第36話
CM中にディレクターが若葉にリアルタイムの視聴者数を教えてくれた。
二十五万人が生配信を見ていると言った。
ネット生配信の視聴者数としては上出来だそうだ。
大吾には軽いメイク直しが入った。若葉はメイクを断る。彼と一瞬視線が合った。大吾は不敵な笑みを漏らした。
面白いじゃないか、という自信が垣間見えた。
番組が再開される。
「さて、三浦さんの人生の転機になったのはやはり、中学を出てからの渡米ということになります」
司会者が話を開始した。
「ただ、その前にどうしても聞きたい事もあります。これもやや聞きにくいことなのですが、・・・お父様の死について」
司会者は確認するように大吾の方を見やった。大吾は軽く頷く。
「三浦さんは、中学三年生になるちょっと前、十四歳でお父様を亡くされています。このことで心境の変化というものは何かありましたでしょうか」
はい、と大吾は答えた。
「やはり、一家の大黒柱を失ったわけですから。中学生でしたが、男は自分一人です。自分がなんとかしなければと思いました。自立心というやつでしょうか。それが単身渡米へと繋がったと思います」
「その後の起業家への道は、それが転機と言えますか」
「だと思います」
次に渡米時代の話に移りますが、と司会者が言ったところで若葉は「ちょっとよろしいかしら」と手を挙げた。
「若葉先生、どうぞ」
「心理学者として、そのう、少し突っ込んだ話を聞きたいのですが」
いいですよ、と大吾は余裕を見せた。
有難うございますと若葉は礼を言った。
「お父様との仲はどうでしたか?」
「割と普通だったと思います」
「普通と言うと?」
大吾は視線を上げて少し考えた。
「会話はありませんでした。父は仕事人間でしたからね」
「キャッチボールとかしませんでしたか」
若葉は尋ねた。
「・・・キャッチボールですか? しませんでした」
「私は女ですが、ソフトボールをやっていたので小さい頃、父とキャッチボールをしました。兄が父とやっていて、小さいながらに、それが羨ましかった。だから自分もとソフトボールをやり始めたのだと思います」
キャッチボールか、そういえば私もオヤジとやりましたねと司会者が言った。
「昔は野球しかなかったから。父親は息子とのキャッチボールで絆を深めるんです。息子はそれを楽しみにする。そして自分が父親になった時にそれを思い出して、子供が出来たらやろうとする」
なるほど、と司会者が呟く。
若葉は姿勢を糺した。ここからが本番だ。
「実はですね、私は三浦大吾さんをゲストに向かえるにあたって、少し下調べをしたんです」
事前リサーチと若葉は言った。
若葉は三日前に、豊石市に戻っていた。
そこで大吾の母親に会って来たのだった。
その事を話すと大吾が怪訝な表情を見せた。
「この話はやめましょうか?」
また挑発的な物言いを若葉はしてみせた。
やめましょうかと聞かれて「やめます」とは絶対に言わない。心理的リアクタンスのテクニックだ。
「別に構いませんよ」と大吾は憮然とした表情をした。
では続けますと若葉は言った。
「お母さまの話によると、父親は息子とはまったく会話しようとしなかったそうです。だから彼の話したことは間違っていません。ただし、父子の関係はそれ以上だったという事です」
「それ以上とはどういう?」
司会者が尋ねた。
「父親は息子を嫌っていた。それも・・・」
若葉は少し躊躇った。これを言ったら彼がどう反応するかわからないと思った。
「触れるのも忌まわしいという感じで」
司会者は驚く。
「何故、そんな風になったんでしょう」
おそらく、父親は自分の息子がどこかおかしいと感じたのだろう。社会病的傾向。すなわちサイコパスの兆候を感じたのだ。
大吾は無表情だ。ただ右足を少しだけ貧乏ゆすりし始めた。
「僕だって父の事は好きになれませんでした。そういうのってお互い伝わるじゃないですか。父と息子で折り合いがつかないなんて日常茶飯事だと思うけど」
大吾は冷静さを装っている。
「確かに言う通りです。エディプスコンプレックスという言葉もあるように、父と息子が対立構造にあるというのはフロイト以来の定説です」
大吾の母は父親の態度が変わったのは弟の事故が境だと若葉に言った。
ひょっとして父親はあの瞬間、決定的な何かを見たのかもしれない。
「お父様の死因は交通事故だそうですね」
ええ、と大吾はぶっきらぼうに答えた。
父親は深夜に酔ってふらふらと車道に出て車に轢かれたそうだ。睡眠薬も飲んでいたらしい。若葉はその話を大吾の母から聞いて戦慄が走った。
正樹と同じだと思ったのだ。
「お父様の死後、あなたは学校で親友を殴り、名門私立を放校処分となった」
「父がなくなって、一時精神的に不安定になり、荒れた時期でした」
大吾は暗い表情をしてみせた。
「わかります。本来ならカウンセリングが必要だったのかもしれませんね」
大嘘だと若葉は心の中で思った。
父親が死んでショックだったわけではない。父親を殺したことで自分の中にある「悪の華」が開花したのだ。
