第39話
女性へのDV疑惑が持ち上がったが、世論的には大吾への批難はまったく起きなかった。訴えた女性達は警察に被害届を出したわけでも訴訟を起こしたわけでもなかった。
この話はすぐに消えた。
一方、一時やんでいた若葉への風当たりが再び吹き始めたのだった。
その理由は三浦大吾が記者会見を開いた事による。
大吾は記者会見で、警察の対応への不満を述べた。
「鮎川若葉氏の私に対する許しがたい名誉棄損および侮辱罪について、三か月前に警察に被害届を出しました。被害届は受理されたものの、その後まったく動きがありません。これには『何らかの力』が働いているに違いないと私は考えます」
またワイドショーがこの話を蒸し返した。
弁護士資格のあるコメンテーターは、
「明らかに名誉棄損罪が成立するのに、警察の捜査が入らないのは不思議だ」という意見を述べ、大吾の言い分を全面的に支持した。
「何らかの力」とは言うまでもない。
若葉の夫、圭太が警官だからという理由だった。
身内に甘い警察、警察の忖度、揉み消し行為、そんな言葉がSNSでも飛び交った。
どこからか知らないが、圭太の高校時代の顔写真がネット上で出回り、圭太が勤務していると噂が上がった交番には生卵がぶつけられ、その様子が動画撮影された。
迷惑系ユーチューバーによるものだった。
圭太は交番勤務などしたことがない。すべてデマだ。
そのユーチューバーは逮捕されたが、それも不公平感を煽った。若葉には捜査のメスが入らないのに、というのがあったのだ。
「不公平感」は民衆の不満を爆発させやすい。特権階級が上級国民として特別扱いされるのに我慢できない。皇族でさえ非難される時代だった。
風向きが百八十度変わったのは、もうすぐ師走に入るという頃だった。
週刊誌が大吾に関する一つのスクープ記事を出した。
それは九年前、大吾がアメリカで設立した会社「ギブンズ」に関する話だった。
ギブンズは三浦大吾が中心になって、カレッジ仲間三人で設立したECサイトを運営する会社だ。
ギブンズは事実上、大吾によってつくられた会社だとされているが、まったく違うとある人物が週刊誌上で暴露した。
その人物は仲間の三人の内の一人、ジョセフという白人男性だった。
ジョセフの話によるとギブンズを設立したのは、トーマス・スズキという日系のITエンジニアで、大吾はトーマスに雇われていたに過ぎないというのだ。確かに日本市場をターゲットにすべきだとアイディアを出したのは大吾だったが、サイト運営はトーマスが一人で行っていた。
ところが、ギブンズが売り上げを伸ばし、順調に業績を伸ばし始めた二〇一二年の夏に、突然トーマスは行方をくらました。それ以降、ギブンズのすべてを大吾が握ることになった。
大吾はすぐにギブンズを大手IT企業に身売りし、そのまま日本に帰ってしまった。
ジョセフは、ずっとトーマスを探し続けたが、その行方は杳として知れなかった。
それが一か月前、パームスプリングの砂漠地帯で、トーマスが白骨死体として発見されたのだった。トーマスは大吾によって殺され、会社を乗っ取られたのだと地元警察にジョセフは訴えた。
現在、州警察も捜査していて、近いうちに大吾は逮捕されるだろうと、ジョセフは週刊誌で述べている。
十二月に入ると、テレビのワイドショーは、この話で占められた。
ジョセフは日本のテレビ局のインタビューにも応じ、三浦大吾が間違いなくやったと述べた。
一方、大吾の方もインタビューに答えた。
こちらも臆することなく堂々と自信たっぷりにジョセフの言い分がいかに出鱈目かの自説を話した。
見せかけの自信とは言え、ここまで尊大な態度を保てば、大吾を信じる人間も少なからずいるだろうなと若葉はテレビ画面を見ながら思った。
サイコパスやソシオパス、反社会性パーソナリティ障害が治ることはない。
十五歳までに、あれだけの犯罪を犯して来た人物が、それ以降の二十年でピタリと犯罪をやめることは絶対にありえない。
彼は犯罪をやり続ける。ゲームをやめられないのだ。
その中には、必ず確固たる証拠が出てくる犯罪もある。
若葉は大吾がいずれ捕まることを知っていた。
それは予想ではなく確信だった。
しかし、そうなった時に過去の証拠の無い犯罪はすべてなかった事になるのではないか。
若葉はそれを危惧したのだった。
「疑わしきは罰せず」はもっともだが、罰することは出来なくても、せめて、その「疑わしき」を晒しておかずにはいられない。
でなければ、沢村正樹は浮かばれない。
若葉がリビングのテレビを見ていると、圭太が帰ってきた。
彼は冷蔵庫から缶ビールを取りだし、封を切って、ゴクンと一口飲んでから若葉の横に座った。
「ようやく始まったな」
「ええ」
若葉はテレビを見ながら頷いた。
「実はな、これ警察の誘導なんだよ」
若葉は「本当?」と少し驚いて、圭太を見た。
圭太はすました顔で言った。
「週刊誌にリークしたのは警察。それで、奴らはジョセフに取材しに行ったのさ」
「世論形成ってわけね。でもそれは危険なやり方よ」
わかってる、と圭太は言った。
警察とマスコミは現代のネット社会においても、まだ大きな力を持っている。それが日本社会のダメな面でもある。
「一つ聞きたいんだけど」
若葉は言った。
「守秘義務があるから黙秘するぞ」
別にそれでもいいわ、と若葉は微笑んだ。
「名誉棄損で刑事告訴された時、『大丈夫だ』って言ったわよね。何か理由がありそうに見えたけど」
その後、圭太も世間のバッシングに遭ったのだった。
「警察は動くに動けなかった。なにしろ、三浦大吾は五つの犯罪で内偵中だったからな」
若葉は圭太の横顔を見つめ、ふうん、と意味ありげに言った。
ビールを飲みながら、圭太は若葉をチラリと見返した。
「なんだよ、それ」
「別に」
若葉は自分の選択が間違っていなかったと思ったのだ。
年が明けて、二週目の水曜日の夜、ネットとテレビに同時に速報が流れた。
三浦大吾が東京地検により逮捕されたというニュースだった。
容疑は証券取引法違反。
「相場操縦」と「インサイダー取引」
意外な容疑での逮捕だった。
明日からのワイドショーがまた喧々諤々しそうだと若葉は思った。
さっそく、テレビ局から若葉への取材の申込みがあった。
もちろん断った。
その後、警察はトーマスの事件でもアメリカの司法当局と連携しているとリーク。
さらに、彼には他にも殺人を含めた数多くの疑惑が浮上した。
ここにきて、ようやくマスコミも彼がサイコパスではないかと言い始めた。
ほどなくして、若葉を解雇した母校の青蘭女子大から再び教壇に立たないかと誘われた。准教授じゃなく今度は正式に教授としてポストを与えたいとのことだった。
若葉は丁寧にその申し出も断った。
別に母校が嫌いになったわけではなかった。
仮に春から大学に復帰しても、すぐに休みを取らなければいけない。
若葉は華奢な手で軽く自分のお腹をさすった。
生まれてくる子は男の子のような気がした。
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