第38話

生配信された「ワカバ先生の一発回答相談室」は、最終的に百万人が視聴した。

見ていた人がツイッターで次々と拡散。あっという間に視聴者が五倍にも膨れ上がった。


翌日のネット記事トップは

『三浦大吾氏をサイコ呼ばわりの女教授大炎上』


三浦大吾は鮎川若葉を名誉棄損、侮辱罪で刑事告訴し、民事でも争うと怒りの記者会見を行った。


テレビのワイドショーでもこの事は取り上げられ、コメンテーターは若葉を猛批判した。

「三浦大吾氏をサイコパスだと言うが、どちらかと言うとサイコパスは彼女の方じゃないですかねえ」と揶揄するコメンテーターもいた。


番組制作をしたマーキュリーTVはすぐにホームページにて謝罪文を掲載。

「ワカバ先生の一発回答相談室」の打ち切りを発表した。


若葉が勤務する青蘭女子大学にも抗議のメールや電話が殺到。この問題を重要視した大学は若葉に停職処分を言い渡した。

しかしそれでも世間は「処分が甘い」と許さなかった。

根拠のない事で大吾を殺人者呼ばわりした、頭のイカれた教授を解雇しないのはどういう訳だというのがその時の世論だった。

このままではまずいと判断した大学側は、若葉に真意を聞き取り、事実関係を確認した後で、より厳しい処分を取ると回答した。

しかし、大学側から若葉に接触がないまま、二週間後に大学から若葉は解雇処分を通告された。


若葉は自宅のマンションから外出することもままならなくなった。

しばらくは週刊誌やワイドショーの記者、カメラマンがマンション前で待機していた。

住んでいるマンションの管理組合からも「住民から文句が来ている」と通達がきた。暗に退去してほしいと言われたようなものだ。

若葉の研究室のメルアドには若葉への抗議や罵詈雑言の中傷のメールが殺到した。さらに、大吾のファンからは若葉への殺人予告さえあった。

ネットは、ワイドショーが生易しく感じるぐらい、若葉への凄まじいバッシングの嵐で埋めつくされたのだった。


若葉は夫の圭太に「ごめん」と頭を下げた。

しかし圭太はまったく気にする素振りを見せなかった。

こんな事は一か月もすれば落ち着くさ、と平然と笑った。



実際、ひと月が過ぎると、自宅前の記者達はいなくなり、抗議のメールも十分の一になった。

ワイドショーでも取り上げられなくなった。

しかし、ネット掲示板やツイッターでの若葉への批難の書き込みはそれほど減らなかった。


夫や大学の教え子の一部、兄以外、若葉の味方は誰もいなかった。豊石に住む実家の母は狼狽え、父は食欲をなくし伏せり気味だと聞かされた。

若葉は自分ひとりの問題じゃなく、大きな代償を払ったのだと知った。


中学時代の友達、野口珠緒から若葉を心配する連絡があった。

ただ、それは電話ではなくメッセージアプリでの連絡だった。

「すぐに行ってあげたいけど、子供がまだ小さいから」と珠緒はメッセージアプリで謝った。

珠緒は地元の企業に就職し、職場で知り合った男性と結婚した。幼稚園児の子供二人を抱えている。珠緒とはメッセージアプリでのやり取りはたまにあるが、実際に会うことはなくなっていた。

結局、その程度の間柄になった。

高校時代の親友、小笠原真央からは直接電話があった。

真央は大阪で独り暮らしをしている。現在はヨガのインストラクターだ。

彼女が上京する時や、若葉の大阪出張の折り、必ず会っていた。地元の友達で今でも付き合いがあるのは真央だけだった。

「来週の日曜、東京に行くから会おうよ」

「無理しなくてもいいわよ」

「東京五輪の下見なの」


日曜の午前中、早い時間帯に、真央はキャリーバックを転がしながら若葉のマンションにやって来た。

到着するなり「さあ、遊びに行くわよ」と真央は言った。

どこへ?と若葉が言うと、

「どこでもいいのよ、あなた暇してるでしょ」


若葉は考えてみれば、上京してから東京の観光地巡りはしたことがなかったなと思った。

スカイツリーも東京タワーも登ったことはないし、ディズニーランドも一度行っただけだ。歌舞伎も観たことなかったし、コンサートや演劇の鑑賞もしたことがなかった。そう言えば、原宿にさえ行ったことがなかった。

