番外編 誰も知らない君の勇姿 1

 僕の名前はコハク。雑種の猫だ。

 好きなものはチュールと日向ぼっこ、性格は優しいと周りは言ってくれるけど、気が弱いだけだと自分で思う。言いたい事もハッキリ言えないから、他の猫達には舐められっぱなしだ。

 けれどそんな僕にも、気になっている女の子がいる。


「あ、今日も来たんだね」

「うん、こんばんわ」


 ムギさんが真っ先に出迎えるその子の名前は、滝島クロハさん。

 よく手入れされた黒い毛と、桃色の首輪。目立たなくて物静かなのに、強い意志を感じさせる目が好きだ。

 先日なんて、誰もが恐れるココさんと真っ向から対峙していて驚いた。彼女は何を言われても受け流すと思っていたから。

 今日も見つからないようにとクロハさんを見つめる。まだ一度も話したことはないけれど、いつかお近づきになれたらなあ。そんな風にぼんやり将来設計をしていた時、転機が訪れた。

 


 猫お婆ちゃんのお家に寄ったある日の帰り。何となく普段とは違う道のりを歩いていると、屋根に飛び移ろうとしている彼女を見つけた。住んでいるの、こっちだったんだ。思わず声を掛ける。


「く、クロハさん!」


 力を込めていた足が止まり、目が合う。どうしよう。呼び止めたは良いけれど、何も話題を持っていない。


「ぐ、ぐぐぐ偶然ですね!お散歩ですか?」


 声の裏返りが酷い。だって心の準備をしていなかったから。そもそも、僕のことを認知しているんだろうか。

 クロハさんは小首を傾げる。


「ええと、何処かで会ったことありますか?」


 やっぱり認識していなかった。一度も会話した事が無かったんだから当然だろうという気持ちの中で、ショックを隠し切れない自分がいる。



「ぼ、僕、コハクと言います。時々猫お婆ちゃんのお家でお世話になってい

て」

「嗚呼」


 良かった。とりあえず怪しい奴とは思わなかったようだ。律儀にも初めの質問に答えてくれる。


「家に居られないので、時間を潰す場所を探しています」


 家に居られない。彼女の事情は知っている(こっそり聞いたから)。何でも、酷く暴力的な男が飼い主と半同棲状態だとか。自分よりずっと力の弱い猫に対して非道な行いだ。しかしそれならばと、僕はついさっき居た場所で得た情報として、ムギさんが猫お婆ちゃんのお家に居ることを話す。


「そうでしたか、ありがとうございます」

 そのまま別れる。僕はお礼を言われた事に、人生で一番舞い上がった。



 一度帰宅し、再度住宅街を歩き出した昼下がり。

 今日の出来事を振り返っては尻尾をぶんぶんと揺らしていると、突然背後から荒々しい足音が近付いていた。


「おらどけクソ猫!」

 

 危うく蹴られる寸前の所を悲鳴と共に回避する。見ると、そこには目の血走った30歳くらいの男が立っていた。


「ちっ……今は猫を見るだけで苛つきやがる。お前等がいなきゃ沙智と別れる事も無かったのによ!」


 凄まじい剣幕で周囲の電柱や塀に八つ当たりをしている人間。……ん?でも今聞き覚えのある名前が聞こえたような。


「そうだクロハだ。どうせやり直せねえなら、最後にあいつをぶっ殺して消えてやる」


 今この男は何て言った。間違いない。クロハさんの言っていた例の奴だ。恋人に振られたから、腹いせに彼女を狙っているんだ。

 僕は急に頭が沸騰して、その勢いのまま目の前の人でなしに襲いかかった。


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