猫屋敷の見習い魔女 〜弟子入り先は猫だらけ〜

瀬崎由美

第1話・魔女見習い

 グラン領の中心街からほど近い、小さな村の片隅。そこに建つこじんまりとした屋敷は、しんと静まり返っていた。白髪を頭の低い位置でまとめた老魔女リューシュカは、ベッドの上で半身だけを起こして白湯をすすった。


 一度は口に含んだものの、好みの温度ではなかったらしく、手に持つカップに少しだけ魔法で熱を加える。気持ち程度に温かくなったそれを飲み直すと、ほうっと小さく息をもらした。カップから伝わるじんわりとした熱を手の平全体で感じ取ると、少し寂し気に目を伏せる。


「ぬるかった、でしょうか?」


 ベッド脇で木製のトレーを持って立つ少女は、魔女の様子に気付き、不安そうに聞く。彼女が用意した白湯では温度が足りなかったようで、老女がこっそりと熱魔法を使ったのを感じたのだ。赤茶色のショートヘアに、自信なさげな濃紺の瞳が揺れていた。


「いいえ、大丈夫よ。今日は少しばかり熱いのが飲みたくなっただけ」


 孫よりも若い弟子に向けて、優しく微笑んで見せる。

 14歳の少女が老魔女のところへ来てから、まだ一年も経っていない。その一年に満たない間、魔女見習いとして教えてあげられたことなんて、ほとんど無かった。日々の雑用と、最近では年老いて寝たきりに近い状態になった老女の介護を押し付けてしまったようなもの。


 白濁した瞳を細めながら、自分にとって最後の弟子へと落ち着いた声で言い聞かせる。


「レイラ、あなたはここを出て行きなさい。私ではもう、何も教えてあげられないわ」

「え……」

「知り合いの薬魔女に手紙を書いたわ。それを持って、訪ねなさい」

「でも、リューシュカ様おひとりでは――」


 自分の魔女修行よりも、年老いた師の心配をするレイラの手へ、皺だらけの手を伸ばして握ると、老魔女は諭すように頷いて見せる。


「私なら心配要りませんよ。息子のところでお世話になりますから」


 身体の不調が増え始めた時に気付いて、もっと早くにそうしてあげれば良かった。レイラの優しさに、つい甘えてしまったわと恥ずかしそうに笑っている。

 ベッド横の棚から封をした手紙を取り出すように指示すると、老魔女は空になったカップの底を見つめながら呟く。


「本当に、何も教えてあげられなかったわね……」


 急激に襲って来た老化と魔力の枯渇。弟子入りしてきたばかりの頃に、数度しか調薬作業を見せてあげられなかった。今の彼女はもう、魔女とは呼べないのかもしれない。


「本なら好きなだけ持って行っていいわよ」

「いいんですか?」

「ええ、ここに置いていても、私の目ではもう読めませんからね」


 師からの教えが何もない状態だったが、最後の弟子は時間を見つけては本を読んで、独学で魔法と薬草の知識を得ようとしていた。勉強熱心な弟子のことを誇りに思うと同時に、何もしてあげられなかった自分を責める。


「あちらの魔女様はお若いから、きっと大丈夫よ」


 代替わりしたばかりという隣村の薬魔女。今の魔女はまだ三十手前だと聞いているので、自分のように看病に明け暮れてしまうことはないだろう。


「どんな方なんでしょうか?」

「そうねぇ……とてもおとなしい方でしたわね」


 魔法の師からの、事実上のクビ宣告。レイラは台所の隅に置かれた本棚を黙って眺めていた。並んでいる本の数はそれほど多くはない。中心街からも遠いこの村には書店と呼べるものはない。けれども、歴代の魔女達が残した遺産がそこにはあった。


 レイラは薬草や魔法に関する本の数冊を手に取り、ぱらぱらとページをめくった。出来るだけ新しい情報が載っているもの、何度も読み返す価値のありそうなものを選ぶと、普段から使っている部屋へと運び入れる。


 この魔女の屋敷へ押しかけてから、まだ10ヶ月ほど。魔力量はそれほど多くはないが、レイラは薬を作る魔女になりたかった。薬魔女になるには弟子入りして、師からそのレシピを受け継ぐしかない。

 なので、学舎を卒業してから、知り合いのツテを辿ってこの村を訪れ、魔女リューシュカに弟子入りさせてもらった。


 高齢の為に魔力量が落ちていると言っていたリューシュカが、調薬作業を見せてくれたのは、たった三度だけ。その三度だって、一番簡単と言われている傷薬を、薬瓶数本分だけしか作らなかった。

 ――正直、弟子入り先を間違えたと思った。


 けれど、まるで実孫のように可愛がってくれ、いつでも優しく接してくれる老魔女のことは大好きだった。幼い頃に両親を亡くし、父方の祖母に育てられたレイラにとって、この屋敷は実家と同じくらい居心地が良かった。


 日に日に食欲が落ち、老魔女がベッドから起き上がれない日が増えてきたのは、ここ数か月のこと。近くの町に住んでいるという息子が顔を見に来る回数も増えてくると、師がもう長くないことはレイラでも気付く。

 白湯を温め直す力がまだ残っていたことに、逆に驚いたくらいだ。


 この先、どうすれば良いんだろう? ――そう不安に思っていたところだった。だから、今日の魔女からの話を聞いて、レイラは心の底からホッとした。

 何も教わっていない内に師を失った、中途半端な見習い魔女。今のレイラには一人で生きていく術はまだ何もない。


 老魔女から貰った封書の宛名は、隣村ソルピットの薬魔女ルーシー。おとなしい人だとは聞いたが、一体どんな魔女なんだろう。レイラの胸は、期待と不安で高鳴っていた。

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