忍び寄る悪意
「ごちそうさまでした!」
僕は使い終えた箸を綺麗に揃えて皿に置いた。
すかさず矢野さんがやってきて、空いた皿を片付け始める。
「ゴメンね。少し急いでつくったから味びみょーかも」
「美味、の間違いですよ」
僕はすかさず首を振る。謙遜どころか自慢するべきだ。さすが宿泊施設をやっているだけはある。非常事態だけど味の変動はないようだ。
メニューは白身魚の煮つけに近くで採れるという山菜のおひたし、ホロホロにほぐれた身が入ったお味噌汁のお陰で体はポカポカだ。
「ったく、明日には復旧するんじゃろうな?」
せっかく温まった体から、すぅと熱が引いていく。
三村さんだ。夕食を半分以上も残し、既に箸を置いている。大きめなダイニングテーブルに座る吉村さんを睨んで離さない。
彼は僕らの中で一番年配だ。顔に浮かぶ皺の濃さから六十代。それ以上かもしれない。髪には白髪が混じり、若干後退し始めていた。
「……俺たちボランティアにできることはありません」
毅然とする吉村さん。事務所から戻った彼によると、災害対策部隊が撤去を進めているらしいけど、目途は立っていないらしい。そんな二人のバチバチを、既に食事を終えた野々宮さんと関口さん、それに――。
「……おいしかったね、ごはん」
隣に座る野口さんが気まずそうに見守っている。
「うん。とっても」
僕は小声で呟いた。
『……引き続き、*県三華村周辺で起きた土砂崩れのニュースです。本日夕方に発生した土砂崩れにより三華村は現在、完全に孤立状態となっております。村内には住人や来村者、少なくとも数百人が――』
リビングダイニングルームに設置された液晶テレビから聞き慣れたニュースが流れてきて、
「おい。消してくれないか」
三村さんはリモコンの近くに座っていた関口さんに標的を移した。
「あっ、はいっ!」
オドオドした動作で関口さんがテレビを消したことで、室内には時計の秒針が進む音のみが響く。
「はいはーい!」
静寂を切り裂いたのは、矢野さんの陽気な声だった。
「三村さん、お食事はお済みですか?」
「……最近の娘さんはいちいち言わんとわからんのか」
吉村さんが腰を浮かしかけたが、矢野さんが三村さんの背後で『待った』をかける。
「あっはは、ですよね~」
ややぎこちない笑みを浮かべ、皿を引っ込めていく。一番おいしい切り身がそのままでもったいないと思った。しかしたとえ箸をつけていなくても口に入れたくない。
「まどか~その皿持ってきたら寝室の準備頼む」
「りょーかいです。てんちょー」
ガチャガチャと皿を置く音がした後、矢野さんはリビングダイニングルームを小走りで出ていった。
「三村のじいさんよぉ」
その直後、キッチンで後片付けをしていた三尾さんがノシノシと大股でやってくる。表情はやや強張っていた。
「みなさん、じいさんと同じ気持ちだぜ?」
「ああ? だからどうした」
「せっかくの憩いの場なんだからよ、せめてリラックスできるようにしたいとは思わないかい?」
「……はっ、三流宿のくせに」
「あ?」
さすがにヤバいと思った。さらに一歩踏み込んだ三尾さんに吉村さんが駆け寄る。
「三尾さん。深呼吸しましょう。ね?」
「スーハー。これでいいかい?」
「えっと、もう少しゆっくり大きく……」
吉村さんだけでなく、客である野々宮さんも立ち上がっていた。関口さんはアタフタと視線を右往左往させるのみ。僕も一緒だった。隣の野口さんは薄桃色の唇をきゅっと結び視線を伏せている。
「三村さん、でしたっけ?」
野々宮さんの問いかけに三村さんは視線を逸らした。
「確かにイライラされる気持ちはわかります。しかしそうしても状況は変わりません。現在復旧作業が進んでいるようですし、各自連絡も済ませています」
僕は頷く。夕食前、小さな寝室に荷物を置いて一息ついたときに家族に連絡した。両親はひどく心配していたけど、宿泊させてもらえると言うと安堵していた。
