第15話・館の噂

 長身の青年が森の魔女と向かい合ってソファーに腰掛けるまでに、敏腕の世話係は散らかったテーブルを神業のような素早さで片付けた。ベルにより雑に放置されていた手紙や書類の束も、積読状態になっていた書籍もまとめて、脇に置いたワゴンの下の段にささっと突っ込み、目隠しの布で覆い隠す。


 マーサの指示でティーセットが乗ったワゴンを押し運んで来た見習い魔女は、その手際の良い動きに惚けたように見入ってしまっていたが、慌てたように客人に向かって深々と頭を下げた。


「彼女が例の新しい弟子?」

「ええ、レイラよ。マーサのお手伝いもして貰っているわ」


 マーサと共にお茶の給仕をする少女に、ジョセフはにこりと微笑みかける。ベルとは違い社交の場に出慣れている彼の笑顔は、例え作り笑顔であっても至極自然体だ。


 弟子入りなのに侍女相当の給金の申請が森の別邸から届いた時は驚いたが、ベルよりもマーサの補助が多いのなら妥当だと判断した。

 使用人の多い本邸では分担されている業務も、ここでは世話係一人でこなしていたのだから、人員が増えたことでマーサが少しでも楽になればと、ジョセフは喜んで承認の判を押した。


「彼女もかなりの魔力持ちなのかな?」

「強くはないけど、道具を選べば調薬も問題ないわ。薬草の覚えも早いし、お茶のブレンドはほとんど任せてるのよ」


 そこまで言って、ベルは丁度良かったわと両手を合わせた。近い内に従兄弟宛に手紙を送ろうと思っていたが、直接頼めるならこれ以上楽なことはない。


「薬草茶のブレンドを、領外に出すのは可能かしら?」


 薬じゃないから大丈夫でしょう? と嬉々とした瞳を不意打ちで向けられ、飲みかけたお茶でむせ返りそうになるのをジョセフは必死で堪えた。

 物心を付いた頃からつい最近まで、この自由奔放な従姉妹とは婚約者という間柄だった。ベルが森の魔女として調薬する道を選んだことで婚約の話は解消はされたものの、彼の気持ちは幼い頃より変わりはしない。ずっと振り回され続けているが、彼女以外の伴侶は考えられなかった。


 そんな従姉妹が活き活きと話す新たな計画は、森の魔女印の薬草茶を他領でも販売すること。調薬された薬は領外での売買は禁止されているが、乾燥薬草をブレンドしただけなら合法ではないかと、次期領主でもあるジョセフに確認を取っているのだった。


「成程ね。薬草の需要も増えるし、ガラス工房の支えにもなるってことだね」


 グラン領の財源は魔の森にまつわる資源が主だ。その主軸の一つである薬草が薬以外でも消費量が増えるのは喜ばしいこと。さらに、ベルが提案した薬の粉末化によって薬瓶の生産量が落ちてしまったガラス工房へ、代わりの瓶の生産を増やす手助けにもなる。


「君の薬草茶の人気は、僕も聞いているよ。今度、出入りの商会に話してみよう」

「ジョセフが聞いたっていう噂は、薬草茶のことだったのかしら?」


 着いて早々に彼が言っていた、館の噂。ブレンド茶の売れ行きに関することなのかと聞き返すベルに、ジョセフは首を横に振った。歯切れ悪く、そして従姉妹から気持ちばかり視線を逸らして口を開いた。


「噂っていうのは、その――ここに、何かが居るんじゃないかって」

「何かって?」


 お茶のおかわりを準備をしていたマーサの手が止まるのを、ベルは視界の端でとらえたが気付かないふりを通した。レイラに至っては、万が一追及されることがあったら嘘を付き通す自信がないと、調理場へと引っ込んでしまう始末。


 分からないふりをしながらも、猫達の居場所を守れる方法を思案する。聖獣という扱いを受けている以上、存在が明るみになれば国が動いてくる可能性もある。


「いや、ここに弟子入りを願いに来た者達が言うには――」


 レイラの時に限らず、弟子入りを乞われれば全ての者に同じ条件を出していた。「この館に住んでいる子達に認めて貰えるなら」と。

 猫の審査を通らなかった者には軽い忘却の魔法を施してから帰宅させるようにしていたが、つい面倒になってその内の何人か、一匹も猫が出て来なかった者達にはリラックス効果の強いお茶を飲ませるだけで済ませたことがあった。


 さすがにティグや子猫達の姿を見た者への忘却魔法はきちんとかけたつもりだったが、それに漏れがあったのかもしれない……。


「この館には、何か霊的な物が居るんじゃないかって噂が出回っていてね」

「霊?」

「そう、館に憑いている亡霊が見えなければ弟子にはなれないと、君から提示されたとか」

「亡霊……」


 確かに、姿を確認できなければ何がいるのかは分からない。実際に見た者にしか間違っているとは分からないし、この館が魔の森の奥深くに建つという状況が、よく知らない者からすれば陰気で謎めいているように映ってしまうのだろう。それが今回は亡霊という噂へと繋がったのか。


「ここで亡くなった人は誰も居ないわ」

「まあ、そうなんだけどね。場所柄、そういうイメージを持たれやすいんだろうね」


 レイラという新しい弟子を迎えたことで、これ以上の噂は流れないだろうというのがジョセフの見解で、ベルもそれには同調した。


「まさか、幽霊屋敷の扱いを受けているとは思わなかったわ」


 そう言えば近頃、館へ売り込みに来る行商人の数も減っていたかもしれない。特に気にしていなかったが、そういうことだったのだろう……。

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