第17話・猫の人見知り

 護衛騎士と共にジョセフが街へと戻って行った後、森の館にはいつもと変わらない時間が流れていた。どこからともなく戻って来た猫達は、まるで前からそこに居たかのように各々のお気に入りの場所にいた。


 5人が並んで座れそうな程の大きなソファーでベルの横にぴたりと凭れかかって、縞模様のオス猫は念入りに毛繕いをしていた。ベルベット風の手触りの良い布が張られたダイニングチェアーの上に隠れるように丸くなっている三毛の母猫は、一見すると眠っているのかと思いきや、長い尻尾をだらりと垂らして椅子の下にいる白黒の子猫、アヤメにじゃれさせている。

 他三匹の子猫、セリ、ラン、カエデに至っては、ホール内を自由に走り回り、尻尾を太く毛羽立たせて騒いでいた。


「ふふふ。さっきまで、どこに居たのかしらね」


 傍らで目を瞑り始めたトラ猫の背を撫でながら、走り回る子猫達を目で追う。従兄弟と騎士には決して姿を見せることなく、静かにどこかへ避難していた猫達。この人見知りの強い性質が、猫を幻獣たらしめるのだろう。彼らが安全だと判断した人間以外の前には決して現れないのだから。


「ティグからも認められないなんて、ジョセフも大概よね」


 かつては虎の子供と偽って、冒険者だったベルの父と共に街で生活していたことがあるトラ猫。そのせいか、ティグは他の猫達よりも人見知りが少ない。弟子入りを願いに来た者達の審査でも、一番に顔を見せるのは必ずティグだった――レイラの場合は、外で先にナァーと出会っていたが。


「レイラも、猫みたいだったわね」

「すみません……猫のことを聞かれたら、何て誤魔化せばいいのか分からなくって……」


 ダイニングテーブルに夕食用のセッティングをしながら、レイラは恥ずかしそうに俯いた。

 すっと調理場へと逃げ込んだ姿を思い出して、ベルは小さく微笑む。あの場に居続けなくてはいけない理由は無かったので、特に問題はない。下手なことを口にしてしまうよりは、賢明な判断だとさえ思う。


「猫じゃなくて、亡霊がいるって噂になってるそうよ」

「亡霊、ですか……」


 ここに来てまだ日も浅いレイラからすれば、分からなくもない噂だ。魔獣の多い森の奥にぽつんと建つという館のことは、実際に訪れた者から話を聞く以外にない。なので、森の中の一本道をただひたすらに進んだ先に、これほど広く拓かれた場所があって、庭園付の建造物があるとは想像がつかない。


「私も最初、少し怖かったですね。森の道で馬を走らせてる時とか」


 荷馬車がギリギリすれ違える程度の幅の道は、森の木々に光を遮られているせいで一日の大半の時間帯は薄暗い。人工的に整備されているから気味が悪いとまではいかないが、レイラのように心細く感じる者も少なくはないだろう。


 何にしても、人が寄り付かないのは良いことだ。猫達との暮らしを守る為にも、亡霊の噂はほどほどに続いていて欲しいものだ。


「そう言えば、一人で夕食の準備をしてくれていたのね。マーサが感心していたわ」

「いえ、調理場ですることが無かったので」


 逃げ込んだ先の調理場で手持ち無沙汰だったレイラは、残っていた洗い物などを済ませた後、夕食用のパンを捏ね、スープとサラダの準備をしていた。さすがにメインは作れなかったが、何もせず隠れているのは落ち着かなかった。


「無理はしないようにね。そうだわ、こういう時の為に休憩室に本棚を作って貰いましょう」


 名案だと手を合わせたベルに、好きな書物を持ち込んで良いからと言われ、レイラは目を輝かせた。ホールの壁面に並ぶ書籍の中から毎日一冊ずつを部屋に持ち込んで、寝る前にベッドで読んでいるのだが、まだまだ読みたい物がたくさんある。休憩室にも置いておけるのなら、日中に時間を作って読み進められるかもしれない。


「他にもやりたいことがあれば言っていいのよ?」


 調薬やマーサの手伝いをしている時以外は、もっと好きなことをすれば良いのにとベルはレイラの顔を覗き込んだ。急に言われてもと少し考えていたレイラだったが、


「薬草の採取に行ってみたいんです。この近くに群生地のある薬草が図鑑に載っていたので、それを取りに」

「あら、館の裏のね。自分で取った薬草で調薬してみるのも悪くないわ。でも、遠くはないけれど、レイラ一人では危ないわ」


 迷うような距離でもないし、魔獣除けがあれば大丈夫かもと思ったが、ベルは首を横に振る。少し考えていたようだが、ちらりと傍らのトラ猫を見た。


「ティグ、頼んでもいいかしら?」

「にゃーん」


 猫の返事に満足そうに頷くと、レイラに向かって微笑みを返した。


「ティグに付いて行って貰えばいいわ。最強の護衛よ」

「猫の護衛、ですか……」

「あら。不安ならナァーちゃんも連れて行けばいいわ。二匹なら、竜が出て来ても倒してくれるから」


 ダイニングテーブルの下から「ナァー」という三毛猫の鳴き声が聞こえた。二匹の猫から護衛の了承を得たものの、少し不安になってきたレイラは持って来た荷物の中に魔獣除けの魔石があったはずだと思い返していた。

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