第35話

若葉は一度だけ民放のテレビ局に出向いて出演したことがある。学校教育の問題について心理学の観点から意見を求められたのだった。

テレビ局を宮殿に例えるなら、ネット番組のスタジオはワンルームマンションのようなものだった。

小さなカメラが三台。編集スタッフも二、三人しかいない。

しかし、小さなカメラでも4K撮影できるし、ハイエンドのノートパソコン一つあれば独りで編集も可能だ。ハイテク機材の進化とインターネットの発達はメディア界の特権をはく奪し、その気になれば誰でも情報発信できる世の中に変えた。

新たなカリスマはネット空間から出現する。


スタジオの隣、狭いメイク室で若いスタイリストに若葉は髪のセットと化粧を施してもらう。番組が用意したフレームなしのメガネをかけ、ダークスーツに身を包んだ。

若葉は事前に渡された、今日の収録予定と内容、進行手順などが書かれたプリントに目を落とし、次に、三浦大吾の詳細な経歴が書かれた紙をじっくりと読んだ。

ウィキペディアでは大吾が中学三年の時に愛知県豊石市に転校してきたことは省かれている。

だが、目の前の経歴書にはしっかり書かれていた。番組ディレクターは、最初にここを強調しますからと若葉に告げた。

「若葉先生と三浦大吾さんが同級生だったなんて、すごい偶然じゃないですか」



「ワカバ先生の一発回答相談室」の特番は休日の午後二時に生配信される。

マーキュリーTVのサイトの他、ユーチューブでも視聴することが可能だった。

今回はマーキュリーの会員でなくても視聴出来る。

新規会員獲得のための広告的な意味合いが強い特番だった。


番組が始まった。

軽快なオープニングテーマが流れ、中央の男性司会者がお辞儀をして挨拶を交わす。五十代の元局アナで、現在はフリーの人だ。


「こんにちは。みなさん。日曜日の午後、いかがお過ごしですか。『ワカバ先生の一発回答相談室』特番の時間です。本日のゲストは実業家でカリスマトレーダーの三浦大吾氏です」

大吾が軽く頭を下げる。上はネイビーのボタンダウンに下はベージュのスラックスを履いている。足元は黒の革靴。洗練されたスタイルだった。

司会者を中心に画面左に三浦大吾、右に鮎川若葉がゆったりとしたソファーに腰かけている様子が映し出されている。

司会者が軽く若葉の経歴を紹介した。次に大吾の経歴を話す。

「実はですね、私も驚いたんですが、今日のゲスト、三浦大吾氏と若葉先生は中学の時のクラスメートだったという事で・・・本当ですか?」

司会者が大吾と若葉の顔を交互に見やる。若葉は微笑むだけだったが、大吾は大きく頷いた後、口を動かした。

「そうなんです。僕は中学生の時に父親を事故で亡くしましてね。それまで東京の私立中学に通っていたんですが、経済的な問題で母の実家である愛知の豊石市に一時期いた事がありました。中三の時です。そこの中学で鮎川先生と同級生になったわけです。十か月だけでしたけど」

これがその時の写真ですね。

司会者がパネルを持って見せた。

若葉がディレクターに頼まれて貸した中学の時の卒業アルバム。

引き延ばされた写真には美少年の大吾が映っている。若葉の顔写真も拡大され、横に並んでいた。

「これは・・・まるで韓流スターみたいですね。超イケメンじゃないですか」

いやあ、と大吾は照れて見せた。

大吾は言った。

「鮎川先生だって美少女でしょ」

もちろんです、と司会者は大げさに頷いた。

「若葉先生、彼の印象はどうでした?」

それは格好良かったです、と若葉は答えた。

「女子生徒はみんな彼に夢中になりましたよ。彼の事はあっという間に学校全体に広まって、他のクラスの女子生徒が覗きに来るぐらいでしたから」

でしょうね、と司会者は同意する。

若葉は少し真面目な顔を作った。

「これは心理学で言うところの『初頭効果』と『ハロー効果』です。人間は最初の見た目でその人の評価が決まってしまいます。また、その人の地位とか出自が他人の評価に影響を及ぼします。彼の場合はイケメンが前者に、東京の私立中学から来たというのが後者に当たります。・・・こんな事を心理学で分析するのは野暮ですが」

