第一服 三午生休(参)

うまみつしてきゅう


  商人としては、その正直さが、正直にならず、誠実さになればいいとは思った。自分ならばどうするだろう。おもねる使用人は毒になるとそやつを信用しないのも一つ、たしなめるのも一つ、ただ、そういう奴は世間の噂話を拾ってくるのに長けているから、耳目として重宝するというのも間違いではない――などと考えながらはたと気づいた。


「多呂丸はまだ六つぞな」


 与右衛門田中忠隆はいつも羨ましそうに天王寺屋助五郎津田宗柏の二人の子の話をしていた。孫がほしいのは分かるが、自分が子を沢山作らなかった所為でもあろうに、責任をこちらに押し付けるのは辞めてほしいと与兵衛田中行隆は不満だらけである。


「子をなさなんだのは親爺おやじ殿やないか……」


 好々爺こうこうや然として、女子に手をつけることもせず、兄弟姉妹を設けなかった与右衛門田中忠隆を嘆いてみせる。だが、だからこそ、気は急く。先の三好家の当主であった三好筑前守之長が亡くなった折、跡取りのしゅ大夫だいぶ長秀は既に身罷みまかっており、次兄・孫四郎長光、三兄・芥川次郎長則も亡く、長兄三好長秀の養子となっていた末子の彦四郎長基が二十歳で当主とならざるを得なかったのが、たった二年前の話である。


 近年は将軍跡目や管領家の家督争いもあり、戦が頻発しており、近隣諸国では戦火に巻き込まれた商家も多いと聞く。堺だけが戦火の外に在ると言ってよかった。


 ふと気づくと、松風が老けすぎてえんろうになっていた。随分とぼんやり考え込んでしまったものである。


 松風は釜の音の一つで、釜の音にはいくつかの段階があった。「せい」「しょうふう」「遠浪」「がん」「きゅうおん」と、音の大きさと高さで呼び方が変わる。無声が最も小さく、岸波が最も大きい。また、低い風切りの音が次第に甲高い音になるが、これは鳴金という釜の内底に据えられた鉄片が奏でており、最も高い音である蚯音は、ミミズが鳴く(と信じられていた)「キュー」という音であった。この内、最も茶の湯に適した湯の音は松風である。つまり、茶の湯の釜の湯温は沸騰するほど熱くなかった。

 

 その他に「かいがん」「れんじゅ」「ぎょがん」という湯相の呼び方もある。これは、泡の大きさのことで、最初は小さい蟹の目のようであるものが、連なった真珠のような泡が出て、最後は魚の目のような大きな泡がボコボコと出てくることを意味していた。湯相としては連珠となるのがよい。これは好く炭がさからず枯れず、燃え続いている様を表していた。


「いかんいかん。茶の湯の最中に考え事とは」


 手に取ったままの柄杓を横に構え直し、合を水指の中ほどまで沈め、清らかな水を取ったところで、汲み上げる。釜の口に運んで、水を差すと、一瞬だけ無音となり、再び松風を奏で始めた。水指とは水を入れておく器で、巾五寸の陶磁製の筒桶で共蓋が格上とされる。合とは竹でできた柄杓の先にある筒状の受けのことで、やや傾けた状態でほぼ一合入ることから、合と呼ばれていた。


 さっと、柄杓を釜底までくぐらせ、合が鳴金に強く当たらぬように止め、温められたばかりの湯を取って、湯返しをする。


「茶でも飲んで落ち着かな」


 ひとちても与兵衛田中行隆の心はまだ落ち着かぬ。


 茶は心を落ち着かせると言われているのだが、落ち着くのではなく、落ち着いてやらねばならぬのだろうと与兵衛田中行隆は思っている。子供の時分は「遊興に金など使っていられるか」と見向きもしなかったが、代替わりして会合衆に名を連ねるともなれば、そうも言っていられなかった。商家の当主ともなれば、風流を解さぬは無粋と蔑まれる。二十代になると茶会などに招かれるようになり、与兵衛田中行隆も少しは茶道具を集めていた。但しここにあるのは与右衛門の道具であり、自分のものは茶垸ちゃわんだけである。


 千屋にある殆どの茶道具は天王寺屋を通じて手に入れたもので、宗柏の好みなのか与右衛門の好みか、せいの物が多かった。


 耳を澄まして母屋の様子を伺うが、紗衣の子は、まだ生まれそうにもない。凪いだ松風が、再び荒々しく鳴りはじめた。

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