第23話

一月の終わりに学期末テストがあって、それが中学最後のテストだった。

その後は、完全に高校受験モードになる。

授業も自習が増え、二月になると私立高校の入試が始まった。

学校があれば、学校で勉強出来るが、土日になると塾に行っていない子供はなかなか自宅で集中出来ない。そんなわけで、彼らが行く場所は決まっていた。

市内の図書館の自習室だった。

かなり広い自習室で百席はあるが、それでも朝の開館前に並ばないと取れない。

野口珠緒も日曜日はそこで勉強していた。

と言っても、午前中のみだ。

昼からは自宅に帰り、図書館で借りてきた本を読みながら部屋で過ごす。

珠緒には受験生としての悲壮感はない。

珠緒の第一志望はこの地区で一番の公立の進学校だったが、担任の木崎からは「間違いなく合格する」という太鼓判を押されていた。それもそのはず、珠緒の内申点の合計は四十五、すなわちオール五だったのだ。

当日の試験に大チョンボをしたとしても合格する。

だから珠緒の受験は当初その公立高校一本だった。

滑り止めの私立など不要だったのだ。

秋の保護者面談の時だった。

木崎が言った。

「野口は公立一本か。それでもいいんだが」

私立の梨南女子高を受けてみたらどうだと。

梨南女子高はミッション系の付属高校で、中等部から大学まで繋がっている。そこの梨南大は地元では評価されているが、全国区とは言えない。ただし、高等部はレベルが高く、関東の有名校へ多くの合格実績がある。

愛知の私立高では東英学園が男子校のトップで、女子のトップが梨南女子だった。

珠緒は木崎に言われるまで梨南女子の事は頭になかった。だが、受けても損はない。本番に向けての練習試合と思えばいい。

「いいですよ」

と珠緒は軽く受け取った。

一応、梨南女子の過去問を解いてみた。

なるほど難しいと珠緒は思った。それなりに対策を練らないと合格点を取るのは不可能に思えた。

珠緒が梨南女子の過去問に挑戦したのはつい最近、二月に入ってからだ。後二週間で梨南女子の本番が来る。間に合うわけないと珠緒は思った。

しかし、珠緒は別に気にしていなかった。よく大学入試でダメ元の大学に挑戦することを「記念受験」とか言うじゃない。

珠緒にとって梨南女子は記念受験に過ぎなかった。


正午になり、自習室での勉強を終えて、珠緒は本を二、三冊借りようと書架に向かった。

お気に入りの作家の本はほとんど貸し出し中だった。

わずかに残っている本もすでに読み終えている。

人気作家だから仕方ない。珠緒はたまには冒険してみようと思った。日本のミステリーだけじゃなく海外文学も面白いかもしれない。

珠緒が読んだことのある海外文学はモンゴメリーの『赤毛のアン』だけだった。

アガサ・クリスティは有名だけどどうかな。面白いのかなと思って、クリスティの『アクロイド殺し』を手に取った。

もう一冊何か本をと思って書架を眺めながらゆっくりと歩いていた。

狭い通路から出て別の書架に向かおうとした時、ある人物を見かけて、珠緒の胸が高鳴った。

三浦大吾がいたのだ。

図書館の閲覧室にいる。

大吾は真剣な表情で何かを読んでいる。珠緒はドキドキしながら大吾の背後に近づいた。

そして声をかけた。

「こんにちは」

大吾はゆっくりと振り返ると、珠緒の顔を見て、笑みを浮かべた。

「野口さんか」

「何、真剣な顔で読んでるの?」

珠緒が聞いた。

「別にただの暇つぶしさ」と大吾は言った。

どうやら大吾が読んでいたのは新聞年鑑のようだった。

開いているページは一九七九年(昭和五四年)だ。

しかもこの地方のローカル新聞の年鑑だった。


館内では話せないのでロビーに出た。

「受験勉強?」

と大吾が聞いた。

珠緒は頷いた。二人きりで喋るのは大吾の家に行った時以来だ。やはり彼の前にいるとドキドキする。

「大吾くん、高校行かないって本当?」

クラスでもかなり噂になっていたが、誰も直接聞けなかった。珠緒も恐る恐るだった。

「日本の高校はね。アメリカの高校に行く事になると思う」

「へえ、アメリカかあ。いいなあ」

大吾にとっては、高校に行く、行かないの話ではなかった。自分とは住む世界が違うと珠緒は感じた。

「私、海外って行った事ないんだ」

「そんなの、いつでも行けるさ」

コンビニに行くのと変わらないよ、みたいな感じでさらりと大吾は言った。

「そうだ。野口さん、大学はアメリカにしたら?」

「無理よ」

「じゃあ、交換留学とかでもいいじゃないか。日本の高校や大学でもやってるみたいだし」

そうか、交換留学なら現実味があるなと珠緒は思った。

交換留学と聞いて、ふとある事を思った。これは夢みたいな話だけど可能性はゼロじゃないかもと考えた。

「大吾くん、チョコは好き?」

「好きだよ」

「もうすぐバレンタインだけど、貰ってくれる?」

珠緒にしては大胆な台詞だった。珠緒も自分がいきなりこんな事を言うとは五分前まで思っていなかった。

「いいよ」と大吾は微笑んだ。

「手作りじゃなく買ってきたチョコだけど」

そう言うと、珠緒は自分から告げた。

「私、勉強があるから戻るね」

本当はもっと喋りたかったが、それよりやらなければいけない事がある。

珠緒は図書館に戻って、アガサ・クリスティの本を返却した。

本なんか読んでいる時間はない。昼食もとらず、再び自習室に戻って、過去問を広げた。

梨南女子の問題だった。

ミッション系の梨南女子は高校でも交換留学制度があると聞いている。梨南女子高に入れば、アメリカで大吾と会えるのではないかと珠緒は夢を膨らませた。

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