしまっても問題はないのだろうかとレイラは戸惑った。


「んー、別に構わないわ。いつもアナベル様には薬草のことを教えていただいてるし」


 それに、と付け足してルーシーは悪戯っぽく笑う。


「同じレシピでも作る魔女によって効果は違うでしょ。森の魔女様の弟子が作るソルピット茸の薬を見てみたいわ」


 揶揄うように顔を覗き込まれ、レイラは苦笑いした。先程のカミラへの対応といい、ルーシーが人見知りにも関わらずベルと気が合う理由が何となく分かった気がした。


「細かいことはアナベル様と相談しておくわね」


 そう言って、御者席に腰掛けて馬を繰り出す。後ろ手を振って帰路へと向かう黒髪の魔女へ頭を下げ、その後ろ姿が完全に見えなくなるまで見送ると、レイラは一人で薬店の中へと入った。

 売れてスカスカになった棚へ在庫を並べ直していると、見知った老人が幌馬車を店の前に横付けするのが窓越しに目に入る。急いで陳列を終わらせ、店主に挨拶をして店を出ると、外はもうすぐ日が落ち始めようとしていた。


「すみませんっ、お待たせしました」

「おう。もういいのか?」


 手綱を握る庭師は、少しばかり疲れが見え始めた少女の顔を心配そうに見て、幌のかかった荷台に乗るように勧めた。瓶を運ぶ為に荷台にはそれなりのフカフカしたマットが敷かれているから、少しくらいは休めるだろうと。


 手入れが施された馬車の揺れはとても優しく、幌の中は風も入って来ない為に心地良かった。空の木箱に背を凭れさせたレイラは、知らない内に目を閉じていた。夢か現かの区別はつかないが、老人が馴染みの馬に話し掛けている声が何度か聞こえてきたような気もするが、定かではない。


 閉め切っていた荷台の幌の一部が捲られ、薄ぼんやりとした明るさを感じてレイラがまだ重い瞼を開く。


「おう。起きたか」


 積み重なった木箱を一度に持ち上げて運んでいく庭師の姿が目に入り、レイラは慌てて起き上がった。座ったまま休んでいたつもりが、荷台のマットの上で完全に横たわって眠り惚けていたことに、顔が熱くなる。


「朝から店で立ちっぱなしだったからな、そりゃ疲れるだろ」


 ガハハと豪快に笑い飛ばされ、少女も釣られて笑ってしまう。

 レイラが薬店の手伝いをしている間には、一旦本邸に戻っていたという老人は、


「オレは休憩室でたっぷり昼寝させてもらってたけどな」


 そう言って、皺だらけの右目を瞑ってみせる。ウインクのつもりだろうか。

 レイラも手伝って積み荷を入口扉の前に降ろしていると、老人が幌の中を覗き込んで渋い顔をしていた。


「おい。もう閉めるから降りてくれよなー」


 困っているのか笑っているのか分からないような声に、レイラも一緒に中を覗いてみる。いつの間にか潜り込んだのか、荷台の中の匂いを嗅ぎまわっている縞模様のオス猫。


「あ、ティグちゃん?」

「にゃーん」


 散歩から戻って来たところだろうか、見慣れぬ幌馬車に興味津々で入り込んだ猫は、クロードの声掛けも無視して荷台をウロウロしていた。


「お前、今回はうちの馬車だから良かったけど、他所の馬車には乗るんじゃねえぞ。知らないところに連れてかれるぞ」

「にゃーん」


 まるで孫か何かに言い聞かせるように、老人は猫を相手に小言を聞かせている。翼があるから飛んで帰ってきそうだけど、と思いながら、レイラは彼らのやり取りに吹き出しそうになるのを堪えていた。

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