第3話
「おはようございます」
ソノに声をかけられ、そっと目を開ける。
彼女はいつも朝食を部屋に持ってきてくれる、理由は「またどこかへ行くんじゃないかと心配」という事と、私の気持ちが落ち着くまでは桜樫華の従業員とは会わせられない、という事だった。
申し訳ない気持ちと、慣れない環境で結構胸が痛いが、彼女は気にせず机の上に料理をならべ、一緒に食べようといった。
従業員のいないお休みの時なんかは一緒に料理をしたり、お庭をいじったりしているのでそこまで窮屈というわけではないが
「暇だなあ……」
現代だとスマホでゲームとか本を読んだりとか、なんでも暇をつぶせたというのに、ここではそれができないためただダラダラするしかやることがない。
本も持ってきてくれてはいるが、あまり読書をするタイプではないため、読み終わる前に飽きてしまう。
「暇ですか」
ついぽろっとでた本音をソノが繰り返す
「あ、ごめんなさい。居候の身で……」
「いえまだまだお若いのに、こんなところにずっといては息が詰まりますよね」
そういって黙った彼女は、お茶を静かに飲む。
無償なのに甘えすぎたかな、と少し反省していると、彼女はふうとため息を一つ落とした。
「そうですね、では……桜樫華の従業員に挨拶して、今日は下町に出ましょうか」
「いいの?」
「ええ、もう大丈夫でしょう」
彼女が立ち上がり、少し待っていてくださいと言って出ていった。
どこへいったのだろう。
彼女はとても親切に世話を焼いてくれるが、時々こういう風にどこへ、なにをする、と言わずに消えることがある、そういったことの後は結構突拍子もないことをしてきたりするから不安が大きい。
しばらくして、戻ってきた彼女に「来てください」と言われたから素直についていく
広い大きな玄関に集められた従業員がざわざわと困惑していた。なぜ集められたのか見当もつかない様子で、首を傾げていた。
「さあ、心の準備はよろしいですか」
階段の上から彼女は声を上げた。
「みなさん、忙しいのに時間をもらってごめんなさい」
ネコ又、雪ん子、たぬき、鬼、などなど、いろんな妖がこちらを一斉に見た。
その数の多さに少しだけ怖気づいてしまい、そっと後ろに下がったが背を押され前に出される。
「この方は大野木柚子乃さん、龍帝からお預かりした大事なお客様です」
龍帝、という言葉にその場がざわつく。
どういった意味で騒いでいるのかは不明だが、それぞれが自由に話す為、何を言っているのか聞き取ることができずただの騒音となる。
手を二回叩く音
ぴたりと彼らのおしゃべりが止まる。
「話はまだ、終わってませんよ」
しん、と静まりかえるこの場で、さあ、とソノに言われる。
この空気の中で自己紹介をするのはなかなかキツイ。
「大野木柚子乃です。え、っとみなさん、お世話になります……?」
名前を聞いた後、近くのモノとひそひそと「人間だ」「珍しいな」「おかみさん大丈夫か?」などなど会話している。
困惑していると、一人の妖が手を挙げた。
「はい、女将さん」
「白羽さん、どうしました?」
朱色のアイラインを引いた十歳ぐらいの白と黒のグラデーションの髪色の女の子が屈託のない笑顔で訊ねた。
「そのお姉さんが帝様の新しいお嫁さんになって、一の方様を差し置いて人間なのにご正妻になるって本当ですか?」
その場の空気が凍り付く。
すぐ横にいた大人がすっぱーんと叩くように少女の口を押え、あわあわと混乱しながらも謝る。
「こ、こどもってのは想像力がすごくっていけねえや」
「本当にね、冗談いうんじゃないってねえ!」
ソノはいつものほほえみを崩さぬまま、首を傾げた。
「おかしなことを言うものですね」
そうですね、とみんな笑う。
さて、とソノは手を叩き仕事に戻るように言った。
逃げるように散っていく従業員。
ソノの女将としての腕前は確かなものなのだろう、彼女を少しだけ恐れるような素振りを見てきっちりとその地位が確立しているんだと理解できる。
「女将さん本日丑三つの時にお狐将軍様がいらっしゃるそうです」
「そう」
「お食事はいかがいたしましょう」
「軽いつまみと焼酎をいくつか用意を」
「はい」
「女将さん」
仕事に戻ると言ったとたん、残っていた数人がソノを囲み指示を仰ぐ
全てにきっちり答え、てきぱきと仕事をするさまを見ていると、やっぱり見た目は若くとも大人なんだなあとしみじみ思う。
