禍から生まれた華

向陽日向

発端

「『人混みに行き思い切って手を繋ぐ』? なに考えてんだか」

 僕は熟読している恋愛成就本をジャケットの胸ポケットにしまった。一週間くらい前に買って今日に備えてみたけれど、どれもハードルが高すぎて実践できそうにない。


 三月二日、平日とあって駅前は行き交う人達でいっぱいだ。連日の大雨がようやく止んで、空には雲一つない青空が広がっている。スーツ姿のサラリーマンに混じって、陽気な若者集団が目立つ。きっと僕と同じ大学生だろう。長い春休み、羽を伸ばしたくなるのも頷ける。


 今日は駅からバスに乗って都内を離れ、隣県の山中にある三華村みつかむらに課題調査に行く予定だ。雨が心配だったけど、止んでよかった。

 僕から誘っておいて生憎の天気では、この先希望がないことを暗示しているようだから。


「あっ! 三雲くん。おまたせ!」

「おわっ!」

 ポケットに入れておいたピンク色のお守りを握りしめていたら突然可憐な声が飛び込んできたので、思わず身を引いてしまった。


「あ、ゴメンね。驚かせてしまって」

「う、ううん。僕の方こそごめん」

 隣に天使と見紛うほどの可愛い女の子が立っていた。


 彼女は大学の同じクラスの野口三奈子のぐちみなこさん。一年生の頃から気になっていて、ダメもとで誘ってオッケーを貰ったときは泣きそうになった。今日の野口さんはチェック柄を取り入れた可憐なコーデだ。いつも以上に可愛く、本当に涙が出そう。

 名目は課題調査。本音は――。


「三雲くん?」

「あっ、いや!」

 周囲はまあまあの人混み。だけど手を握れるわけないじゃないか。


「さっ、早速行こうか! バス乗り場、あっち!」

「うん! 課題、頑張ろうね」

 ブイッとピースサインをして、にへらっと笑う野口さんに僕はもうノックアウト寸前だった。


  *


「はい。では次の方~」

 バスに揺られて一時間、さらに山道を歩いた先に三華村はある。入口では数人が列をつくっていた。来村者だとしたら、僕らと同じ『三』を含む人たちだろう。


 村は少し変わっていて、名字か名前に『三』をもたない人は来村できない。閉鎖的な村を興す試験プロジェクトの一環らしい。

 僕の前に立った野口さんが入口脇に設置された顔認証装置に一歩近づく。来村予約と照らし合わせ本人確認しているのだ。ホテルやイベント会場でよく見かけるようになった装置だけど、奥まった山間で顔を合わせるとは思わなかった。


三雲均みくもひとし様と野口三奈子様ですね。ようこそ三華村へ!」

 ぺこりとお辞儀して村に入る野口さん。僕も後に続いた。

「みてみて三雲くん」

「わあ、凄いね。写真で見たとおりだ」


 村内には昔ながらの家屋や小屋が静かに佇んでいた。屋台も立ち並び、肩を並べて食事を楽しむカップルがいて、少し羨ましかった。古びた家屋に混じって近代的な建物もある。村のボランティアを管理する事務所や宿泊施設らしい。まさに昔と今が絶妙に絡まり合ったハイブリッド村だ。


 見学コーナーでは昔の農作業の様子を伝えるフリップなんかもあり、僕らは早速メモを取る。

 横目で野口さんを見つめる。短めの睫毛がピクッと動く度に、胸の奥がチクチクした。


「へぇ。珍しいね。学生さん?」

 と、陽気な声をかけられた。僕と同じくらいの背丈の男性が興味顔で見つめてくる。腕で子犬を抱いていた。着ているシャツには『三華村ボランティア』とある。

 野口さんが会釈して、課題調査の旨を伝えた。


「偉いなあ。最近の学生さんは!」

 そう言ってボランティアの男性は高笑いした。彼は吉村裕司よしむらゆうじと名乗った。

 三が含まれていないが、吉村さんは「ボランティアだからね」と自信たっぷり顔だ。


「子犬ちゃん可愛いですね」

「だろぉ? 村のアイドルだからね。ハナミツっていうんだ」

 野口さんが子犬を撫でる。子犬は心地よさそうに両目を閉じてされるがままだ。うっとりする野口さんの表情に、僕もうっとりした。


「ゆっくりしていきな。課題頑張ってな」

 そう言って吉村さんは去っていった。ボランティアは他にも何人もいて、来村者対応をしていた。

 しばらく調査を続け、屋台でみたらし団子を買った。奢ってあげると野口さんは「ありがと」と上目遣いで言った。


 はむり、と団子を口に含む野口さん。頬を膨らませ、上品な仕草で口元に手をやる。

「うめえべ?」

「ええ、とっても!」

 野口さんの満面の笑みを眺めながら頬張ると、団子の甘みがより増す。


「三雲くん、口元にタレが」

「ん?」

 すかさず野口さんは団子と一緒にもらった紙布巾を差し出す。恥ずかしさが込み上げる中、タレを拭った。

 屋台の店主は皺がかった顔を少年のように綻ばせた。


「君らみてえな人達ばかりなら、もっと人っ子招いてもいいんだがな」

「え?」

 そのとき――。


『鎮まりたまえ』


 村の中心から厳格な声が響いた。祭壇が設けられ、白装束姿の村人たちが祈祷を捧げている。周囲の来村者たちは足を止め、儀式を見守っていた。


「安全祈願だよ」

 ぼそり、と店主は言った。

「今夜は三が重なる一年で唯一の禍の夜だからな」

 ビクッと野口さんが体を震わせた。


 その姿を見て、店主は厳格だった表情を緩める。

「おお悪いな。昔の話さ。ただ、祈るに越したこたぁねえ」

 屋台を後にしても、店主の話が耳にこびりついていた。野口さんは団子が喉を通らなくなったらしく一個だけ残してしまった。


 せっかくの課題調査が何だか重苦しくなってしまった。

 一通り調査が終わった夕方、村を出ようとした。なにもアプローチできなかった歯がゆさでいっぱいだった。


 しかし、それは叶わなかった。

 連日降り続いた雨のせいで土砂崩れが発生し、山道が寸断されてしまったのだから。

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