第4話・森の魔女
薬魔女になりたくて弟子入りした最初の師は、高齢で魔力も乏しく、まともに調薬を見せてくれたのはたった三回だけ。そして、次に訪ねた先の魔女は、人見知りが激しく、やっと会話が出来たかと思った途端、別の魔女への弟子入りを勧めてきた。
学舎を卒業してから、もうすぐ一年が経とうとしていたのに、一度も調薬の手伝いもさせて貰えないまま、レイラは16の誕生日を知らない内に越していた。
目の前の大きな扉が開くのを待つ間、ふうっと小さな溜め息を漏らす。ここで断られても、ソルピットの魔女が面倒を見てくれるらしいし、別に路頭に迷う訳じゃない。
ただ、この大きな建物と、森の魔女の噂に怖気づいてしまっているだけ。ここが本物の領主別邸だというのは、扉の上部にはめ込まれている家紋を見れば分かる。初代が馬好きということで馬を意匠に使っているのは有名な話だ。
音も無く静かに開いた扉から顔を出したのは、使用人らしき年配の少しふくよかな女性だった。
「あの、ソルピットの魔女様からご紹介をいただきまして、森の魔女様に弟子入りのお願いに参りました」
震える声でそう伝えた後、レイラは丁寧に頭を下げる。正しい作法はよく分からないが、とにかく失礼がないようにと。
「ソルピットのというと、ルーシー様でしょうか?」
「はい、薬魔女のルーシー様です」
ここまで来て知らないと言われたらどうしようかと思ったけれど、ちゃんと知り合いだったことに胸を撫で下ろす。レイラは黒髪の魔女から預かって来た手紙と手土産を、出迎えてくれた使用人に手渡した。
「ソルピット茸の干した物だそうです」
「お預かりいたしますわ。主に確認させていただきます。どうぞ、お掛けになってお待ち下さいませ」
入口から入ってすぐに設置された大きなソファーへ案内すると、使用人らしき女性は主人へと伝えに奥の部屋へと向かっていく。
一人で待たされている間、レイラは広いホールを見渡し、丁寧に磨き抜かれた室内と見るからに高級な調度品に目を奪われ、圧倒されていた。部屋の中央にあるダイニングテーブルは十人分の椅子がゆったりと備わる規模だし、何よりも彼女の興味を一番にひいたのは、壁際の棚にぎっしりと並んでいる書籍。学舎にもここまでの蔵書数はなかった。
「すごい……」
思わず声を漏らしてしまい、慌てて口元に手を当てる。ソファーの座り心地にもなれず、身体も心もふわふわと落ち着かない。座り直そうと立ち上がりかけた時、さっき案内してくれた使用人の後ろに、栗色の長い髪の女性の姿が見えた。横に流した少し癖のある前髪の下の整った顔立ちに、黒のロングワンピース姿。レイラが想像していたよりも随分と若く見えたが、森の魔女アナベル・グランだ。
その場で慌てて立ち上がって、レイラは深く頭を下げる。
「はじめまして。レイラと申します」
「ルーシーからの紹介なのね」
レイラの向かいに腰かけて、少女にも座るよう促すと、森の魔女は使用人から受け取った手紙を開封する。預かった時点でも少し分厚いなと思っていたが、何が書いてあるのか便せん5枚を使って綴られた手紙をアナベルは時折小さく微笑みながら読んでいる。
全てに目を通し終えた後、アナベルは少し困ったような表情でレイラの方を見て言う。
「弟子入りは構わないのだけれど、一つだけ条件があるのよね」
「条件、ですか?」
魔力量には自信はない。それを理由に断られるのは覚悟している。この館に張り巡らされた結界の規模からして、目の前の魔女の魔力量は膨大だ。同じレベルにはどんな修行をしたって届きそうもない。
「この館にいる子達に認めて貰えるなら、別に構わないわ」
「?」
言われた意味が分からず、レイラは首を傾げる。――この館にいる子達?
「ほとんどの子は大丈夫だとは思うんだけど……」
「手強い子がいますからねぇ」
「マーサは最初から平気だったわね」
傍に控えるマーサと呼ばれた女性は住み込みの世話係らしい。「当然です」と自信あり気に強く頷き返している。
「あの、私は何をすれば良いんでしょうか?」
その、館にいる子達というのに認められるには、何をどうすれば良いのかと困惑する。まず、それが誰のことなのかの説明も紹介も何もないのだから。
レイラの質問に、森の魔女は楽し気に微笑み返して言う。
「何もしなくて大丈夫よ」
「え、何も?」
「何か本でも読まれますか?」
「ああ、こないだ買った本を読んで貰うといいわね」
魔女の指示で用意され手渡されたのは『我が国に実在していた英雄と聖獣との関わり』という一冊の書物。中心街の学舎の教師が書いた物だという説明だけすると、
「調薬の続きがあるから、後はマーサに任せるわね」
魔女はまた奥の部屋へと消えていく。調薬ということは、奥に作業部屋があるのだろう。残されたマーサは静かに頷くと、レイラの為にお茶を淹れ始める。
「あの、本当に何もしなくていいんでしょうか?」
「ええ。何かしていても、何もしていなくても、出る結果は変わりませんから」
――やっぱり、言われてる意味が分からない。
考えるのは諦めて、淹れて貰ったお茶に口をつける。温かい果実茶のほんのり甘い香りに少しだけ落ち着く。こんな豪奢な場所でお茶を飲む機会なんて今後一生ないかもしれない。もうなるようになれとやけくその心境で、手渡された本のページを捲っていく。
王国内で語り継がれている英雄達の成功には、聖獣の存在が深く関わっているという。本に名を連ねている英雄のことは学舎の授業でも取り上げられていたから、レイラもよく知っている。彼らは契約獣を使役して、魔物を討伐したり他国との戦争で戦果を挙げていたと伝えられている。
その契約獣と呼ばれていた存在の中には、経典の挿絵でしか姿を見ることが出来ないような聖獣もいたのではないかという一説。
――でも、あれって空想上のもので、実在はしないって習ったような……?
「聖獣……?」
思わず呟いてしまったレイラの足に、するりと何かが擦った感覚がした。驚いて本から目を離して見ると、茶色の縞模様の毛を持つ獣がこちらをじっと見上げている。
「にゃーん」
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