第19話
暗闇の中、木崎は白いカローラを建築資材が放置されている空地に停めた。
腕時計を見ると、夜の七時半を回っている。
深いため息を一つ吐いた後、エンジンを切り、車を降りた。
吐く息が白い。もう十二月も後半だ。冷気が頬や首筋に当たる。木崎は「寒いな」と呟いて首を竦めた。
新海エリカの家庭訪問はこれで七回目だった。
十月の半ばから、エリカは学校に来なくなった。木崎は彼女の不登校のきっかけを作ったのは自分だという自責の念がある。
だから、毎週のように新海の自宅に家庭訪問に来た。
しかし、家庭訪問はことごとく失敗した。
肝心のエリカはずっと自宅にはいなかったのだ。
というより、新海家自体が常に不在だった。エリカの家は父子家庭。家族は父親と姉の三人だったが、大学生の姉は名古屋に下宿していない。
父親は工員で、仕事なのかどうかは知らないが遅くまで帰って来ない。
したがって、新海家と連絡を取るのは至難だったが、ようやく今日のこの時間ならいいということで、木崎はやって来たのだった。
玄関のチャイムを鳴らすと、赤ら顔の父親が顔を出した。夕飯の晩酌をしていたのだろう。
「夜分、遅くにすみません。中学校の担任の木崎です」
ああ、と父親は面倒臭そうな感じで返事をした。
「少しお話させてもらって構いませんか」
「いいけど、俺、飯食いながらでいいか」
「はい」
「じゃあ、入って」
テレビがつけっ放しの居間に通された。
家の中は散らかり放題だった。
こたつの上には缶ビールが二本。食べ終えたコンビニ弁当の容器とスルメやピーナッツが雑然と置かれている。
缶ビールは一本はすでに空で、父親は「どっこいしょ」と言って座ると、もう一本のビールを開けた。
「エリカさんは?」と木崎は尋ねた。
「いない」
「どこにいるのでしょうか」
「たぶん、姉のアパートだろうな」
「家には戻ってないのですか」
「ちょくちょくは来てるみたいだ。俺は会ってないけど」
「そうですか」
どうやら、洋服類を取りに帰って来るらしい。
「何をしているんでしょうか」
「知らないよ、そんな事」
父親はぞんざいな言い方をした。
木崎は眉を顰めた。
すると、父親は「わかってる」と言い訳をした。
「親なのにって言いたいんだろう、先生は。でもな、俺の言う事なんかまったく聞かないんだ。あの子は。ずっとそうだった。だから何を言っても無駄なんだ」
父親は、エリカの事は姉に任せた方がうまくいくと言った。
「姉の事を慕っているから。まあ母親代わりだよ」
エリカの母親は九年前に病気で亡くなっている。
その家にはその家の事情がある、と父親は言った。
それは、その通りかもしれないと木崎は思った。日本人はみな自分は中流に属していると考えている。だが各家庭を見ると、まったくそうではない。
「エリカさんは高校へは行かないんでしょうか」
「行かないと思うね」
「そう言ってましたか」
聞いちゃいないけど、と父親は言う。
父親はビールを飲み干すとアルミ缶を握り潰した。
「高校どころか、中学だってねえ」
「このまま欠席しても中学は卒業出来ます」
木崎がそう言うと、父親は「へえ」と声を上げた。
どこか安堵した顔に見えた。
これまでも不登校の子供を木崎は見てきた。
義務教育なので、学校に一度も来なくても中卒ということになる。
不登校の子供がフリースクールでサポートを受けながら、その後、就職したり、専門学校に進んだりするケースもある。
しかし、二十歳すぎてもひきこもったままの子もいっぱいいる。
あの子たちが将来どうなるか木崎には想像できなかった。
新海エリカはどうだろうか。
彼女の場合、イジメをしていた方だ。クラスでも目立つ存在だった。
ああいう子がひきこもるわけがない。
自分の道を切り開いていくのではないか。
木崎は父親とこれ以上話していても無駄だと感じた。
エリカの姉のアパートの住所を教えてもらい、近いうちに尋ねようと思った。
彼女とはどうしても一度は会って話がしたかった。
木崎は謝っておきたかったのだ。
ただ、その前にもう一件、家庭訪問をしなくてはいけない生徒がいた。
そっちの方が案外手こずるかもしれないとベテラン教師の感が働いた。
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