第11話・館の換気

 今日は調薬はせずに溜まっている手紙や書類の処理をすると宣言してベルが自室に籠ってしまうと、レイラが従事するのは世話係のマーサへと代わる。世話係という大雑把な役種名はついているが、この館の中で唯一の専属使用人であるベテランの彼女の仕事内容は恐ろしいほど多岐に渡った。


 主であるアナベルの身の回りの世話は勿論だが、掃除や洗濯、調理といった家事だけではなく、来館者の対応までもをマーサが一人で担っていた。領主本邸ならばそれぞれに専属の者が配置されているが、ここでは全てが彼女の仕事だった。


「それほど大変ではありませんわ。お嬢様は大抵のことはご自分でなさるから――少し雑ですけど」


 本邸から使用人の増員の話が出る度に、マーサはやんわりと断りを入れていた。楽ではないが大変でも無いと、どっち付かずの返答をし続けていたおかげか、レイラの給金を侍女相当額で申請したところ、あっさりと通ったらしい。

 手が足りないアピールは程よくしておくに限る。


「今日は良い風が吹いているようですから、客室の空気を入れ替えましょうか」


 森の中に建築されている故に、館内は湿気が籠りやすい。からりとした乾いた風のある日には窓を開けて空気を入れ替えることも大事だ。


 マーサと二人で二階へ上がると、ベルの居る主寝室以外の客室を順に開け放っていく。各部屋の扉と窓を開き、浴室やクローゼットの戸も全開にすると、普段は使われていない部屋のじめっとした空気が吹き流されていくようだった。


 奥から順に3つの客室を同様に開けていき、自分達の部屋も同じように。一気に開けば吹き通る風の道も増え、空気の循環も早い。


 残る一部屋、階段上がってすぐの部屋の扉を前に、マーサが少しだけ微笑みを見せたことに少女は気付いた。普段は扉が閉じられているが、使用中ということでレイラが選べなかった部屋だ。


「この部屋は?」

「今は遠い国にいらっしゃる方のお部屋ですわ」


 言いながらゆっくり開かれた扉の中は、特にレイラの使っている部屋と変わらなかった。ベッドとチェストだけが置かれたシンプルな室内は、他の客室と違わず清掃が行き届いた状態で、部屋の主がいつでも戻って来れる状態になっていた。


 部屋の奥に入って窓を開き、ふと目に入ったのはベッド横のチェストに置かれたブローチ。花のモチーフで中央に黄色の石が嵌め込まれていた。魔獣除けの魔石だろうか。魔石付きのアクセサリーはとても高価な物が多く、レイラが実物を見たのは初めてだ。それは白いハンカチの上に大事そうに置かれていた。


 風を通す為にマーサによって開かれたクローゼットには、女物の衣服が収められていた。淡い色の物も多く、ベルの物とは全く違うテイストで少し若そうに思えた。サイズと色合いから、持ち主はレイラと歳が近い気がした。


 軽い足音が聞こえて振り返ると、いつの間にか付いて来ていた猫達が、部屋の中の匂いを嗅いで回っていた。子猫達は興味本位で走り回っているだけのように見えたが、ティグとナァーはベッドやクローゼットの中の衣類に擦り寄って、まるでこの部屋の主のことを懐かしんでいるようだった。


「猫達も知っている方なんですか?」

「ええ。この子達を森から連れて帰って来られた方ですわ」


 マーサの口ぶりから、この部屋の主はベルに近しい人だと察したレイラはそれ以上の詮索は控えた。もし領主一族だったら、余計な探り入れは不敬に当たるかもしれない。

 ベルは特に気兼ねなく接してくれてはいるが、踏み込んではいけない領域はきっとあるはずだ。


 猫達を部屋の外に追いやりながら、また順番に窓や戸を閉めて回る。今日はとても良い風が吹いていたようで、館内の空気が一掃されたように感じた。

 全てを閉め終えた頃、二階の一番奥にある主寝室の扉が開いた。


「ブリッドが来たわ、何かしら?」


 そう言いながら、少しばかり早足で部屋を出ていくベルの後をレイラも釣られて追いかけた。

 玄関の扉を開いて外に出た二人の前に現れたのは、全長2メートル程ある大きな鳥――この大陸で最大の魔鳥であるオオワシだった。鋭く大きな口ばしと、鱗で覆われた足には鋭利な爪。


 息を飲んでその場に固まってしまったレイラに、ベルは安心させるように微笑むと、オオワシの元へ近寄り、その顔に手を伸ばして口ばしに加えている手紙らしき物を取ってみせた。


「この子は私の契約獣だから、大丈夫よ。ご苦労様、ブリッド」

「ギィ、ギィ」


 返事するように鳴く契約獣は主から頬を撫でて貰い、嬉しそうに首を上下させていた。


 契約の魔法儀式を行えば獣とも主従関係を結んで、ある程度の意志の疎通が出来るようになるというのはレイラも書物の上での知識としてはあった。けれど実際に契約された獣を見たのは初めてだ。

 そもそも、その契約の儀式を行える程の魔力を持っている魔法使い、否、魔導師がどれくらい存在するのか。


 ――やっぱり、ケタ違いだわ……。


 呆気に取られているレイラの前で、ベルはブリッドが運んで来た手紙に目を通していた。通常の手紙は本邸からの荷物と一緒に運ばれてくるのだが、急ぎの場合は街にいる仲介人のところからオオワシを使って連絡が取られるらしい。

 読みながらベルが眉を寄せているところを見ると、あまり良くない知らせなんだろうか。

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