三禍村

 三華村はかつて三禍村と呼ばれていた。

 先程村長から聞いたばかりだというのに、信じられないのは僕だけではあるまい。


 そのルーツは七十年ほど前に遡る。当時は稲作が盛んで、春から夏にかけては山菜が多く採れたという。屈強な村人たちは狩猟に明け暮れ、クマやウサギを捕らえては貴重なたんぱく源にしていたらしい。


 そんなある日、村を禍が襲う。

 あるとき凶器をもった三人組が村にやってきて、村人たちを惨殺した。村の猛者たちによって首をはねられたが、多くの犠牲者が出て村は悲しみに包まれた。多くの食料が踏みにじられた。通称――三禍みつか事件。奇しくもこの日が、日付が変わったばかりの三月三日だったという。


 犯人については精神錯乱者、落ち武者の亡霊に憑依された浮浪者、さらには落ち武者そのものなどと憶測が飛んだが、現在でも詳細は不明らしい。


 この後、村は『三禍村』と呼ばれるようになった。村長はまだ十代の子供だったが、大人たちが必死の形相で『禍よ。鎮まりたまえ』と祈っていたと語った。

 村にやってきた三つの禍――これによって失われた多くの村人の魂を忘れず、後世まで語り継ぐために村は禍をあえて取り込んだのだ。まるで毒を以て毒を制すように。


 しかし、三禍村となったせいか否か、流行病や天災に見舞われた。土地開拓が進み多くの者を受け入れていたが、ときに追い出すこともあったという。この先、約二十年にわたって村は禍に見舞われ続けた。


 転機は一九七〇年代。技術発展に伴って村人たちが都会へ出てしまい、村の労働力不足が叫ばれたときだ。ここでようやく、村は自分たちが禍を内包していることを思い出す。村長は三十代にして村の中枢に大きく近づいたときだったという。


『三華村にしてはどうだろうか』

 村の意思決定会議で、そう提言された。もう禍を手にしているときではない。これを次世代の華に変えていかねばならぬ、と。不吉な噂を払しょくするには十分な華が添えられた瞬間だった。


 こうして三華村が誕生したのだと、村長は締めくくった。それから五十年――すでに禍は去った。そう思っていたのだが――。


「じょ、冗談じゃねえ」

 ダイニングテーブルに座った野々宮さんが、ぶんぶんと首を振った。

「禍なんか、あるわけない」


「でも野々宮さん」

 と、先程から顔面蒼白な関口さんがボソリと言った。

「実際に土砂崩れが発生しました。もう禍は起きていると考えるのが自然では?」

 隣に座る野口さんが息を呑む。


 リビングダイニングルームの隅っこで立ち尽くす三尾さんと矢野さんも表情を固くしたのがわかる。

「じゃあなにか? あと二つ起きるとでも言うのかい?」

 不機嫌そうに姿勢を直した三村さんが下品に喉を鳴らし、ティッシュを口に当てた。そのまま開いて中身を確認し、丸めて机の上に置いた。


 三村さんの視線から逃れるように、関口さんは視線を合わせず俯く。

「例えば――」と腕を組んだ吉村さんが口を開く。「土砂崩れで一つ。帰宅困難により村で足止めを食うが二つ目」


 三つ目は――。


「バカバカしい」

 プイッと三村さんがそっぽを向いた。

「三つ目がここで起きると?」


「さあ。ただ、あの文言が見つかったのがここなので」

 吉村さんはコホンと咳払いした。

「禍はともかく、不吉な雰囲気なので今日は静かに休みましょう。確か大部屋もあることですし」


「とはいってもなあ」

 野々宮さんがボリボリと頭を掻いた。

「おちおち睡眠もとりたくないよ」

「確かにそうですね」


 僕の相槌に野口さんがうんうんと頷いた。

 部屋数は十分あるので全員個室で静かに休める。が、一人きりという状況に恐怖感を覚える。


「それに、あの紙切れを置いた人間がいるんじゃろ?」

 三村さんがギロリと僕らを見渡した。

「そんな人間と一つ屋根の下など、ありえんわ」


「三村さん。まだ俺らの中の誰かと決まったわけじゃ」

「他に誰がいるっていうんだ!」

 そうだ。忘れていた。いやまさか、でも――。

 三つ目の禍を起こそうとしている人間がこの中にいる?


「三雲くん……」

 ギュッと、野口さんが僕の服を掴んだ。綺麗な瞳は潤み、今にも大粒の涙が流れそうだった。

 そんな状況で個室に籠って夜を明かす。朝日を拝める保証はない。


「はやく名乗りでんか!」

「ちょっと三村さんっ!」

「ったく、とんだじいさんだ」

 終いには三尾さんも繰り出し、三村さんを落ち着かせる形となった。


「離さんか! わたしはやっぱり帰る! こんな場所に滞在などごめんだ!」

「ダメですって。遭難しますよ」

「ええい! 離さんかぁ!」


 禍を企む者――それが誰かはわからない。三村さんは演技しているかもしれない。

 個室で休むのは危険かもしれない。犯人がなにをしてくるか不明だから。内部犯にせよ外部犯にせよ禍が降りかかるかもしれない。しかも何倍にも増幅された恐怖の中で。

 であるならば――。


「あの!」

 僕はすっと手をあげた。腕を絡ませる三人がピタリと動きを止め、野々宮さんや関口さんも僕に視線を向ける。慌てた野口さんが僕の服から手を離した。


「皆さん、とても不安だと思います。僕も同じです。なのでここは一つ、皆さんで一緒に休みませんか?」

 提案と同時に、全員を見渡した。わずかな表情の変化を見逃すまいとしたけど、とくに変わった反応をした人はいなかったように思う。


 禍を企む者――仮に犯人とすると、大勢がいる場では手を出さないと考えた。個々でばらけるより、あえて集合することで手を出しにくくするのが最善だと思った。

 いわば衆人環視状況を作り出し、互いに監視し合う。


「な、なるほどね。いいと思う」

 吉村さんは三村さんから手を離し、頷いた。


「確か、大部屋ありましたよね。三尾さん」

「お、おう」

 三尾さんも三村さんから手を離す。服装を直した三村さんは顔を真っ赤にしていた。


「全員は無理だが、お客さんたちだけならいけるかな? なあまどか?」

「えっ、ええ。布団五つですよね……うん! 問題ないかと」

 矢野さんが手をポンと鳴らした。


「どうでしょうか?」

 僕は野々宮さんと関口さんの顔を覗き込んだ。

「そうだなあ。まだマシかな」

「はい。そういうことならボクも賛成です」


 二人ともぎこちないけど頷いてくれた。

 三村さんはというと何も言わない。無言の了解と勝手に受け取った。

「三雲くんがいてくれるなら、私も安心」

「あ、ありがとう!」


 野口さんの笑みが胸に染みわたる。

 これが楽しい旅行だったならどんなに――。


「俺たちは三人で一部屋だ。問題ないな」

「はい。俺は全然」

 首肯した吉村さんに対し、

「えぇ~。てんちょー、いびきうるさいんだもんなぁ」


「それなら、ハープの音色をじっくり聴いてから寝ることにするよ」

 ハハハ、と束の間の談笑がリビングダイニングルームに響いた。


「じゃあ早速支度だ」

「あいあいさー!」

「あっ、俺も手伝いますよ」


 先に部屋を出ていった矢野さんと吉村さんの後を追う三尾さん。去り際、こちらを振り返って、

「皆さんはお風呂でもどうぞ。男女別だから安心してな」

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