正体
僕らは違う宿泊施設にお世話になり、朝日を拝むことができた。三月三日の朝はどんよりした曇り空だった。
三尾さんと吉村さんの連絡を受けた村の運営委員会は施設を封鎖した。すぐに警察へも連絡を入れたが、村への山道が復旧しない限り捜査開始できないという。肝心の復旧については今夜いっぱいまでかかるかもしれないらしい。
「野口さん、体調はへいき?」
「うん。だいじょうぶだよ」
宿泊施設のラウンジで軽い朝食を食べている。野口さんは気丈に微笑むが、目の下に疲れがたまっているようだった。僕も生あくびが止まらない。
野々宮さんは医療の心得えがある村人によって正式に死亡が確認されたらしい。現在は運び出されて安置されているという。警察に怒られそうな気もするけど、あのままにしておくのもあんまりだ。
昨夜のことはあまり考えたくない。
しかし急速に進む思考の波を感じる。
深夜の殺人は本当に禍によるものなのだろうか。
「ねえ野口さん?」
野口さんは顔を上げる。プレートには小ぶりなパンが手つかずで残っていた。
「野々宮さんは殺されたのかもしれない」
「えっ」
僕の声に彼女は息を呑む。
「三禍村時代の禍が降りかかった――そうだとしたら、おかしな点があるんだ」
野口さんは否定する代わりに、首を傾げる。綺麗な瞳をパチクリさせ、先を促す。僕は一瞬見惚れ、咳払いを挟んだ。
「野々宮さんの頭には明らかな外傷があった。恐らく何者かの一撃を受けて殺害されたんだ。もし禍だったら外傷なんか残らないと思う」
仮に禍が絡んでいるとしても、野々宮さんの命を奪った凶器が存在することは確か。それは禍という概念的存在ではなく、実体を伴ったものに違いない。
凶器が使われたのなら、それを使った生身の人――犯人がいるはずである。
「三雲くんの考えには一理あると思う。けど、昨夜はみんなで寝ていたのよ? 誰かが侵入してきたら気づくんじゃ?」
「……確かにね。しかも昨夜、部屋には鍵をしたからね」
それに、合鍵は三尾さんたちが持っているはずだから、外部犯だとすると彼らのいずれかが犯人ということになる。が、それ以前に――、
「僕、野々宮さんの隣だったけど誰かが忍び寄る気配は感じなかったと思うんだ」
「それって、関口さんや三村さんも?」
僕は頷く。外部犯ではないとすると、内部犯――つまり一緒に休んだ僕らの中に犯人がいることになる。しかし、そんな気配は感じなかった。ウトウトして何度か目を覚ましたから部屋の中で動きがあったら気づくと思う。
「そうなると、一体誰が?」
「僕もそこまでは」
外部犯でも内部犯でもない。しかし野々宮さんは命を奪われた。まるで見えない凶器に襲われたかのように。
だから――、
「調べようと思うんだ」
僕の決意に野口さんは頷く。綺麗な黒髪がさらりと揺れた。
「三雲くんがそう言うのなら」
野口さんはパンをちぎって頬張り、はにかんだ。
*
何とか頼み込んで、特別に入れてもらえた。
「ったく、とんでもないことになりやがったな」
付き添いで三尾さんと矢野さんが同行してくれた。二人とも疲れ色を全くみせず、昨夜と変わらない様子だった。
「荷物回収したかったんだよね。三雲さん、ないす!」
矢野さんはにへらっと微笑んで、グッドポーズをしてみせた。
昨夜の様子を聞いてみたけど、変わった点はなかったという。強いて言えば三尾さんのいびきが普段よりも小さかったことだけらしい。本人は「ハープの音、いいぞ」と自慢げに笑ってみせた。
就寝場所である一階の大部屋は綺麗に片付けられていた。
布団は壁際に積まれ、朝日の中でまどろんでいるようにみえる。換気のおかげで鉄臭いにおいは感じなかった。野々宮さんの血液が付着した布団は見当たらない。三尾さんに訊いてみると「別にして保管してあるって清掃担当が言っていたぞ」とのこと。
「ほんとに、野々宮さん死んじゃったんだよね」
矢野さんの声に僕らは小さく頷いた。
雑務をするべく三尾さんと矢野さんはリビングダイニングへ向かった。その背中を見送り、改めて部屋を観察する。
「ここで野々宮さんが……」
必ず何か手がかりがあるはずだ。僕は一歩踏み込み、部屋中を歩き回る。野口さんも棚を調べ始める。
しばらくして、野口さんが髪を耳にかきあげ、口を開く。
「綺麗に掃除したみたいね」
「殺人があった場所だからね」
入念に清めるのは頷ける。警察の捜査の後、畳だって張り替えるかもしれない。
「ほら見て。棚の上」
「ほんとだ」
入って正面の棚も同様だった。乱雑に物が置かれていたけど、現在はすっきり整理整頓されている。埃一つ落ちていない。
「あら」
野口さんが首を傾げる。視線の先を追うと、入って右側にある棚が目に入る。三村さんと関口さんが寝ていた側の棚だ。
「あそこはそのままだわ」
「ほんとうだ」
棚の上はというと、乱雑なままだ。分厚いファイルや古紙が積まれ、埃が堆積していた。
