さよなら一期一会 4

 沙智さんは普段、ゴミ出しを前日に行う派だ。朝に数秒でも余裕を持ちたいそうだ。だからゴミ箱の中に装着された袋も、もう真新しくなっている。

 今日は一緒に寝ようねと共に布団に入ったというのに、寝息が聞こえてきたのを見計らって薄情な私はするりと部屋を抜け出す。そのまま何度往復したか分からない道を駆けた。

 もう勝は来ない。だから私も、泊まる場所を探す理由は無くなった。

 それでも今夜は行かなくては。まだあの子と、何も話していないから。




 辿り着いたのは、木製の小屋。部屋からなら此処が一番近い。壊れ掛かった扉を僅かに開いて隙間を作る。

 細い明かりが照らすのは、物が詰まった一つの袋。

 私は暗闇を作り出すと、その袋と向き合った。


「ねえ」


静まりかえった空間に、声が浸透する。


「ねえ、いるんでしょう」


 袋を爪で裂く。迎えの人が怒るかもしれないけれど、これきりなので許して欲しい。


「……クロハちゃん」


 中から、つい前日まで私が持ち主であった首輪が転がり出た。

小屋へと足を運ぶようになってから、考えていた。もしかしたら、私の物の中にも、心を持った物が居るかも知れないと。 

 そして最初に心を持つのは、この子だろうと。

 隣り合うようにして座り込む。


「…………思念体、出さないの?」

「……いい。自分の持ち主の前で同じ姿を晒すの、真似しているみたいで恥ずかしいから」

「そっか」


 それきり少しの間口を閉ざす。それはほんの数瞬にも、数分にも感じられたが、沈黙を破ったのは私の方だった。


「貴方でしょう、万年筆に頼んで私の首にメモを挟んだの」

「……うん」


 あの日、紙のような音がしたのは気のせいでは無かった。起こす際に誤って傷を付けてしまったというのも嘘なのだろう。勝の罪を偽装する為に、万年筆と首輪で共謀したのだ。


「怪我させちゃって本当にごめんなさい。持ち主を傷つけるなんて」

「ううん、良いよ。お陰で沙智さんとあの男を引き離せた」


 酷く申し訳なさそうで、只管悔やんでいたのだと容易に想像がつく。


「ずっと嫌だったの。クロハちゃんが辛い目に遭うのが。主人の一大事に何も出来ない自分が歯痒くて。」

「そんな時に、あの付喪神が現れてくれた。だから助けて欲しいって頼んだ」

「人と接触できる彼は自分を妖怪だって言っていたけど、私にとっては正真正銘神様だよ。だって貴女を助けられたんだもの」


 そんな風に想っていてくれた事が嬉しくて。だからこそ、朝が来るのが凄く嫌で。

 しかし首輪自身は、私が無事である事ばかりで、恐怖など微塵も感じさせないのがやるせなかった。


「ねえ、クロハちゃん。折角だから、最後にお話しよう」

「うん、良いよ」


 


 最初に出会った時、沙智さんから贈られたって、クロハちゃんは凄く喜んで

くれたね。見ている私も嬉しかったよ。


「うん」


 勝が部屋に来るようになってから、嫌な思いも怖い思いも沢山したね。それで小屋に来るようになった。


「うん」


  沢山の物とお話したね。タブレットやお姫様は、気難しそうに見えたから最初は見えないフリしようとしてたっけ。でも話してみると、どちらも温かみがあって優しかった。


「うん」


 藁人形と写真は最初怖かったなあ。ああいう恋の形もあるんだね。


「うん」


 消しゴムやミサンガと朝まで遊び尽くしたのは楽しかったね。物の友達なんて初めてだったよ。


「うん」


 人と物の友情にも驚いた。持ち主さんも含めて再会できていると良いなあ。


「うん」


 ……皆とお別れするの、辛かったね。


「…………うん」


「ねえクロハちゃん。もう此処には来ちゃ駄目だよ」

「え?」

 

 段々と伏せがちになっていた顔を上げ、首輪を見遣る。


「気付いているでしょう。捨てられた物の言葉を聞き続けるのは、クロハちゃん自身の心に負担が掛かる。だってどれだけ親睦を深めても、二度とは会えないんだから。とっくに限界なんだよ」


 勝がいなくなったんだから、良い機会でしょうと説教気味な口調で言い募ってくる。茶化し気味に聞こえなくもなかったが、その瞳には私への心配だけが色濃く写っていた。


「……分かったよ。これで最後にする」

「ん、宜しい」


 姿は見えないのに、首輪が笑った気がした。

 それから私達は暫くお話して、少しだけ泣いて、またお話した。沙智さんのこと、勝のこと、他の猫のこと。物についてはこれ以上触れなかった。彼等が語ってくれた事だけが全てだから。


 そして迎えた朝。

 いつもは早々に切り上げるけれど(彼等が車の中で潰されたり、押し込まれる瞬間は見たくなかったから。)今日だけは最後まで残った。


「お、何だか久々に会ったな、別嬪さん」

2人の男が、9時迄に溜まった袋を回収していく。途中破れた部分があるとこちらに怒っていたが何も知らないフリをする。


 そして最後の袋が、今回収された。

 仕事を終えた車が遠ざかるのを、私はいつまでも見つめていたのだった。


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