ただその間手持ち無沙汰というか、どうしたものかと邪魔にならない様に壁際にもたれていると、視線を感じ横を見る。
「……」
「な、なにかな」
先ほどの爆弾発言を投げていた少女がいた。
確か白羽と言ったか
「私は白羽です、はじめまして!」
「は、はじめまして」
「お姉さんは帝様の新しいお嫁さまになって、帝さまを骨抜きにして、いろんな男を手玉に取って、このアヤカシ界隈を牛耳る悪女なの?」
「違うよ!?」
大人たちが会話しているのを聞いたのだろう、おしゃまな女の子は目をキラキラと輝かせて「修羅場になるんじゃないの?」と聞いてくる。
そんなことになってはたまらない、はっきりと否定すると少し残念そうだった。
「白羽ちゃんは、どこでそんな話を……?」
「みんなが言ってた」
ですよね。
「あんまり噂話を鵜呑みにしてはいけませんよ」
「女将さん!」
「ほら。お仕事に戻ってくださいね」
「はーい」
白羽の頭を撫でながらソノが笑顔で軽く注意する。
しかし全然きいてはいなさそうだ。
「さて、下町に行きましょうか」
元気よく走っていった白羽を見送り、ソノは玄関へと歩き出した。
掃除やらもてなしの準備やらで忙しそうにあちらこちらと駆け回る従業員をしり目に外へ出た。
ちくりと刺さる視線は気づかないふりをして。
雲一つない快晴日和
そよそよと風が優しく木々を撫でる。
あの日、窓から飛び出したとき見た庭が目の前に飛び込み、上を見ればその建物は結構な高さがあった。
改めて、桜樫華は大きいと実感する。
「なんか、どこもかしこも大きくて広いですね」
「そうでしょうとも、ここは海外の龍神のお客様や、大鬼様や海原様もいらっしゃいますから」
「おおに? うなばら?」
「とても体が大きいお客様がくる、ということですね。人間なんてぺろりと食べられるほど大きいんですよ」
「へえー?」
整えられた綺麗な道をどんどんと進むと、大きな三本足の烏が黒い鳥居の上で羽を広げたり、整えたりしていた。
「でっかあ!!」
思わず出た驚愕の叫びに、烏が一鳴きして鳥居から落ちた。
そのまま地面に落下するかと思ったら羽を広げ、滑降しこちらへやってくる。
紅い目の黒い艶やかなその烏は、此方を確認するように頭を低く下げて近寄った。ソノはその嘴にそっと触れると、慣れた様に挨拶を交わす。
「未綱さん、こんにちは」
「下町に行こうと思うのですが、乗せていただけますか」
かあ、となくとソレは体を低く下げた。
「さあ、乗りましょうか」
「え、ええ、乗るの?!」
羽に足をかけ、背中までよじ登るソノ。おいていかれない様に見よう見まねで背中まで追いかける。
他の烏がかあかあと鳴く。
「黒部さんは心配性ですね、大丈夫ですよ、下町に行くだけですから心配ありません」
「な、なにをいってるかわかるの?」
「ええ、わかりませんか?」
わかりません。
やっぱり同じ人間でも、ちょっと違うんだなと思っていると、体に重力がかかった。
「う、わ」
風が一気に巻き上がったと思ったら、視界が空に代わっていた。
大きな黒い烏の背中から見る、広い広い青
おお、と感激していると、すぐに下降した。
「え、ひ、いぎゃああああッ」
龍の時とは違う下り方。
例えるなら龍の背中に乗った時は滑り台だとして、この烏はジェットコースターだ。
心の準備をしていなかったため、一気に魂が口から飛び出す。
あの世と言うものが見えたような気がした。
再び重力を感じると、地面の感触が伝わる。
呼吸の仕方を思い出していると、ソノに手を引かれて烏から降りた。
帰りもコレだとしたら、ちょっと気合がいるかもしれない
そんな不安も、目の前の風景で一瞬で消える。
「すごい」
大きな商店街のようなその場所。
広く石で敷かれた路を囲う様に所狭しと建てられたお店が続き、活気ある声がここからも聞こえる程賑わっていた。
南下町も明るかったが、ここも負けていない。
「ここは咲楽の町です」
「さくら……だから桜がいっぱいあるんだ」
町に降下する一瞬見えた桜で囲まれたこの場所。
桃の花びらがどこからともなく風に運ばれ、目の前を淡く彩る。
「さあ行きましょうか」
「うん」
進んでいくと、小さな妖も目について、おお、町だ、という謎の感想を抱く。
すれ違う人皆ソノをみては「女将さん、元気?」「桜の姐さん、これどうだい」「もらってくれよ」と声をかけてはおすそ分けをもらう。