若葉は微笑んだ。

「それじゃあ、若葉先生もその効果で三浦さんの事を好きになったんですか?」

司会者が少しからかうように尋ねた。

若葉は「まあ」と言葉を濁した。

「好きになんかなりませんよ」

と大吾が含み笑いをした。

「鮎川先生にはボーイフレンドがいましたから」

「本当ですか?」司会者が若葉にやや驚きの目を向ける。

はい、と若葉は答えた。

「彼とは将来結婚しようと考えていました」

そう若葉が言うと、司会者の男性は目を大きく見開き、さらに驚いた顔を見せた。お堅い大学の先生にそんな少女時代があったのかと、興味を持ったようだ。

「ひょっとして、今のご主人が中学の時のそのボーイフレンドとか」

若葉が違いますと答えると、「そうですか」と司会者はトーンを落とした。彼の興味は一瞬で消えたようだった。

大吾が沢村正樹の事を知っていたと確認が出来た。とりあえずはそれが収穫だと若葉は思った。

司会者が本題に入る。

「では、三浦大吾さんのお悩みを聞きましょうか。今、三浦さんが悩んでいる事、何かありますか?」

悩みですか?と言って大吾は顎を触った。

「ありませんか?」

「ありません、と言ったら終わっちゃいますかね」

司会者は笑った。

「ちょっと困りますね。それは」

「・・・少し気になるのは『炎上』かなあ。ネット上での」

司会者は安堵したように頷く。

「若葉先生、これは三浦さんだけじゃなくネット炎上は誰にでも起こりうるトラブルだと思いますが」

「そうですね。でも解決策は簡単です。ネットで発言しなければいいだけです」

司会者も大吾もハハッと笑う。

「でも、三浦さんのような知名度がある人はネットで発言しなくても記事にされてしまいますよね。それが炎上したり」

と司会者。

「結局『炎上』は、それが正しいか間違いかの話ではないのです。人間は本音と建前を分けて生活しています。本音とは自分の得になるように動くという事です。これを『利得最大の原理』といいます。根本的に誰でもこの願望はあります。美味しい物をたくさん食べたい、美人を独り占めにしたい。怠けていたいなどです。一方で建前も重要視します。嫌だけど税金を払わないといけない、ルールは守らなくてはならないなどです」

「はい、わかります」と司会者。

「人間は集団でしか生きられません。共同体を維持するためにみんな建前に従っているのです。『利得最大の原理』による本音は誰の心にもあるにもかかわらず、人が本音を不快に思うのは社会を壊しかねないという恐れが根本にあるからです」

「では炎上発言を繰り返す人は、共同体を軽視しているということですか」

「というより、彼らは自分ひとりでも生きていけると思っている自信家なんでしょう」

若葉はちらりと大吾の方を見る。

「彼のような成功者はそう思いがちかもしれませんね」

まいったなあと大吾は言ったが、どこか不満げな表情をした。

しかし、と若葉は続けた。

「これは最初に言ったように正しい間違いの話じゃないんです。ガリレオは『それでも地球は回っている』と言って炎上しましたから」

そう付け加えると、大吾は納得したように深く頷いた。


司会者は今度は大吾の経歴を時系列で記した特大パネルを広げた。

「三浦さんは一九八四年に東京の町田市に生まれました。お父さんは弁護士だそうです。お母さんは何かされていましたか?」

「母は専業主婦でしたね」

そうですか、と司会者は言い、別のパネルを広げる。

そこには三浦一家四人が映っている写真が引き延ばされていた。

男の子二人が前。後ろに両親。子供は小学校低学年位か。二人の男の子は頭ひとつ背が違うが、顔は非常によく似ている。背の高さが同じなら双子でも通りそうだった。

「この背の高い方が大吾さん、低い方が弟さんでよろしいでしょうか」

司会者が尋ねた。

大吾は軽く頷く。

「それにしてもよく似てますね」

そうですかね、と大吾は面倒そうに答えた。

「はい、若葉先生もそう思いますよね」

司会者は若葉に同意を求めた。若葉は大吾の表情を見ながら答えた。

「そっくりですね」

大吾は視線を写真から外した。

司会者は少し躊躇いながら話した。

「えーと、この後、不幸な事故があったという事ですが、よろしければお話を・・・」

構いませんよと大吾は言った。

「その写真は僕が小学校三年生の時のものです。一家で丹沢にキャンプに行きました。川にテントを張ったんです。父は釣りを、母はご飯の仕度をしていました。僕は弟とすぐ近くで遊んでいたのです」

大吾は指を組んで手を机の上につけている。

「川の浅瀬に橋がかかっていました。と言っても、本格的な橋ではなく、幅三十センチほどの木の板がかかっただけのものです。高さは水面から五十センチぐらいでしょうか。兄弟でその橋を渡って、向こう岸まで行こうとしました。先頭は弟。僕はその後です。前を行っていた弟が足を滑らせて川に落ちました。川の流れは緩やかですし、さほど深い川ではなかったと思いますが、小さな弟にとっては違っていたのかもしれません。父は川下でその様子を見ていたので、助けようとしました」

