束の間

「はあ? どういうことよ!」

「救助隊は来るんでしょうね!?」

「弱ったなあ。今日帰れねえじゃんか」

 来村者たちの不満が爆発する。全員、僕と同じ漢字を含む人たちだから他人事に聞こえない。まるで僕の内心を代弁しているようだ。


「ねえ三雲くん? どうしよう?」

 野口さんが小動物のように体を震わせた。

「だ、大丈夫だよ。なんとか、なんとかなるって」

 しかし言葉とは裏腹に体は正直だ。さっきから震えが止まらない。


「みなさん! 落ち着いて下さい! ひとまず宿泊施設へっ!」

 村のあちこちでボランティアの人たちが声をあげた。不測の事態だというのに取り乱したりもせず、点在する宿泊施設へ来村者を誘導し出す。


「おおう君たち! まだ残っていたんだね」

 聞き覚えのある声に振り返ると、吉村さんが強張った顔を向けていた。昼間抱いていた子犬はおらず、代わりに誘導用の旗を持っている。


「状況はどうなんでしょうか」

「わからんが、下山する唯一の道がやられたとなると……」

 唇を噛む吉村さん。その仕草を見て野口さんがさらにブルッと体を震わせた。


「とりあえず宿泊施設へ案内するよ。少し休んだらいい」

 僕らは頷き、吉村さんの後に続いて歩き出す。誘導する彼の背中が逞しい。いつの間にか空には分厚い雲が広がっていた。


「へいき? 野口さん」

「え、ええ」

 コクン、と彼女は弱々しくも頷いた。


「ごめんね。僕が誘ったばかりに」

「そんな。三雲くんのせいじゃないわ」

 首を振った拍子に、セミロングの黒髪から甘い香りが漂ってきて鼻腔を突き抜けた。


「明日には帰れるよね」

 彼女の問いかけに、僕は曖昧に頷くことしかできなかった。


  *


 僕らがやってきた宿泊施設は村の北東あたりに建つ二階建ての施設だ。藁ぶき屋根の建物が目立つ村だけど、ここは近代的なつくりをしている。入口から明かりが漏れ、ほんの少しだけど安心感に満たされる。


 到着すると先客たちがフロントで雑談をしていた。

「まだ来るのか。まったく、騒がしいのは勘弁してほしいね」

 僕と野口さんに気づいた年配の男性がギロリと鋭い視線を向ける。一目で嫌なひとだと感じた。


「三村さん。こんなときくらい助け合いませんか」

「けっ」

 声をかけた吉村さんには見向きもせず、三村さんは奥のリビングダイニングへ消えていった。吉村さんは握り拳をつくりながらその背中を睨む。彼は三村清みむらきよしさんというらしい。


「吉村君、時にはグッと堪える闘い方もあるんだぜ」

「は、はあ。わかってますけど」

 三村さんとすれ違う形でやってきた大柄な男性が吉村さんの肩に手を置いた。僕と野口さんを見やり、「ささ、上がんな」と丁寧に声をかけてきた。


「大変なときに来てくれてありがとな。俺はオーナーの三尾敬みおけいだ。ゆっくりしていってくれ」

 嫌な顔一つせず、受け入れてくれたことに感謝を伝えた。野口さんも安心した表情を浮かべている。


 僕らが靴を脱いでフロントにあがったとき、近くで雑談していた二人の男性が近づいてきた。

「お互い大変でしたね。しかしこれも何かの縁。よろしくな」

 前向きなセリフと明るい表情が印象的な彼は野々宮三郎ののみやさぶろうと名乗った。僕と同じくらいの背丈で三十代くらい。顎髭が濃く、ワイルドな見た目だった。


「……よろしくお願いします」

 一方、もう一人は控えめで礼儀正しくお辞儀をする。彼は関口雄三せきぐちゆうぞうと名乗り、恥ずかしそうに視線を伏せてしまった。童顔なので若々しい。同世代かもしれない。


 三尾さんが僕らを見渡した後、

「吉村君。残念だがうちはもう限界だ」

 と言って腕で×マークをつくる。


「いえいえ。こんな状況なのにありがとうございます。事務所戻って状況を確認しておきます。恐らく来村者全員がどこかしらに泊まれると思いますよ」

「それはよかった。我ながら三華村のおもてなしはスゲェな」

「脈々と受け継がれていますよね」

 わっはっは、と豪快に笑う三尾さん。緊張の糸がほぐれ、僕もつられて笑ってしまった。


「てんちょー!」

 そのとき、リビングダイニングから一人の女の子が飛び出してきた。短い黒髪をまとめエプロンを巻いている。


「まどか。オーナーと呼べとあれほど」

「わわっ! すみません。でもてんちょーの方がしっくりくるというか」

 てへっとまどかさんは笑みを浮かべる。三尾さんからスタッフの矢野やのまどかさんと紹介があった。「よろしくお願いしますね!」と矢野さんはぺこりと挨拶した。


「それはそうと、今夜の夕飯、少し多めの方がいいですよね」

「そうだな。頼む」

「合点承知です! あっ、そうだ! 吉村さんもどうですか?」

「えっ、俺もいいんですか?」

 吉村さんの表情が途端に明るくなる。


「だな。食っていけよ。というかお前も帰れないよな。事務所に泊まるのか?」

 ええ、と吉村さんは頷く。

「なら泊まっていけよ。いつも助かってる礼だ」

「そんな悪いですよ。しかも先程限界だって」

「一人くらいなら大丈夫だ」


 しばし考え込んだ吉村さんだが、好意を受け取ることに決めたらしく、表情を緩めてガッツポーズをする。

「ボランティアやっててよかった~」

 その様子に矢野さんが満面の笑みを浮かべる。


「お! 吉兄も参戦か! 賑やかになりそう」

 矢野さんの笑顔は淀んだ空気を晴れ渡らすほどの威力だった。まるで野口さんのように。そんな矢野さんは僕の横で破顔してリラックスする野口さんを見つめる。

「女の子もいるし! ねね? あとでガールズトークしようね」

「えっ! ええ。私でよければ」


 しばらく雑談した後、吉村さんは一度事務所に戻ることになった。

「状況確認と三尾さんたちにお世話になる旨、伝えてきますね」

 そう言って、吉村さんは施設を出ていった。

 大変なことが起きたけど、それを感じさせない雰囲気にホッと一息ついた。

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