少しあるいただけなのに両手がすでにいっぱいである。
「ソノさん、人気者ですね」
「まあ、これでも龍帝の伴侶の一人ですからね」
「あの、龍の伴侶って……」
「おや、女将さん」
八百屋、と書かれたお店から出てきたイノシシの女性が、ソノをみて声をかけた。
「イノさん、こんにちは。この前は美味しいお漬物どうもありがとうございました」
「こちらこそ、味噌分けてもらって助かったよ……ところで」
その人は誰ー誰なのーと奥からわらわらとうりぼーが現れ、無駄のない動きでこちらの周りを取り囲んだ。
「柚子乃さんです、みんな仲良くしてね」
はーい、と一人が返事をすると、やまびこのように後から後からとずれて返事をする。カワイイけど困惑。
「これから自由にこの町にきていいですからね」
「え、いいの?」
「はい、もし困った事や分からないことがあれば、このおイノさんに聞いてください」
「うちはちょうどこの町の真ん中にいるからね、いつでも訪ねてきな」
おイノさんは鼻を鳴らして、胸を叩いた。
頼りにされるのが好きな姐さん女房って感じの方らしい。
周りを囲んでいたウリボーが縦一列に並んだかと思うと、短いその手を挙げた。
「おねえちゃんお名前なあに?」
「いくつなの?」
「どこからきたの?」
「独身?」
質問をするたびに後ろに回り、新しい質問を繰り返していく。
答える間もなく次々と飛びててくる言葉に困惑していると、イノさんが一番前のウリボーの手を掴んで下した。
「騒がしくてごめんよ、うちの子だよ。長男、ハルイチ。次男ナツジ。長女アキミ。末っ子のフユスエ」
仲良くアーチを作っている子どもたちの名前を知ったが、次に会った時に覚えているかは自信がない。
苦笑いをしていると、うりぼーに手を引っ張られた。
「おねえちゃん、泊まっていきなよ」
「そうだよそうだよ、あそぼー」
ねーねーと腕を引っ張られ、しがみついて離れない。
ソノさんはあらあらと微笑む。
「こうなると子どもは梃子でも動きませんね。せっかくですし、どうです?」
「あたしゃいいよ」
「ええ?!」
やったーと喜ぶこどもたち。私は了承していないと思ったが、ここで断るのも何か悪いような気がして、愛想笑いをつくりながら、お邪魔することを伝える。子どもたちが喜びを全身で表現しているとソノは用事があるからと、そのまま旅館へ帰っていってしまった。
小さくなっていく背中を見ながらちょっとだけ後悔する自分がいる。
「……えっとお」
「案内したげる!」
うりぼーたちに引っ張られて、さらに町の奥へと進んでいく。
桜がちらちらと散っていく道を進めば、突然竹林が姿を現した。
竹の先は、道がどんどん狭くなっていっているようで、奥が暗くてよく見えない。
「この先は何があるの?」
「ハタケ村だよ!」
「畑が広がってるの」
「農民の村だよ」
「おじいちゃんおばあちゃんおじちゃんおばちゃんがいるの!」
おっかあもそこ出身なんだよ、と口々に言う。
つまりお店で卸している野菜はそこのものなんだな、と理解する。
竹林の向こうまで行くかと思ったが、子どもたちはここから先へと行こうとはしない。不思議に思っていると竹林からなにかうめき声が聞こえた。
「な、なんかきこえた? ……って、え!?」
さっきまで周りをうろちょろしていたウリボーが気が付けば背後に固まって隠れていた。確かにこの子たちに比べれば大人だけど、こういったときの対処方法は何も知らない。
「ええええ」
下がろうとしたが、うりぼーがつっかえて下がれない。
竹林が揺れる。
「ひ」
ナニカが飛び出してきた。
その瞬間
ぐーぎゅるるるるるるー
お腹の音が鳴り響いた。
「……」
出てきたそれは弱弱しくこちらに手を伸ばすと、小さな蚊の鳴くような声で懇願した。
「ご、ごはん……水……」
それだけいうとパタリと力尽き、そのまま倒れこんだ。
困惑していると、うりぼーが背中から顔を出し、走り出した。
「え、ちょ」
「おっかあ呼んでくるー」
さすがイノシシの子、足が速い。
こちらの返事を待たず颯爽とかけていき、もう姿が豆粒ほどしか見えないぐらいだった。
残ったウリボーは落ちていた木の枝で謎の人物をつついている。
「や、やめなよ」
そういって抱き上げた時、木の枝が彼の前髪を持ち上げた。
「あれ、……この人もしかして」
獣の耳も、天狗のツバサも、牙も爪も尾っぽもなく、透けている様子もない。
もしかしてもしかすると?
