初めましてとおやすみなさい 2

 彼は目を瞬かせ言葉の意味を咀嚼すると、初対面の少女が語り出した家庭事情を頭の隅に追いやって、その意味を問う。薄情だとは思わない。彼もまた、逼迫した状況に置かれているのだから。


「そうだ。その事を尋ねたかったんだ、お嬢さん。二、三質問しても宜しいかな?」

「私の分かる範囲で良ければ、どうぞ」

 

 これから始まる質疑応答で、親父さんは何を思うのか。僅かながらにでも予想しうる未来が憂鬱では有るが、彼の第一声に応えた以上は仕方あるまい。私は壁に背を預け、こちらに真っ直ぐ目を向ける彼から視線を逸らした。


「此処は一体何処なんだ?」

「私もよくは知りません。便宜上、小屋と呼んでいます」

「小屋は何の役割があるんだ?」

「待合所、のようなものでしょうか。朝9時になったら迎えが来ます」

「私はその迎えとやらに、何処に連れて行かれるんだ」

「わかりません。大きな車に乗せられる様なので、私ではとても追いつけないんです」

「その先には何があるんだ」

「さあ、帰ってきたものが居ないので」

 

 そこで質問が途切れた。僅かな間、この時間に似合う静寂が落ちる。親父さんが俯く。きっと情報を整理しているのだろう。そして、恐らく私よりもずっと頭が良いであろう彼が何かを察してしまうのに、そう時間は掛らなかった。


「……そうか。……そう、か……」

 再び、沈黙。きっと今、彼の中では夥しい量の感情が渦巻いているのだろう。安易に口を挟む事など到底出来なかった。今晩がこのまま終わってしまったとしても、それも一つの形なのだ。

 しかし予想は打ち砕かれ、親父さんは再び口を開く。


「なあお嬢さん、私の話を聞いてくれないか?」

 見ず知らずの君に、本来聞かせるべきではない様な、汚い愚痴になってしまうかもしれないが、と彼は言葉尻を窄めて弱々しく付け足す。

 これはきっと、彼なりのSOSなのだろう。今この瞬間、否、彼の生涯において最も大切な何かを、ただ誰かに伝えたい。その大切な何かが自身にも分からず、助けを求めている。かと言って相談では無いのだ。私に出せる答えなど、きっとこの男性は何秒と間を空けずに導き出してしまえるから。

 だから私はこう答える。


「聞くだけで良ければ。」

 夜は、まだ明けない。


――――――――――――――――――


 自分でこういうのも何だがね、私はとても優秀なんだ。

読み書きや計算が人よりずっと得意だし、記憶力も良い。文通だって任せてくれ。経済面にも強くてね、株相場を逐一知らせる事も出来るさ。

 

 だが何よりも秀でていたのは情報収集能力だな。尋ねてくれればどんな答えも出せた。時々誤った知識を伝えてしまうのはご愛嬌という事で勘弁してくれ。完璧なものなど存在しないさ。

 

 そうした能力があるものだから、重宝されたよ。会社でも、家でも。私はとある企業の社長と共に仕事をしていてね。仕事で絶対に必要だからと、公私関係無く一緒だった。私的な時間など有って無いようなものだったけどね。

 

 いつも眉間に皺を寄せていた男だったよ。奥方に先立たれた後、広い家で息子夫婦や孫が来ていても書類と睨めっこの、駄目な父で、駄目な祖父さ。だが私にとって、何より大事な家族だった。定年を過ぎてもまだ働き続けるあの人の力として、これからも支えていくのだと。そう信じて疑わなかったんだ。


 この時はまだ。

 

 突然増えた新しい家族。まだ接し方が分からなかった不器用な彼は、新顔を大切に扱いはしたが、何処か距離を置いていた。だから私も気に留めなかった。


 そんなあの人を見越して息子と孫が頻繁に訪れる様になり、新しい家族と彼の仲を取り持った。豊富な量のゲームができるらしく、家で残業の合間を見つけては遊び始めた。兼ねてから働き過ぎだと思っていたから、良い傾向だと思った。

 

 しかし変化はそれだけに留まらなかった。彼が新顔に慣れた頃、奴はどうやら私と同じ様な秀で方をしていると発覚した。姿形が異なっていたから、真逆同種のものとは。しかし今思えば似通った部分もあったかもしれない。

 

 やがて奴が職場に同行するようになるのは時間の問題だった。いや、それどころか、私より必要とされる場面が増えた。醜い嫉妬が腹の中でぐるぐると渦巻いて、頭がおかしくなりそうだったよ。奴は私の事など眼中にさえ無いというのに。いずれ完全に私の立場を食い尽くし、お払い箱となった私を忘れて誇らしげに笑うのであろう。そしてその時は、思いの外ずっと早くに訪れた。


 私の故障という形で。




 

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