「ですので、今日はゆっくり休ませていただきましょうよ」
「……こんなボロ宿でゆっくりなどできるか」
「では出て行ったらいかがですか?」
「……ほう? 帰れなくなった来村者を追い出すのかこの村は?」
「なんなんですかあなたは!」
ついに野々宮さんまでヒートアップした。
「そんなに帰りたいなら帰ればいいでしょう」
「できるのなら、とっくにしているわい!」
三村さんものっそりと立ち上がり、さらなる混沌とした弁舌合戦が幕を開けようとしたそのとき――。
「きゃあああぁぁっ!」
玄関の方から、矢野さんの悲鳴が響いた。
*
三尾さんを先頭に玄関に行くと、矢野さんがぺたんと女の子座りして両肩を震わせていた。
駆け付けた三尾さんに、矢野さんは震える指で玄関扉を指さす。
「あ、あんなものが――」
僕らの視線が玄関に貼られた白い紙に釘付けになる。
そこには、赤字でこんなことが書かれていた。
『三々とする深き夜、災い来たりて散々な惨状を振りまく』
踊るような赤字。まるで血で書かれたようだ。一体誰が――。
「ひゃっ」
隣に立つ野口さんが口元をおさえ、息を呑む。
「なんですかあれ? いたずら?」
首を傾げた関口さんに、野々宮さんはぶんぶんと首を振る。
「にしては、悪趣味過ぎないか?」
僕もそう思った。現在はそんな楽観的な状況じゃない。
「ほうらみろ。土砂崩れといい、やはりこの村は呪われているんだ」
吐き捨てるように三村さんは言った。その言葉に、昼間団子屋の店主から聞いた話が否応なく思い出される。
「正直に言ってくれ。あれを貼ったのは誰だ?」
三尾さんの言葉に名乗りでる者はいない。
「あんたじゃないのか?」
三村さんは真っ先に吉村さんを指摘した。確かに玄関を最後に使ったのは、事務所に一旦戻った吉村さんだが――。
「いえ。俺が戻ってきたときにはありませんでした。間違いないです」
では、ここにいる誰かだろうか。しかし何のために。
あるいは外部犯もありうる。こっそり玄関を開けて貼って立ち去るのみだ。外は大荒れの天気というわけではないので十分可能性はある。しかし――。
「吉村さん。戻ってきて鍵はしましたか?」
僕の問いに彼は「当然。したさ」と頷いた。
ということは、内部犯に絞られる。僕らが到着したときには確実になかったのだから。
「おいおい、何のつもりだよ?」
三尾さんの視線がはじめて、怪訝なものに変わる。
「ミステリーイベントの開催を承認した覚えはねえぞ?」
誰もが首を振る。
「勘弁してくれよ」
はぁ、と大きなため息をつく三尾さん。
「ささ、まどかちゃん」
「あ……ありがと吉兄」
吉村さんの手をとって立ち上がる矢野さん。吉村さんはゆっくりと彼女の背中をさすり、改めて文言を眺める。
「三々とする……これってもしかして」
彼は懐からスマートフォンを取り出すと、数回タップして耳にあてる。
「あっ、お疲れ様です。吉村です。夜分遅くすみません」
事情を丁寧に話す吉村さん。
「――つきましては、村長のユキコ様をお願いできますでしょうか」
村長――その言葉に背筋が震えた。
吉村さんは低姿勢で話を続ける。文言を一言一句伝えると、おもむろにスマホを耳から離した。
「……村長から皆様へお話があるそうです。スピーカーモードにしますね」
すると、ザザッと衣擦れの音が響いた後、しゃがれた女性の声が聞こえた。
『皆の者、よく聞きなされ。それは昔、三華村がまだ三禍村と呼ばれていたときの言い伝えじゃ。今日は既に天災が起きた。しかも今夜は三が重なる夜。くれぐれも外には出ぬように。特に深夜、日付が変わった午前三時三十三分三十三秒は、用心を怠らぬようにな』
それだけ言って、村長の声は止んだ。
漂う静寂がより濃度を増した気がした。
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