「人間……?」
ソノ以外の、初めての人間だった。
倒れている「人間」には一切触れず、少しばかり距離をとって見守る。
いざという時は三人(いや獣だから匹?)を連れて逃げれるように両手で抱きしめ、瞬きもせずに様子を伺う。
竹林が風で揺れる音以外は特に変化はない。
「……」
ただ、時々お腹の音が聞こえてくるから生きてはいるのだろう。
「ねえ、ウリちゃんたち。人間って、この町にもいるの?」
「この町には女将ちゃんだけだよー」
「そうだよー、いないよー」
「人間って女将ちゃんしかみたことなーい」
ということは、もし倒れている人物が人間であるとしたら、この町とは違うところからわざわざきて行き倒れているということになる。
しかし人が居るという東右町からここはかなり距離があったから、徒歩でここまで来たとなると薄汚れているその様に納得ではある。
「おやまあ」
声が聞こえて振り返ると、おイノさんが立っていた。
「本当に人間だねえ」
といいながら恐れる様子もなく、竹でできた背負い籠の中に山菜をとるように人間を投げ入れる。
人より大きいとは思っていたけど、おイノさんもやっぱり普通じゃないなと改めて思う柚子乃であった……。
ぱちぱち、踊る囲炉裏の炎。
天井からつるされた鍋から溢れる美味いの匂いが部屋の中を支配している。
田舎の風景だなあなんてノスタルジーに浸りたくとも、目の前でがつがつと山菜鍋を平らげていく人をみているとすぐ現実に戻される。
「ごちそうさまです!」
勢いよく手を合わせ、感謝を口にする。
おイノさんは「お粗末さん」と言って食器を片付けに下がっていった。
「ねー、汚いから人間お風呂いこー」
「いこー。こっちだよー」
慌ただしくウリ坊たちに引っ張られどこかに去っていった。
私がお風呂からでてから目が覚めたようだから、結構眠り続けていたようだ。
おイノさんが戻ってくる。
「しかしまあ人間がここまでくるなんて、たいしたもんだねえ」
「?」
お茶を淹れながら彼女は続けた。
「この咲楽の町に来るには大きな坂と、大岩道をこえなきゃいけないからねえ」
「そういえば上から見た時にあったなあ……」
ここにいるってことはアレを越えてきたのだろうか……?
