第24話

森麗奈の父親と約束したのに、岡田りえはなかなか「確証」を得ることが出来なかった。

原因はりえ本人にあった。

決断できないのだ。

タイミングが来ない。

誰もいない場所で、あいつと二人だけにならないと切り出せなかった。

いや、二人だけなら本当に切り出せるのか。

その自信もりえには皆目なかった。

あるいは、これは突拍子もないストーリーで、自分の妄想かもしれないと何度も思うことがある。しかし、あの状況はいくら考えても不自然としか思えなかった。

やはり、あれはわざとか。

考えに考えた末、そういう結論に至った。

今日は授業はない。

午前中に「三年生を送る会」というのが体育館であって、給食を食べると午後はナシ。そのまま帰宅する。

卒業式まであと三週間。

「送る会」というのは下級生が舞台上で歌や演劇などの演目を披露し、卒業生を楽しませる意図でなされる恒例行事だ。体育館は照明が落とされ、暗くなる。体育館の席もすべて埋まっているわけではない。今、風邪が流行っていて、この時期大事を取って学校を休んでいる三年生も少なからずいる。

一人、二人、いなくなってもわからないだろう。

となると今日の午前中がチャンスかもしれない。

りえはそう考えていた。


最初の演目が終わってトイレ休憩になった。

あいつも席を立ちトイレに向かった。どうやら、体育館のトイレを使わず教室のトイレまで戻るようだ。りえは気付かれないように後をつけて、トイレから出てくるのを待った。

しばらく待っていたら、出てきた。

りえは出てきた人物の行く手を遮るように立った。

「何?」と相手は顔を顰めた。

「山田晴美さん。話があるの。ちょっといい」


教室も廊下にも人影はなかったが、念のため、階段の踊り場に連れて行った。

万が一、他人に聞かれては一大事になる。

いつもは「ハルミ」と呼び捨てにしているのに、突然「山田晴美さん」と言われて、ただ事じゃないと察したのか、彼女は小さな体で、身構えた。

「あんたにさ、聞きたい事があるんだけど」

りえはぶっきらぼうに言った。

「どういうこと?」

晴美は不安げな目をした。

りえは、単刀直入に言った。

「あの穴に麗奈をわざと落としたわね」

そんな事・・・とだけ晴美は言った。

「してない?・・・いや、したでしょ。だってあなたが麗奈をあの穴に誘導したのだから」

あの時、先頭を走っていたのは晴美だった。

文化祭、三年A組の「謎解きコールドゲーム」第三ステージ。

その時、「解けた」と言って外に飛び出したのは晴美だった。

りえと麗奈はその後を追った。その前の第二ステージの問題を解いたのも晴美だった。

第二ステージの答えは場所じゃなく人。

バスケ部の『ツネ』というコートネームを持った女子生徒だった。晴美はバスケ部だから閃いた。それは納得できる。

しかし、第三ステージはどうか。

りえは数学の問題を何とか解いたが、残りの英語と社会の問題は解けていなかった。

なのに晴美は「解けた」と言って飛び出したのだ。

「あなたに第三ステージの問題は解けない」

「そんな事ない。だって答えは『祠』で合ってたじゃない」

「あれは偶然でしょ。穴の手前にたまたま祠があっただけ」

本当に偶然だろうか。この点をりえは何度も考えた。

だが、はっきりしなかった。

りえが今日まで決断できなかった理由はここにあった。

「第三ステージの二つのヒントがわからないのに、どうして答えの場所がわかるのよ」

そう、常識的に考えれば絶対にわかるはずがないのだ。


晴美は押し黙った。

あの時、晴美は「私、わかったから、後からついてきて」と言って駆け出したのだった。第二ステージを見事に解いたのでりえと麗奈はひょっとしてと思った。

そして晴美の後を追って、テニスコートを横切り、松林に入った。

「松林に入ったら、あなたはこう言ったじゃない。

『この辺りよ。岡田さんは神社の祠辺りを。私と森さんはこっち側を探すから。手分けしましょう』と」

りえは、祠の方に行き、第四ステージの問題が入った封筒を探していた。

その時に森麗奈の悲鳴を聞いたのだった。

振り返ると麗奈の姿が消え、晴美が突っ立っていた。

麗奈が穴に落ちたのだった。

「そりゃあ、躓くわよ」

とりえは唾棄した。

「だって、こんな物が張ってあったのだから」