大吾は淡々と話を続けた。

「僕は、父が間違いなく助けるだろうと思いました。父も弟を捕まえられると思ったはずです。弟はゆっくりと流されていましたから。・・・でもわずかに届かなかった」

司会者が「どうして?」と尋ねる。

「父は水に足を取られ、思ったように動けなかったようです。僕らは自然を甘く見ていたのかもしれません」

大吾は目を伏せて、口を閉じた。

スタジオ内がやや重くなる。司会者が若葉に向き直した。

「若葉先生、このような幼い頃の体験は、その後の三浦さんの生き方にある程度影響を与えたと考えますか?」

若葉は「はい」と答えた。

「小さい頃に目の前で弟が亡くなったのですから、大きな喪失感を抱いたはずです。それがポジティブに出れば、『弟の分までしっかり生きよう』という動機付けになりますし、ネガティブに出れば『何故、自分じゃなかったのだろう』というマイナス思考になります」

「三浦さんは良い方に気持ちが向いたのですね」と司会者。

若葉は頷きながら続けた。

「ただ、気になる点があるんです。少し三浦さんに質問してもよろしいでしょうか」

大吾はどうぞ、と若葉に右手を差し出した。

「お母さんはどうしていましたか?」

母ですか?と大吾は少し考える仕草をした。

「母はご飯の仕度をしていて気付かなかったと思います。火を使っていたのかもしれません。目が離せなかったのでしょう」

「では、弟さんが流されたのをお母さんが気付いたのは、どのタイミングでしたか?」

大吾は笑った。

「先生は細かい事を聞きますね」

「覚えていませんか。あなたは小学三年生でしたものね」

若葉はやや挑発的な物言いをした。

「覚えていますよ。僕は記憶力がいい方なんです」

大吾が少しムキになった。やはり自尊心は人一倍高いようだ。

「父が弟を捕まえられなかった時です。父が大声を上げましたから。『誰か助けてくれ。子供が流された』と」

「あなたは声を上げなかった?」

大吾は表情を変えない。代わりに大きな瞬きを二、三度した。

「普通、声を上げるんじゃないですか。弟さんが川に落ちた瞬間に」

大吾がわずかに顔を傾げた。

「上げたんじゃないかな・・・」

「でも、母親に届く声ではなかったのですね」

そういうことになりますかね、と大吾は答えた。

もう一つ三浦さんに尋ねます、と若葉は続けた。

「何故、弟さんが先だったんですか?」

先って何がです?と司会者が若葉に尋ねた。

「橋を渡った順番です。何故弟さんが先頭だったんですか。普通は逆のはずです。兄が先で弟がその後を付いていくものじゃないですか」

そういうものですか、と司会者がちょっと不思議がる。

「ええ、そういうものです。子供のうちは上のやっている事を下の子が真似しますから。これはどこの家庭でも同じです。遊びでもなんでも、弟は兄の真似をする。逆はありません」

へえ、と感心したように司会者は声を上げた。

この人はきっと一人っ子だったんだろうなと若葉は思った。

大吾はうっすら笑って黙ったままだった。

「この場合はたまたま逆だったということですね」と司会者。

若葉は束の間、黙った。ほんの五秒か。

ここがターニングポイントになる。

本当にやるべきか。

一瞬迷ったが、やるしかないと思った。

もう覚悟は出来ていた。


「違うと思います。三浦さんが命令したんです。弟が先に渡るように」

「何故?」と司会者が不思議そうに聞いた。

若葉は大吾の目を見据えて答えた。

「意図的にリスクを負わせたのです」

スタジオ内の空気に少し緊張が走る。

司会者は息をのんだ。

それを察して若葉は力を抜くようににっこりと笑った。

「これはあくまでも深層心理の分析ですよ」

「はい」と司会者。

「最初の子には母親は愛情をすべて注ぎます。しかし弟が出来るとその愛情の半分は下の子に向かいます。上の子は母親から百パーセントの愛情を貰えません。それが不満なのです。年の近い兄弟で不仲が多いのは母親への愛情の争奪戦の記憶があるからです」

「愛情が半分では我慢できないのですか?」

「できません。上の子は常に百パーセントの愛情を求めるものなのです」

「では三浦さんも普通の男の子だったんですね」

と司会者は微笑んだ。

なあんだ、という感じにスタジオの空気が和む。

「それと写真を見て気になるのは、弟さんと顔がそっくりなところです。おそらく顔だけじゃなく性格や食べ物や服の好みも似ていたのかもしれません」

生活環境が同じだと、自然と内面まで似通ってくるものですと若葉は説明した。

「しかし、自分と似すぎる弟に兄は親近感を持ちません。持つのは憎悪だけです」

「憎悪、ですか」

「はい。フロイトが言うところの『投射』です。自分の中の嫌な部分を弟の中に見る。それが我慢出来ないとなるのです」

司会者が大吾に向き直した。

「三浦さん、若葉先生の心理分析いかかですか?」

大吾は笑った。

「さすがですね。でも当たってないと僕は思います」

いったん、CMが入り三分ほどの休憩になった。

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