第4話・森の魔女

 薬魔女になりたくて弟子入りした最初の師は高齢で魔力も乏しく、まともに調薬を見せて貰えたのはたった三回だけだった。そして次に訪ねた先の魔女は人見知りが激しく、やっと話が出来たかと思った途端、別の魔女への弟子入りを勧めて来た。

 学舎を卒業してから、もうすぐ一年が経とうとしていたのに、一度も調薬の手伝いもさせて貰えないまま、レイラは15の誕生日を知らない内に越していた。


 目の前の大きな扉が開くのを待つ間、ふうっと小さく溜息を洩らした。ここで弟子入りを断られても、ソルピットの魔女が面倒を見てくれると言っていたので別に路頭に迷う訳ではない。


 ただ、この大きな建物と、森の魔女の噂に怖気づいてしまっているだけ。ここが本物の領主別邸だというのは、扉に嵌め込まれている紋章を見れば分かる。初代が馬好きということで馬を意匠に使っているのは有名な話だ。


 音もなく静かに開いた扉の中から顔を出したのは、使用人らしき年配の少しふくよかな女だった。


「あの、ソルピットの魔女様からご紹介いただきまして、森の魔女様に弟子入りのお願いに参りました」


 震える声でそう言うと、レイラは丁寧に頭を下げた。


「ソルピットのというと、ルーシー様でしょうか?」

「はい、薬魔女のルーシー様です」


 知らないと言われたらどうしようかと思っていたけれど、ちゃんと知り合いだったと胸を撫でおろす。作法としてどうなのかは分からなかったが、黒髪の魔女から預かって来た手紙と手土産を出迎えてくれた使用人に手渡した。


「ソルピット茸の干した物だそうです」

「お預かりいたしますわ。主に確認させていただきます。どうぞ、お掛けになってお待ちくださいませ」


 入口から入ってすぐに設置された大きなソファーへレイラを案内すると、使用人らしき女は主に伝えに奥の部屋へと向かった。

 一人で待つ間、レイラは広いホールを見渡し、丁寧に磨き抜かれた室内と高級そうな調度品に目を奪われ、圧倒されていた。部屋の中央にあるダイニングテーブルは十人分の椅子がゆったりと備わる規模だし、何よりも彼女の興味を一番に惹いたのは壁際の棚にぎっしり並んでいる書籍だった。


「すごい……」


 思わず声を漏らしてしまい、慌てて口元に手を当てた。ソファーの座り心地にも慣れず、身体も心もふわふわと落ち着かない。座り直そうと立ち上がりかけた時、先程案内してくれた使用人の後ろに、栗色の長い髪の女性の姿が見えた。横に流した少し癖のある前髪の下に見える整った顔に、黒のロングワンピース姿。レイラが想像していたよりも随分と若い。

 その場で慌てて立ち上がり、レイラは深く頭を下げる。


「はじめまして。レイラと申します」

「ルーシーからの紹介なのね」


 レイラの向かいに腰掛け、少女にも座るよう促すと、森の魔女アナベル・グランは世話係から受け取った手紙を開封した。預かった時点でも少し分厚いなと思っていたが、何が書いてあるのか便箋5枚を使って綴られた手紙をアナベルこと、ベルは時折小さく微笑みながら読んでいた。

 全てに目を通し終えた後、ベルは少し困ったような表情でレイラを見た。


「弟子入りは構わないのだけれど、一つだけ条件があるのよね」

「条件、ですか?」


 魔力量には自信はない。この館に張り巡らされた結界の規模からして、目の前に座っている魔女の魔力量は膨大だ。同じレベルにはどんな修行をしても届きそうもない。


「この館に住んでいる子達に認めて貰えるなら、構わないわ」

「?」


 言われた意味が分からず、首を傾げる。――この館に住んでいる子達?


「ほとんどの子は大丈夫だとは思うんだけど……」

「手強い子がいますからねぇ」

「マーサは最初から平気だったわね」


 傍に控えるマーサと呼ばれた世話係が、「当然です」と自信あり気に頷いていた。


「あの、私は何をすれば良いんでしょうか?」


 その、館に住んでいる子達というのに認められるには、何をどうすれば良いのかと困惑する。まず、それが誰のことなのかの紹介も説明もない。


「何もしなくて大丈夫よ」

「何か書物でも読まれますか?」

「あ、それなら先生の本を読んで貰うといいわ」


 魔女の指示で用意され手渡されたのは『我が国における迷い人の軌跡』という一冊の書物。中心街の学舎の教師が書いた物だという説明だけすると、


「調薬の続きがあるから、後はマーサに任せるわね」


 魔女はまた奥にある部屋の方へと消えていった。調薬ということは奥に作業部屋があるのだろう。残されたマーサは静かに頷くと、レイラの為にお茶を淹れ始めた。


「あの、本当に何もしなくていいんですか?」

「ええ。何かしていても、何もしなくても出る結果は変わりませんから」


 ――やっぱり、言われている意味が分からない。


 考えるのは諦めて、淹れて貰ったお茶に口をつけた。温かいフルーツティのほんのりと甘い香りに少し落ち着く。なるようになれと、手渡された本のページを捲っていく。


 迷い人、つまり別の世界からの転移者について記されたその書籍は、実在したという過去の転移者についての研究書だった。彼らは光に包まれて突如現れ、そのままこの世界に定住し、今現在もその子孫だと名乗る家が存在する。この著者自身も迷い人の祖先をもつ家の出だという。

 そして、その迷い人の転移に関係するとされるのが、聖獣の光魔法。聖獣というと経典にもいくつか記載されているが、中でも実在する可能性がある梟か猫が転移に関わっているのではないか、というのがこの著者であるケヴィン・サイトウの仮説だった。


「聖獣……?」


 思わず呟きを漏らしたレイラの足に、するりと何かが擦った感覚がした。驚いて本から目を離して見ると、茶色の縞模様の毛を持つ獣が少女を見上げていた。


「にゃーん」

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