ポケットから透明な糸を取り出した。

釣り糸だった。

「穴の前に釣り糸が張られていたんだからね」


チャイムが鳴った。

トイレ休憩の時間は過ぎたが、二人は踊り場から動かないままだ。

晴美は小さな体を震わせていた。

細い肩が小刻みに揺れている。顔を伏せていて表情は読めない。

小さな声で何か発したが、聞き取れない。吃音障害が出ているのだ。

「聞こえないよ」

りえは言った。

「・・・死ぬとは思わなかった」

と晴美は消え入るような声で言った。

そして続けて言った。

「ちょっと仕返ししたかっただけ」

晴美が顔を上げ、りえを見た。

瞳に一杯涙を溜めている。

「仕返し?」

りえには何の事かわからなかった。

瞳に溜まっていた涙が一斉に流れ落ちた。晴美は顔をクシャクシャにしている。

「私は、森麗奈からイジメられていた」

「嘘」

「本当の事よ」

懇願するような口調で晴美は言った。

森麗奈が晴美をイジメていた?・・・りえには想像が出来なかった。おっとりした性格で、いいところのお嬢様だったのに。

「彼女とは小学校から一緒だったけど、その時からあったのよ」

晴美は泣きながら語った。

「麗奈は私と一緒にいるのが不満だった。ネクラな『カゲジョ』グループと見なされるの嫌だった」

麗奈がどういう風に晴美をイジメていたかの具体的な言及はなかった。というより晴美はそのイジメを自分の言葉で表現出来ないでいた。

あるいは二人の関連性においてのみで成立するような嫌がらせだったのかもしれない。麗奈は単なる「イジリ」と考えても、やられた方は「イジメ」と受け取った。やられている方がそう捉えれば、それは立派なイジメになるのかもしれない。

晴美はずっと堪えていたのだろうか。どんなにイジメられても麗奈は彼女にとっては唯一の友達に思えたから?

いや、晴美の言い分だけではわからない。麗奈はもう反論する事は出来ないのだから。

りえは話半分で聞くことにした。

「時々は優しくしてくれるしね」

と晴美は言った。

他のみんなは私の事を無視する。私は空気みたいな存在だからと晴美は泣きながら喋った。

晴美によると、状況が変わったのが、中三になってからだそうだ。


新海エリカが森麗奈をイジメるようになった。

麗奈はエリカからイジメられ、その不満の矛先を再び晴美に向けたという。今度のイジメは以前より直接的だったと晴美は言った。

この話をどこまで信じるかは疑問の余地はあるけれど、体の大きな麗奈とクラス一小さい晴美。たとえ手を出さなくても、威圧感で晴美は圧倒されたかもしれなかった。晴美はあまりに貧弱だったのだ。

でも、と手で涙を拭うと晴美は続けた。

次に晴美が話した事は、りえにとって信じられない、意外すぎる内容だった。


「私が麗奈を穴に落とそうと決めたのはあなたのせいなのよ」

りえはびっくりして言葉がすぐに出なかった。

「・・・私のせい? どういう意味?」

「だってあなた達が仲良くなって、私はまた独りぼっちになったから」

文化祭の時、この三人でチームを組んだ。あの時、確かに晴美は除け者だった。

りえは麗奈とばかり喋っていた。りえはそんな事、まったくお構いなしだった。

晴美がゲームの時にどんな気持ちだったのか考えたこともなかった。

それでようやくりえは理解した。

「私と麗奈が穴に落ちた時、すぐに助けを呼ばなかったのはそれが理由?」

晴美は頷いた。


「どうしたらいい?」と晴美はりえに聞いた。

法律には詳しくないが、故意に穴に落としたとしたら、それなりの罰が晴美に下されるかもしれないとりえは思った。

「麗奈のご両親に本当の事を話して。その後、どうするかは任せるの。それしかない」

晴美はうん、と小さく答えた。

まだ、泣き続ける晴美と一緒に体育館に向かった。

麗奈の父親は真実を知ってどう思うだろうか。

歩きながら、晴美がポツリと言った。

松林に穴がある事を知らなければよかった。知らなければあんな所に落とそうとはしなかった。

「でも知っていた」とりえは言った。

誰かが教えてくれたと晴美は答えた。

「文化祭の三日前。机の中にワープロの文字で書かれた紙が入っていた。『松林の中に大きな穴がある』ってそこに記されていた」

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