その衝動が抑えきれず暴走した。
しかし、それらを証明することは不可能だった。
さらに正樹の死を含め、豊石市の中学に来てから発生した、一連の不可解な事件や出来事もいっさい証明できない。当時でも無理なものを二十年の月日が経っては成す術などあるわけがなかった。
しかし若葉は、かすかな突破口を見つけていた。
試してみる価値はある。
「三浦さんは、私の中学に来てからは明るく積極的な男の子でした。とても精神的に落ち込んでいるようには見えなかったのですが」
「その頃は環境を変えて心機一転しようと思っていました。だからですかね」
なるほど、と若葉は頷いてみせる。
三浦さんはすごいんですよ、と司会者に若葉は振った。
「転入してきて、すぐに学級委員になるほどのリーダーシップを発揮しました」
「そりゃあ、すごい」司会者は感服したように大吾を見返した。
「それに秋の文化祭の企画、彼ひとりで決めて実行したんです。これがなかなか考えられた物で、すごいなあと私は眺めていました」
大吾は自慢気な顔をみせた。彼のようなタイプは自尊心をくすぐられると弱い。それがお世辞と分かっていても。
「どんな企画でしたか?」
司会者が尋ねる。
「謎解きゲームみたいな物でした。なにか名前付いてましたよね」
コールドゲーム、と大吾が誇らしげに答えた。
「コールド」は冷たいという意味ではなく、審判の宣言により終了したゲームという意味。ゲームを続けるか中止するかは審判の判断一つにかかっている。
あのゲームの最終問題を解き、若葉は正解場所の校舎の屋上で大吾と会話した時の事を思い出した。
あの時、彼は屋上からの景色を眺めて、こう言った。
『俯瞰とか鳥瞰とか言うじゃん。すべてを見通す目みたいな感じが好きなんだよね』
それは神の目を持つということだ。
いわば「神コンプレックス」
自分の犯行を「創造的活動」とみなす。彼のような人間は支配できなくなることを極端に嫌う。ゲームの主導権は絶対に渡さない。神だから、本来の性格は自己中心的で尊大だ。だが、表面上はそれを隠すのがうまい。
そして邪魔者は密かに排除しようとするのだ。
「三浦さんは学級委員だったから、担任の木崎先生の事は覚えていますよね」
若葉は尋ねた。
木崎の名前を出すと誇らしげだった大吾が途端に顔を曇らせた。この前、番組出演の依頼に神谷町に行った時も露骨にその話はするなという態度をみせたのだった。
若葉はこれだ、と直感が働いた。
豊石市に戻った時、若葉は木崎の事も色々調べた。
「木崎先生は、とてもいい先生でしたが、二十年前の私達の卒業式の直後に自殺してしまったんです」
また、なんでそのような事に?と司会者が尋ねた。
「昔の教え子から一億円の慰謝料請求があって、それを苦に自殺しました」
若葉は自分が木崎について知り得たことをざっと話した。
昔の教え子が木崎の体罰が原因で首から下が麻痺したこと。木崎は自責の念にかられ、長い間、物心両面でサポートしていたこと。さらに、その生徒も木崎の事を半ば許しかけていた事を。
「でも、あの時、その教え子は突然一億円を請求しました」
「何故ですか?」司会者が前のめりで聞いてきた。強い関心を示したようだ。
大吾は、右足の貧乏ゆすりを激しくさせている。
「その障害を負った教え子は赤松洋さんといいます。赤松さんのところにある弁護士から手紙が来たそうです」
若葉は赤松洋にも会ってきた。赤松は木崎が自殺してしまった事を悔いていた。また木崎が最初から退職金全額を自分に差し出そうとしていた事を後に知って、激しく動揺した。
一億だなんて言わなければ良かったと目に涙を浮かべた。
「弁護士からの手紙には、『あなたは暴力教師に人生を奪われたのです。したがって、その補償を貰う権利があります。その金額は一億円です』と書かれ、木崎先生に民事訴訟予告状を送ること。その予告状に書く文章の定型文まで添えてあったそうです。この通りに書けと」
赤松洋は、最初何かの冗談だと思ってしばらくは放置したそうだ。手紙の主は東京の弁護士を名乗っているが、どうせデタラメだろうと思ったそうだ。
「ところが、試しにその弁護士の名前でネット検索してみると実在する弁護士というのが判明したのです。そこで赤松さんはその弁護士事務所にメールを出して事の真意を確かめた」
若葉は話を続けた。
「すぐに返信がありました。自分は人権派弁護士で、特に教師の暴力による子供の被害に関して調査している。あなたの訴訟は私が全面的にバックアップするからぜひ、行動を起してほしいと」
若葉はここまで一気に喋ると一息入れた。
大吾が若葉を睨んでいた。
若葉も負けずと睨み返した。
「その東京の弁護士の名前は三浦辰雄と言います」
ミウラですか、と言って司会者は大吾の顔を見た。
「三浦大吾さんのお父さんです」
と若葉は言った。
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