fragment5 愛の放浪 The Love Odyssey

 しっとりとした だが萎えた凍土を踏みながら 再び愛の放浪の旅に出る

 そこは霧だって深いひとつの真空地帯

 強制集収容所なのか 監獄なのか いや愛の施設だ

 地の果て 果てしなき氷を踏み越え 辿り着いて抱き締めてくれるであろう

 「梅花(メイファ)」の甘酸く奥深い懐

 ゆきずりの西王母の導きと裁きに身を任せて 俺はここまで歩いてきた

 この道は必ずハルピンに続くに違いない

 煙草でもひとつ巻くように 無慈悲なやり方で愛を育てた

 その愛に対する明晰な非難は 俺の背中を突き抜け 異郷の事変に紛れて苦悩する

 もっと誠実に愛することが俺にはできた筈

 その真実の愛を手にして 後悔を消すために 今日もまた安宿で暖を取る

 遠くの爆音を消すかのように野犬が何度か吠えた

 梅花と出逢った時 二人して北極星と融和している湖まで走った

 細い月が鉛色の湖水に映っていた 

 極東の地衣類 日ごと透けていく

 張作霖が死んだ日 天使は水の中を羽ばたき 修道僧は永い眠りから醒め

 出来事は 人々を柔らかな奈落の底に 伝染する架空の相対性を

 したたかな鳥々に似せて 静かに沈み込ませていった 

 夢 それは濃密な錯覚に囚われた不能者たちの夢

 そして 構造の不均衡にすぐに眼を閉じた 曖昧な自らの生き方に反感しつつも

 何も出来なかった若き夢

 寡黙な民衆は乱暴に穀物を耕し 饒舌な賭博師も中国服を脱いだ

 その夢は 袖口に計算高さを忍ばせながら 生涯をときめく奇数に賭けた商売人の夢 

 仄かに しかし怪しく時代が動いていく租借地の夢

 阿片って素敵ね 幻が見えるわ 夢でもいいから歪みのないあなたの思想で わたしの内奥部を

 聖霊となって 熱く燃やしてほしいの 愛しているわ

 ロシア国境で捕虜になり ラーゲリから脱走した俺に 果たしてハルピンの黒き竜は微笑むのか

 肥えた妖怪たちは 民衆にきっと何かの落書きをした筈だ

 貧民窟育ちの痩せた人々には 愛はただの変哲もない縞模様であり 退屈な儀式だったが 

 その無気力さは更に磨きがかかった

 俺は魂を青磁色に染めて 最後の力を振り絞ってこの光る道の歩みを進める

 途中でリラの花が咲き誇っていたような気がした

 もう少しで ハルピンの街並みが見える

 心の隙間を埋めるかのように 境界の街路樹にもたれて飲んだ暖かい梅花酒が

 俺のあごひげで凍った

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