第22話
長老と門番の兵士に連れられて、聖域へと案内される。と言っても、長老の家から出てすぐ後ろにそびえる楠木の前にやってきただけだ。
見上げるような大きな楠木にしめ縄が複数巻かれていて、どことなく日本っぽさがある。
「この木の先が、聖域となります。我々は立ち入ることが出来ませんので、どうかお二方で。貴方様の帰還の旅路に、ご無事をお祈りいたします」
「うん。ありがとう、さよなら」
頭を垂れる長老や兵士に向かってさらりと言うと、ホシオトはロベルナに向き合う。
「じゃ、私行くから。いろいろありがと」
「おいおい、さすがにここでさよならなんて言うなよな。乗り掛かった舟だ。最後まで送って行ってやるよ」
「一本道だって言うし、もうあんたに頼らなくても大丈夫なんだけどね。でも、そうだね。せっかくだから歩こうか。きれいな場所だし」
「おう。行くか」
毛におおわれた、ごつい左手が差し出される。
ホシオトは微笑んで、その手に小さな手を重ねる。初めてつないだ手は、大きくて、固いのにふわふわの毛が生えていて、温かかった。
参道は狭く、両側は木々に囲まれて鬱蒼としていた。
遥か遠くに、真っ黒な口を開いたように洞穴が横たわっているのが見えた。
「どうせ一本道なら、あんなに遠くになくてもいいのにね」
「この世界の住人が間違えて迷いこまないようにするためだろうな」
「こんな山奥だよ? そうそう迷いこむ人なんていないと思うけど。まあ、なんでもいいけどね。ようやく帰れるんだし」
ロベルナと繋いだ手の感触を楽しみながら歩くホシオトは、眩しい空を見上げる。
相変わらず絵の具を流したような鮮やかな青色が美しく空を飾っている。
視界の両端には濃い緑色の木々が力強く生い茂っていて、空の色が緑色に切り取られて額縁に入れられているようだ。
参道は石造りになっていて、脇には等間隔に灯篭が鎮座している。
いよいよ神社っぽい雰囲気が出ている。しかも、どういう仕掛けなのか、それとも魔法の力でも働いているのだろうか、二人が通るのと同じタイミングでオレンジ色の炎が、ぱあっと灯る。
それが面白くて、ホシオトは自然と笑顔になる。元の世界への帰り道も、もうすぐそこにあるのだと思えば、心が浮立つのも無理のないことだろう。
となりを見ると、ロベルナもこの幻想的な参道を歩くのは面白いと感じているのだろう、心なしか楽しそうな表情をしている。
参道をもう半分は歩いただろうか。
洞穴のぽっかり空いた闇の方からこちらへと近づき迫ってくるようだ。
そう思ったとき、ふいに風に乗ってひとひらの花弁が舞い飛んできた。
「あれ」
「珍しい色だな」
その花弁は、淡いピンク色をしているように見えた。
ひらり、ひらり。
もうひとひら風に舞い、ホシオトの髪の毛に引っかかる。
ホシオトはそれを優しく手に取った。
ロベルナも、その手のひらを覗き込む。
「やっぱり。これ、桜の花びらだ」
薄桃色の花弁はホシオトにとって馴染み深い、見覚えのあるものだった。
元の世界の家の裏にある、こじんまりとした庭に一本だけ生えている木が、まさに桜の木だったのだ。毎年、一面を真っ白に染め上げる冬の終わり、雪解けの頃に芽吹き、春の訪れを知らせる。
窓辺に座って、桜の雨を眺める時間はホシオトにとって至福だった。
まるで、色のない世界に咲く唯一の慈悲の女神のように、目に柔らかい光を届ける薄桃色の花弁たち。
ひらり、ひらり。
参道を進むにつれて風に舞う桜の花弁が多くなっていく。桜の雨だ。春の訪れだ。庭の桜が、ホシオトを迎えに来てくれたのだろうか、なんてメルヘンな考えが脳裏をよぎり、可笑しくなった。
「この花は、サクラというのか。初めて見たぜ」
ロベルナは物珍しそうに、舞い踊る花弁を目で追っている。
「そうなんだ。この世界では珍しいのかな。私の世界だと、とくに私の住んでる国だとメジャーな花だよ。私の家の庭にもあるんだ」
「珍しい色だな。サクラ。薄い色は斬新でいい。しかし、こんな花どこに咲いてるんだ?」
「確かに、ピンク色の花びらなんて目立つからすぐ見つかりそうなものなのにね」
参道の両端はすべてが濃い緑を湛えた木々に覆われている。桜の木なんて見当たらない。それに、おそらく季節が違うのに。
不思議に思いながらも、二人とも進む足は止めない。ゆっくりと、けれど着実に参道を進んでいく。
とうとう、最後の灯篭に炎が灯った。
参道の終わりだ。
「ここが……」
目の前には、ぽっかりと口を開けたような洞穴が悠然と横たわっていた。
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