第7話・開いたままの扉

 調理場の隣にある使用人用の休憩室で、レイラはマーサと一緒に遅めの夕食を取っていた。掃除や調理などの館内の一切を一人で仕切っているという世話係は、本邸と別邸も合わせると30年ほどを領主家に仕えているという。間違いなく、ベテランの侍従だ。


「お口に合うかしら?」

「はい! とても美味しいです」


 お行儀は悪いが、口の中にたっぷり頬張りながらもレイラは即答する。マーサが満足そうに微笑み返してくれる。

 一年近くをレイラが老魔女の介護で過ごしていたという話を、ルーシーからの紹介状で知ったみたいだ。だから、実年齢よりも大人びた子なのかと思っていたが、ちゃんと年相応の幼さも持っていると安堵している。


「誰かに作って貰った温かいご飯は、すごく久しぶり……」


 スプーンを握る手を止めて、目の前のスープ皿を見つめる。大好きだった老魔女のお世話は苦じゃないと思い込んでいたが、本当は少し辛かったのかもしれない。家を出るまでまともに家事をしたことが無かったから、作れる料理も限られていたし、ベッドから出てこない師の給仕をした後に、一人で食べる食事は味気なかった。


「あら、明日からはレイラさんにも館の仕事をお手伝いしていただくつもりですよ?」


 魔女としての修行が無い時に家事を担うのは、住み込みの弟子として当たり前のこと。そう思ってリューシュカのところでは全ての家事をこなしていた。ただ、肝心の魔女修行が全くなかったけれど。

 今から考えると、弟子というよりは侍女のような生活だ。でも、侍女ではないので賃金は勿論ない。蓄えも無ければ、魔女としての知識も技能も身に付かず、リューシュカに言われるまでは他の魔女に弟子入りし直すという考えも浮かばなかった。世間知らずというよりは、世間を知る余裕すらなかった。


「お嬢様もそれほど積極的に調薬はされないですから、私のお手伝いの方が多いかもしれませんね」


 ほほほ、とおかしそうに笑むマーサの穏やかな声に、レイラは頑張りますと大きく頷いて返す。これまでは一人で全部をやってきたことを考えると、お手伝い程度で済むのなら何て楽なんだろう。



 自室として使うことになった二階の部屋へ戻る際、それまではソファーで本に目を通していた森の魔女から忠告を受けた。


「扉は閉じてはダメよ。少しだけ開けておきなさい」


 防犯対策でちゃんと鍵をかけるように言われるのかと思いきや、真逆のことを言われた。レイラは意味が分からず、目をぱちくりさせる。けれど、師から言われたことは真摯に守り、寝る前には拳一つ分の隙間を開けておいた。

 少女にその理由が分かったのは、森が完全に静まり返った夜中のことだった。


 静かな音を立てて扉がさらに開いた気がして、まだ少し寝ぼけたレイラがベッドの中から部屋を見回す。その時、毛布の上から何かが圧し掛かってくる重みを感じる。決して重くはないが、確かに何かがレイラの上に乗りかかっているのだ。


「?!」


 驚いて上半身を起こし、自身のお腹の辺りを確認してみる。すると、窓から差し込む月明かりに照らされて光る二つの瞳と、浮かび上がる縞々。


「みー」


 父猫そっくりなトラ模様を持つ子猫が、レイラのお腹の上でゴロゴロと喉を鳴らしていた。手を伸ばすと、少女の身体の上を器用に渡って寄ってくる。その小さな頭を撫でてやると、自らも顔を擦り寄せてきた。


「おいで。一緒に寝る?」


 毛布を少し上げて隙間を作ってやると、子猫はするりと中へ入り込んでくる。毛布の中でレイラの身体に身を預けるように凭れかかり、ゴロゴロと喉を鳴らす。しかし、しばらくするとスースーと小さな寝息を立て始めた。


 ぴたりと子猫に密着された状態に、こわごわと目を閉じたレイラだったが、ふんわりとした猫毛の感触と、温かい体温。そして小動物特有の小さな寝息に、釣られるように眠りに落ちていく。


 ギシギシと身体が軋むような痛みを感じてレイラが目を覚ました時、寄り添って眠っていたはずの子猫の姿は毛布の中から消えていた。代わりに感じるのは、身体を固定するかのように圧し掛かる毛布の重み。

 そっと半身を起き上げて見ると、レイラの足や腰のラインに沿うように眠る四匹の猫。


「いつの間に……?」


 他の三匹が部屋に侵入してきた記憶はない。知らないうちに増えていた。

 毛布を上から四か所も固定されていたせいで、寝返りが打てない。その反動が身体の軋みとなっていた。


 子猫達を起こさないように、そっとベッドを降りると、両手を伸ばして大きく伸びをする。思わず「くっ……」と声が出てしまうくらい、身体は凝り固まっている。


「まあ、子猫達はみんなレイラさんのところへ?」


 身支度を整えてから調理場へ降りて行くと、すでにマーサが朝食の準備をしているところだった。朝の挨拶を済ませた後、猫達が夜中に侵入してきた話をすると、おかしそうに笑っている。


「親猫達はいつも決まった部屋で眠るんですが、子猫達はいろいろでしたのよ。親に付いて来たり、ソファーで眠ってる子もいたのに」


 四匹も大変でしたわね、と同情を含んだ目を向けてくるところを見ると、マーサも猫兄弟に押しかけられた経験があるようだ。


「来ないように、扉を閉めておくのはダメなんですか?」


 開けっ放しにしておくから侵入されるのであって、閉めておけば良いのではと、とても当たり前のことを聞いてみる。そんなレイラへ、マーサは眉を寄せて首を横に振ってみせる。


「扉に爪を立てながら、開けるまで大鳴きされるんです……」


 夜中に部屋の前で大騒ぎされるくらいなら、音もなく忍び込まれる方がマシということだ。レイラは焼き立てののパンを窯から取り出しながら、今後も扉は開いたままにしておこうと心に決める。

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