そうおもっていると、いれたてのお茶を渡され慌てて受け取る。
あったかい温度で、親しみのある落ち着いた色、部屋中に良い匂いを香らせゆらいでいる。急かす想いを我慢してふうふうと息をふきかける。少ししてからそっと飲めば、ホッとする、そんな味。
「この町に人間が三人もくるなんて、昔じゃ考えられなかったね」
「どうして?」
「桜樫華は高級旅館っていうのは知ってるかい?」
「うん」
とっても偉い人が来る旅館だといっていた。
「この世界での偉い人ってのは「神」に近いのさ、龍帝だって龍神の血族って話だし」
「神様なの?」
「近いってだけで、本当に神じゃないよ」
「なんだ」
もし本当に神様なら、元の世界に還してほしいとお願いしたかったのに……なんて思いながら唇を尖らせていると、おイノは続けた。
「神に近いお方の中には、人間を食すのを特に好まれる方が多いのさ」
お茶を盛大に吹き出す。
「うヴェッげほげほ」
「……南下町のはずれの、とある場所で『食用人間の牧場』があってね。数年前に大火災で無くなっちまったらしいけど。まあ今じゃ規模が小さくなってどこかしこにあるって話だけど」
「こ、こわっ。え、今も食べてる人いるって事?」
「そりゃあまあ、好んで食べる人もいるわいな」
「うっわ」
初めてここに来た時に隠れていたのは間違いじゃなかった、と自分の本能を心から褒める
「この町では、食肉飼育はやってなかったんだけど、アタシが生まれる前に、愛玩生物として人間を育ててたらしいんだよね」
「人間がペットになる世界こわい」
「まあ、人間は手先が器用で働き者だから、仕事を手伝わせてたり、我が子のようにかわいがったりしてたらしんだけど」
ずず、とお茶を啜り、ふぅとため息一つ
「年末でお客さんがごったがえしになってる隙に盗まれちゃって」
ごくり、と喉が鳴る。
「次の日の朝、鰐系の御仁が杯片手に桜の下で人間をバラバラに――」
「もういいもういいもういい、夢に出る!」
耳を塞いで最後まで聞かないように阻止した。だいぶ手遅れな気がしなくもないが、そんな詳細まではききたくない。
イノさんはこれまた、ふうとため息をつく
「そんなことがずっと続いて、あまりにかわいそうだと、咲楽では人間は受け入れないと暗黙の了解を誓ったて話さ」
ひどい話だよねえ、なんて言うが、こちらとしては「酷い話」だけでは済まない。
これ以上の「怖い話」は今のところ聞いたことがないだろう。
「あ、法律で『生きている人間を食すのは禁ズ』ってなったから、安心しな!」
「ソウナンダー」
生きているというところが何か引っかかる。
「まあでもね」
そんなある日、龍の帝が人間を連れて現れた。
見るからに弱そうで、すぐに食べられて死んでしまいそうなほど、危機感のない穏やかに小さく微笑むそれはそれはありきたりな人間の女。
「っていうのは、ソノさんのこと……?」
「そうだよ」
最初のほうは龍の旦那が傍にいて守ってたけど、年末年始はさすがにそうもいかない。
だから人里に戻すか、もっと安全なところに置いておいた方がいいってみんなで言ったものさ
「今も無事でいるってことは、大丈夫だったってこと?」
「うーん、それが」
続きを語ろうとしたら、すっぱあんと襖が開かれた。
「お風呂ありがとうございました。あなたは命の恩人です!」
ふんどし姿の少年に、目がまん丸と見開く。
とある部分に目が移りそうになったが、そこを凝視する前に自分が乙女であるということを思い出し、両手で目を塞いで隠した。
日焼けしてておもったより筋肉質だったな、なんて乙女は思っちゃいけない。
「ああ……うちの旦那の服じゃやっぱでかかったかね。ちょっと待ってな」
服を取りに立ち上がってどこかへひっこむイノ。
何故か横に座るふんどし少年。目のやり場に困り斜め下を見ていたが、距離が近い。
「貴女も人間ではないですか!?」
「そそそす、そう、です。や、あの、顔、近い……」
「これは失敬!」
ぐん、と近寄ったり離れたり、なんだか言動がいちいち派手で五月蠅い。
服を持ってきたおイノに感謝を告げ、さっそく羽織る。
「で、あんたはどこの子」
「自分は小鉄といいます。歳は14、東右町からきました」
「どうやってはるばるこれたのかね」
「はい、最初は徒歩で、途中で八咫烏の足を掴んで!」
身振り手振りで説明する彼に少し呆気にとられながら、イノは感心した。
「人間嫌いな八咫烏によく振り落とされなかったもんだね」
「はい、昔から木登りとか得意でしたので、しがみつくのはお手の物です」
やんちゃだったんだろうなーと生傷の絶えなさそうな彼を見る。
「君は?」
「大野木柚子乃、16だよ」
「え、大野木? 16? ってことは結婚しているの」
「してないよ!?」
彼は首を傾げた。
「この子は胤継ぎの人だよ」
と、おイノがいうと驚いた顔をした。
「苗字があるなんて、すごい高位の御仁か、その妻なのかとおもったけど、胤継ぎだなんて!」
この世界では苗字があるのは珍しいことなのか……?
