第12話・ブリッドの手紙

 契約獣のオオワシが運んで来た手紙から目を離すと、森の魔女は弟子の方を振り返って、静かな声で伝えた。


「リューシュカが亡くなったそうよ」


 一年近くを従事していた老魔女の死。彼女にとって事実上の最後の弟子となったレイラはベルの言葉をすぐには理解できなかった。

 飛び去っていく大きな鳥の姿を見送りながら、「そうなんですね……」と呟き返すのが精一杯だった。


 実家を出て初めての従事先で、独り住まいの長かった老女はとても静かな人だった。魔女らしい姿はほとんど記憶に無く、ベッドに横たわって薄く微笑んでいる顔しか思い浮かばない。


「馬を呼んであげるから、お別れに行ってきなさいな」

「いえ、大丈夫です」


 首を横に振り、少しばかり俯き加減になった少女へ、ベルはそれ以上の言葉を掛けなかった。彼女と老魔女がどのように関わって来ていたのかは知らないし、特に積極的に知ろうとは思わない。


 館の入口扉を引くと、レイラの背を押して先に中へと促す。次いで館内に入ったベルは、普段通りにソファーに腰掛け、テーブルの隅に積み上げたままになっている書物から一冊に手を伸ばした。


 気持ちの折り合いは周りからどうこう言われて付けられるものではない。一人で静かに過ごしたいのであればそうすれば良いし、いつも通りでいたければ止めはしない。ベルからそう告げられた後、レイラは小さく頭を下げてから調理場へと向かっていった。昼食の支度をしているマーサを手伝う為だ。


 ふぅと長めに息を吐いた魔女は、膝の上の書物へ視線を戻し、ページを捲った。知らない内に自分の周りに猫達がみんな集まって来ていることに気付き、順に頭を撫でてやる。


「どんな別れも、辛いわよね」


 思い思いにベルの周りで寛いでいる猫達は、ただ傍にいるだけだった。普段と変わらない時間が少女の寂しさを埋めてくれることを祈って、森の魔女は書物へと視線を戻した。



 午前のマーサの手伝いがひと段落したところで、レイラはホールに備え付けられた壁面の本棚を眺めていた。ぎっしりと並んだ書籍はこの館を初めて訪れた時にその数に圧倒されてしまった程だ。


 世話係が曰く、読み終わっても元の棚に戻さないというベルの気質そのままに、分類を無視した並び方をしていて、魔導書と薬草図鑑の横に旅行記があったりと支離滅裂だ。

 好きに読んで良いという許可はベルから貰っているので、その突拍子もない並び順に困惑しつつ、書籍の題名を端から目でなぞっていく。


 そしてふと、見知った冒険譚の背表紙が目に入った。ソルピットの魔女のところでも読まされた、子供向けに実話を元に描かれた物語『虎とはぐれ魔導師』だ。

 専門書ばかりが並ぶ本棚では少し異質にも感じたが、これがここにあるのは至極自然なこと。なんせ、この実在する主人公は今は王都にいるというベルの実父なのだから。


 本に手を伸ばすと、立ったままパラパラと流し読みを始めたレイラは、物語の中盤でページを捲る手を止めた。


「あれ?」


 振り返って、ソファーで薬草茶を口にしている魔女の横を見た。縞模様の成猫はベルに凭れ掛かるように身体をくっ付けて眠っていた。


「ティグちゃんの名前って、この物語の虎から来てるんですね?」


 猫の名付けの由来を発見したと、少し得意そうに言う弟子に、ベルは目を細めてから首を横に振ってみせる。


「ティグはティグ。この子にティグと名付けたのは父よ。その物語に出てくる虎は、実際には虎じゃなくてトラ猫なの」


 物語の中で魔導師と共に戦って古代竜を討伐したという契約獣の虎が、本当は虎模様の猫だったという事実。信じられないと目を丸くするレイラに、ベルはふふふとおかしそうに笑った。


「考えてもみて、ただの獣の虎に竜が倒せるかしら?」


 レイラはまだ見たことはないが、聖獣である猫は光魔法を使うらしい、その威力は魔導師の火魔法よりも遥かに超え、焼き尽くすどころか一瞬で消し炭と化してしまう程。


 だが、普段のだらりとした気の抜けた姿しか見ていないレイラには、猫がそんな力の使い手だとは信じ難い。

 もし目の前に竜が現れたとしても、いつの間にかどこかに逃げるか隠れるかしていそうで、最前線で勇敢に戦っている姿は想像すらできない。


 困惑顔の弟子の様子をおかしそうに笑いながら、ベルが付け足した。


「ナァーちゃんは、ナァーナァー鳴いているからってマーサが勝手に命名しちゃったのよ」


 そのまま過ぎて呆れたわ、とわざと眉を寄せてみせる。


「そう言えば、子猫達に名前は付いてるんですか?」


 ここに来てからまだ子猫達が個別に名前を呼ばれているのは聞いたことがなかった。もしかしてまだ名がないのかもとすら思っていた。


「ちゃんと名前は付いてるんだけど、呼んでも聞いてくれないのよね」


 残念そうに言いながら、父猫と同じトラ模様のオスはセリ、白黒のメスはカエデ、母猫に似た三毛のメスはアヤメ、黒で胸だけに白いブチがあるオスはランだと、ホールを走り回っている子猫を指差しながら説明する。


「遠い国の花の名だそうよ」


 遠い国、そう聞いて思い浮かんだのは、二階の一番手前の部屋を使っているという、レイラが会ったこともない女性のこと。

 子猫の名付け親でもあるその人がいるという遠い国とは、一体どこの国のことなんだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る