第三服 有乱寧波(参)
足利義満が歿すると新たに公方となった足利義持は朝貢を嫌って
「堺で遣明船を用立てるようになったんは、与右衛門はんもご存知の通りや」
「公方はんのお声掛りで備中屋はんが奔走しはった……でっしゃろ?」
義持が期待したほど、南方交易は活況を見せず、窮した幕府は自力で遣明船を派遣することが難しくなったため、足利義教は
大内氏は兵庫津・博多津、細川氏は堺津・撫養津・浦戸津・須崎津・与津などの良港を擁していて、この日明貿易の経済効果を上手く利用しようと対立していた。
そして、
将軍に復した義尹は名を改め
完全に決裂するのは、
この頃、義興は国許の情勢の不安定さもあって、麾下の武将たちが勝手に帰国するような状態であった。更に大内氏の領国に
こうして再び高国の単独政権となれば、大内義興への
大内氏は応仁の乱で得た播磨の兵庫津から瀬戸内を通り、山口・博多を経由する瀬戸内航路を抑えているのに対し、細川氏側は領国である淡路・阿波・土佐から、日向や薩摩に寄港して種子島へ渡る南海航路を扼している。
この弘治帝・正徳帝・嘉靖帝という言い方は日本独自のもので、明が一世一元の制度であり、皇帝一代の間は同じ元号を使い続ける制度であったことに因む。このため日本では明朝皇帝に元号を付けて呼ぶ習慣が生じた。新帝である嘉靖帝は
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