すこし困惑していると、彼は拳を握った。
「では桜樫華の女将、おソノ様をご存知ですか?!」
「うん」
「自分じつはそこで働きたいと思い、故郷を飛び出してきたのです」
「がんばったね……?」
イノが驚いた顔を見せた。
「女将さんが許可したのかい?!」
「いいえ!」
元気よく返事をする少年に一緒に肩の力が抜ける。
ウリボーたちがわらっと現れ少年の体に飛びついた。
「小鉄手紙送ってたんだって」
「でも一度もお返事なかったらしいよ」
「だからしびれきらしてきちゃったんだってー」
「ばかだよおー」
最後の一言は余計だよ、とイノに怒られる四兄妹の誰か。
「どうしてそこで働きたいの?」
「それは……」
彼は拳を握って、最高の笑顔で言い切った。
「有名だからです!!!」
さっきの最後の一言は正しかったと思う。
有名という理由だけでこんな危険を冒してくるなんて、狂ってるとしか思えない。
「えーっと、それだけ?」
「はい、それだけです。あえていうなら有名なところで働けば、自分も有名になれます」
「目立ちたがり屋なの?」
それかやっぱりただの馬鹿……?
しかし彼の目はキラキラと根拠のない自信に満ち溢れている。
どんな壁も彼なら乗り越えられそうだと錯覚してしまいそうなほど、力強い何かを感じた。
ある意味此処までそんな理由で来たのだから有名になれそうな気がしなくもない。
「東右町では、自分は無能だとさんざん言われてきました」
「ソレは可哀想だね」
「なので、桜樫華で働けば、自分を無能と言っていた奴らに一泡吹かせられるのです。自分だって、やればできると!」
「ご立派なんだけどさあ、無理だよあんた」
おイノさんが夢の世界に浸る彼を現実に連れ戻す。
「桜樫華では上位の妖様がいらっしゃるんだ。その方々は下位の存在なんて、世話係か餌としかおもってないんだよ」
「大丈夫です、逃げ足には自信あります!」
「神通力の前じゃそんなの無意味だよ!」
確かに『悪戯』で追いかけまわされたが『死』を覚悟するレベルの恐怖を感じた。
あれが戯れだと思えば本気の捕食をするとなると、考えただけでめまいがする。
そういえば、と言葉を漏らす。
「ソノさんは、どうして大丈夫だったんですか?」
「あ、ああ」
イノが思い出したように続きを語る。
「女将さんが初めてここで年末を過ごすってときに、いつも酔っ払っている龍のお方さまがいらっしゃったんだけど、それはそれは手癖が悪いお方で、町のお店は荒らすわ、旅館でも無理難題投げるわで大変なお方だったんだけど……」
目をスッと閉じて、空を見上げた。
「朝日が出て、みんなが外に出た時……その方がこちらをむいて土下座をしていてね」
「え????」
その時旅館で働いていたものが言うには、酔っ払って女将さんに絡んで部屋で二人っきりになったそうだけど、数時間が立って女将さんが部屋から出た後、従業員に頭を下げて謝り、朝日が昇るまでずっと土下座をしていたそうだ。
「え??」
なぜそうなったのか全く理解できない。
「女将さんに聞いたら、笑って『たいしたことはしていない』って言ったもんで、人間だからと舐めてた従業員がみんないう事聞きだしたって話さ」
「ソノ様はすごくお強いんですね!!」
興奮気味に小鉄がそういえば、違う違うとイノは手を振った。
「強いんじゃなくて、龍の恩恵があったから大丈夫だったってさ」
「龍の恩恵?」
「自分の所有物には恩恵って力を授けるんだけど、その力の気配で相手の力量がわかるらしいんだけどねー」
御茶のおかわりをゆっくりいれて、グイッと飲み干す。
それをみて手元のすっかりぬるくなってしまったお茶を見る。ほんのり色が薄くなったような……。
「この国の最上級にいる龍の帝の所有物ってわかって、ビビったんだろって話でさ。あんたらにはそれがないだろう?」
「まあ、はい」
「恩恵がなけれりゃ、その龍のお方様に嬲り殺されてたかもしれないって話だよ!」
誰かの後ろ盾がないと生きていけない人間という弱い種族。
ソノしか人間を見ないわけだ。
きっと目に見える以上にこの世界は人間にとって生き抜くことが難しい場所なのかもしれない……ただ……
「わかりました!」
小鉄はそう言って立ちあがった。
そしてこぶしを握り大きな声で宣言する。
「じゃあ帝様に恩恵貰います!!!」
彼を見ていると、こんな奴でも生きているんだから大丈夫なんじゃないかと錯覚してしまいそうにある自分もいた。
ある意味楽天的もここまでくると幸せかもしれない。
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