真央にそれを言うと、呆れ顔をされた。

「若葉、十七年も東京に住んでいて何してたのよ」

「遊園地なんて行く年じゃないでしょ」

「そういう問題じゃない」


そのまま真央に引っ張られるように浅草に行って、花やしきのスリル満点のジェットコースターに乗り、その後にスカイツリーに登った。そして浅草近辺で美味しい物を食べ歩いた。

カラオケで歌い、ゲーセンで「ダンスダンスレボリューション」をやり、二人でプリクラを撮った。

プリクラを撮っている時、高校の時も同じ事をしたねと笑いあった。

十七年経って「ダンスダンス」もプリクラも進化していたが、真央と一緒にいると、あの時と何も変わっていないように思えた。


三日間、真央と東京巡りをした。

真央は、例の出来事にはまったく触れず「来年、東京五輪で来るから、よろしく」と言って大阪に帰っていった。

若葉は真央を東京駅で見送りながら、泣きそうになるのを堪えた。

真央への感謝の気持ちでいっぱいだった。

覚悟していたとは言え、世間からつま弾きにされることがここまで堪えるのかと知ったのだ。

ネットもテレビもいっさい見ず、情報を遮断していても、道行く人の視線が若葉に突き刺さる。あるいはそれは若葉の自意識の問題かもしれない。世の中の人は別に若葉を強く憎んでいない。

ネットやメールで若葉に罵詈雑言を投げつけた人達でさえ、匿名だからこそ攻撃的になるのだ。会ってみれば穏やかな普通の学生やOLだったりする。

それを理解しながらも、いざ、凄まじい言葉の暴力を投げつけられると、さすがの若葉も気持ちが落ち込んだ。

集団のなかで人と違った言動をとることの困難さ。目に見えない同調圧力で潰そうとする力の存在に平気な人間はいない。

それが普通の神経なのだ。

実家の両親にも累が及んでしまった。

私の行動は間違いだったのか。そんな弱気な心が若葉にも幾度も襲ってきた。



夏のネット生配信から三か月経った頃、水面下で少しだけ事態が動き始めていた。


ある日、若葉は美容院に行った。

これまでセミロングにしていたが、ばっさり切りたい気分になったのだ。

美容院は混んでいて、若葉は待合室のソファーに座って、いつもの癖で女性週刊誌を手に取った。

取った後、しまったと思ったが、まあいいかと思い直し、週刊誌を開いた。

見るともなく週刊誌を捲っていると、三浦大吾の名前が出てきたので手を止めた。

それほど大きな記事ではない。

大吾が過去に付き合った事のある女性が、彼に対してDV被害を訴えているという内容の記事だった。

雑誌には大吾の言い分も書かれている。大吾は「金銭目的だろう」との見方をしていた。記事はどちらの肩を持つわけではなく一応中立の体裁を保っていた。

若葉はスマホを取りだし、ネットでも調べてみた。

ネットも同じようなものだった。

世間の耳目をひくような内容ではない。ネットのコメ欄を見ると、大吾の言い分を支持する意見の方が大半だった。


しばらくすると、さらに別の女性が二人、大吾に対してDV被害を訴えた。

またかと世間は反応した。ワイドショーのコメンテーターは「三浦氏はつくづく女性運が悪い方ですねえ」と笑った。

だが、ネット掲示板やSNSでは少数だが、女性の方を信じるという書き込みが現れ始めた。

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