第2話・魔女ルーシー

 広大なグラン領の領地の半分以上を占めるのは、魔の森と呼ばれる魔獣の住まう森だった。獰猛な魔獣と遭遇する危険こそあれど、その肥沃な土地と自然豊かな森は領民の生活を支えている。


 薬作りを生業とする魔法使いのルーシーが拠点としているソルピット村も例に漏れず、森の恩恵を存分に受けている村の一つだった。森に隣接していることから材木業に携わる者の多いソルピットだが、近年はその廃棄材木を利用して茸の人工栽培を試みているところだった。特に村が一番力を入れているのが、解熱効果のある茸。通称、ソルピット茸。

 本来は森に近い雑木林で生えているのだが、他の茸と違って人の手で育てるのが難しい。


 ソルピットの代々の薬魔女はその茸を使った解熱剤の製薬を得意としていた。そしてそのレシピを今現在で唯一受け継いでいるのが、村の魔女ルーシーだった。レイラがリューシュカからの手紙を持って訪ねるようにと指示を受けた相手だ。


「ソルピットの解熱剤かぁ」


 見習いとは言え、薬作りを志す者としてレイラもその評判は耳にしたことがある。薬草中心の解熱剤よりも臭みがなく飲み易いのだが、主材料となる茸の希少性から割と高価な薬とされていた。


 師である老魔女の手配してくれた荷馬車に揺られながら、レイラはこれから出会う新しい師のことを考えていた。リューシュカが先代のソルピットの魔女の葬儀で見かけた時の印象は、大人しそうだと言っていた。要はその程度の関わりしか無かったが、先代の魔女とは懇意にしていたから弟子入りは断られることはないだろうと……。


 魔女の弟子入りはほとんどが押しかけから始まる。膨大な魔力があれば、王都から宮廷魔導師の誘いがあるとも言われるが、そういったのは至極稀なこと。

 魔力を持たない者の方が多いこの国では魔法使いは希少だが、レイラ程度の魔力量では攻撃魔法は使えないし、冒険者にも護衛にもなれない。魔力を使って働こうと思えば、魔石に魔力を補充する魔力屋か、薬魔女くらいしか道はない。


 1時間ほど荷馬車に揺られて着いたソルピット村では、至る所で積み上げられた材木の山を見かけた。耳を澄ませば木材の加工する音が聞こえ、数頭の馬が牽引する大型の荷馬車とすれ違うこともあった。


 物珍しくきょろきょろと視線を彷徨わせていた少女を乗せた荷馬車は、一軒の木造の建物の前で歩を止めた。ここがソルピットの魔女の屋敷なのだろう。


 御者に確認してから降りると、レイラは屋敷の扉の前に立ち、大きな深呼吸をする。老魔女からの手紙があるとは言え、この村の魔女と会うのは初めてだ。緊張するのは仕方がない。

 息を整え、入口扉を遠慮がちに二度叩く。


「……どちらさま?」


 ほんの少しだけ開いた扉の隙間から、長い黒髪の女が顔を覗かせた。上目遣いで怯えるように外の様子を確認している。


 ――この人が、魔女ルーシー?


「レイラと申します。魔女リューシュカ様の元から参りました」

「あ、弟子入りの……」


 どうやら老魔女からの先触れがあったようで、少女の訪問に驚きはないようだった。けれど扉の隙間は狭いまま、レイラを中に入れてくれる気配はない。


 振り返ると、荷馬車の御者が不思議そうな顔でこちらを見ていた。いつまで経っても開かない扉と、全く出て来ない家主に、荷台に積んだ荷物を降ろしてよいのか迷っている様子だ。


「あっ、魔女様から預かって来た手紙です」


 肩に下げていた鞄から老魔女の手紙を取り出して、扉の20センチばかりの隙間に突っ込む。黒髪の魔女はそっとそれを受け取ると、一歩下がって中身を確かめ始めた。


「どうしよう……」


 レイラの方をちらりと見てから呟いた。そして、その後に大きな溜息を一つ吐くと、扉へ歩み寄る。


「どうぞ」


 外側に向けて大きく開かれる扉。様子見していた御者は、待ってましたと荷物を荷台から降ろしていく。木箱が3箱だけの引っ越しはあっという間に終わり、荷馬車が去って行く後ろ姿をレイラは一人で見送った。


 扉を入ってすぐ横に積み上げて貰った荷物はどこへ運べば良いのかと、新しい師の姿を探してみるがすでに見当たらない。いくつかある扉のどこかの部屋にいるのだろうが、初めて来た屋敷だから見当がつかない。


「あのっ、魔女さまー?」


 とりあえず大声で呼んでみる。平屋のそこまで大きくはない屋敷だから、どの部屋に居ても聞こえるはずだ。

 しばらくすると、がちゃりと右手前の扉が少しだけ開いた。


「な、なんでしょう……?」

「持って来た荷物はどこに置けばいいですか?」

「えっと……隣の部屋を使って下さい」


 扉の隙間から腕だけを出して指差すと、魔女はまたすぐに閉じ籠りかけた。レイラは慌てて、言葉を足す。


「あと、お茶を淹れさせていただきたいので、調理場を使わせて下さい」

「……向こうの端です」


 静かに閉じていく扉に向かって小さく頭を下げると、魔女ルーシーが閉じ籠っている部屋の隣の扉を開いた。

 小部屋にはベッドと小さなチェストがあったので元から客室だったのか、それとも新弟子が来るのを聞いて新たに用意してくれたのだろうか。リューシュカの屋敷から持って来た木箱を運び入れると、レイラはその中の1箱を開けてガラス瓶を取り出した。


 瓶を大事に抱えて調理場へと向かい、壁面の棚からポットとカップと探し出す。少女が持ってきた瓶の中身は乾燥した薬草。魔力疲労に効く薬草が数種類ブレンドされていて、元の師が好んで飲んでいた物だ。


 瓶から乾燥薬草をポットへ移し入れてから蓋をする。そっと手を添えて魔法で湯を注いで数分ほど蒸らしてから、先に熱を加えて温めておいたカップ2つに分け入れた。シンク脇に立てかけてあったトレーに乗せると調理場を後にする。


「魔女様ー、お茶が入りましたー」


 四人掛けのシンプルなテーブルにお茶が入ったカップを置くと、部屋に向かって声を掛けてみる。冷めない内に出て来てくだされば良いのだけれど、と心配していたが、魔女の部屋の扉は割とすぐに開いた。


「お茶、ですか?」

「はい。薬草茶のブレンドを持って来てたのですが、いかがですか?」


 老魔女はこの薬草茶のことを「魔女には欠かせないお茶」だと言っていた。レイラ自身もこのお茶はとても好きだったので、黒髪の魔女も気に入ってくれると良いのだけれど――。

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