「掃除忘れたのかしら」
野口さんの横顔を見ながら、別のことを考えていた。
「よお! もういいかい探偵さん?」
三尾さんと矢野さんが部屋へ入ってきた。二人とも食材や調理器具を持っていた。
「三雲さんが探偵かぁ。ってことは三奈子ちゃんが助手だね」
「やめてくださいよ~」
おどける野口さんの笑顔が魅力的だった。
*
「そういえば、変な音を聞いたかもしれません」
関口さんは自信ありげに頷いた。
事件現場を後にし、夜を明かした宿泊施設のフロントで関口さんをつかまえた。彼はだるそうに肩をすぼめ、ふわぁと大あくびした。ちなみに三村さんだけが僕らとは違う宿泊施設で世話になった。事件後、「わたしまで殺されたらたまらんからな」と悪態をついて僕らとは別の宿泊施設に向かう彼の小さな後ろ姿を思い出した。
「音、ですか」
関口さんの話を聞き、唐突に蘇る記憶があった。
深夜、目を覚ましたときに僕も耳にした気がする。眠気に包まれていたから空耳だと思っていたけど。一方、野口さんは全く身に覚えがないらしく小さく首を振った。
「どんな音だったんですか?」
野口さんの問いかけに彼は「えっと」と口ごもり、しばし考え込んでから「そこまでは」と肩を落とした。
どんな音だっただろうか。
「もしかして事件の調査中?」
「えっ。まぁ、そんな感じです」
関口さんに事件について話した。三尾さんに「探偵」と呼ばれたことが急に恥ずかしくなった。
「僕らの中に犯人がいるの!?」
「まだわかりませんが」
「でも外部犯じゃないんでしょ。内部犯しかいないじゃん。ボクか三村さんのどっちかだっていうのか?」
「いえいえ。なにもそこまで」
「ボクじゃないからね! 野々宮さんを殺す動機なんてこれっぽっちもないよ。これはきっと村長さんの言う通り禍なんだ。これ以上深入りはごめんだよ」
そう言って関口さんは去っていった。どんよりした空気に包まれる村を行き交う村人や来村者で隠れて見えなくなった。
相当参っている様子だった。無理もないけど。
「へいき? 三雲くん」
「少しグサッときたけどね」
大丈夫、と精一杯のアピールがてら胸を叩いてみせる。するとジャケットに入った恋愛成就本の存在を思い出し、カッと顔が熱くなった。
「い、行こっか」
「うん」
村を歩いて回る。模擬店は全て店じまいだった。行き交う人たちの表情は暗く、まるで終末が予告された世界に取り残された気分になる。
しばらく歩いていると、見知った顔を見つけた。
「吉村さん」
「おう。お二人さん。昨夜は大変だったな」
吉村さんは相変わらずの元気な表情を浮かべていた。寝不足な様子だが、それを微塵も感じさせない。僕は野口さんと揃ってお辞儀した。
「その後、警察から連絡はあったのでしょうか」
吉村さんは首を振った。
「せっせと復旧作業中らしいぜ。話はそれからだとよ。目途は未定だがな」
彼は靴の先端で砂利をもてあそぶ。
「しっかり休めたか?」
「はい、おかげさまで」
野口さんが精一杯の笑みを浮かべたので僕も倣った。頬がピクピクしてつりそうだった。
「まあ、無理もねえよな」
はぁ、と一息つく吉村さん。参っていないはずがない。彼だって一人の人間なのだ。
しかし、ここは聞かなくてはならない。
「野々宮さんの死について何か知っていますか?」
「そうだなぁ」
と彼は腕を組む。ボランティアの彼なら野々宮さんの死について情報を聞いていてもおかしくない。
「悪い。頭から血を流して死んでいた、くらいしか」
「ということは、外傷があったということですよね」
「うーん。そうなるよなぁ」
「あの、詳しい情報を聞くことはできないでしょうか」
腕を組んだまま考え込む吉村さん。野口さんは祈るような眼差しで見つめている。
「可能だぜ。同じボランティアに医学部出た知り合いがいるから聞いてみるよ」
「ありがとうございます」
「ちょっと時間もらうぜ。じゃあな」
吉村さんは人混みに消えた。
その後、残る三村さんを探したけど姿を発見することは出来なかった。彼が宿泊した施設の受付に、戻ってきたら伝えるようにお願いした。
そうこうしている間に、吉村さんから野々宮さんの死について情報を聞くことができた。
野々宮さんの頭に刺し傷があり、これが致命傷らしい。入射角など詳細は不明だが、寝ているところを刺されたのは明らかだという。
「そういうことか」
朧げだけど、事件の輪郭が浮かび上がった。
禍が実体をもって野々宮さんを殺すはずがない。
これは禍に見せかけた殺人事件だ。
「三雲くん! わかったの?」
「ばっちり」
三村さんが戻ってきたことを知り、僕は昨夜の関係者を集めてもらった。
禍の正体を暴くときがきた。
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