第18話

栄のセントラルパークの街路樹にイルミネーションが付けられ、クリスマス仕様になっていた。

ちょうど冬休みに入ったばかり。

その日、鮎川若葉は沢村正樹と半年ぶりのデートをしていた。

午前中は大須のスケートリンクに行った。名古屋の十代のカップルにとって、ここは定番のデートコースの一つだ。

スケートだと堂々と手を繋げる。

普通はうまく滑れない女の子を、男の子がサポートするために手を繋ぐものなのだが、若葉はスケートが上手い。一人でもスイスイ滑れる。

一方、正樹はスケートが下手くそで、かなり派手に転ぶのだ。

若葉が手を差し出しても正樹は拒否して、一人で勢いよく滑り出す。手足がバラバラで今にもコケそうなのに、スピードだけは出すので危ないったらありゃしない。

「ほんと、プライドだけは高いんだから」

若葉は苦笑した。

午後からは映画を観た。

映画はブラッド・ピット主演の『ファイトクラブ』

けっこう複雑な内容の映画だった。若葉は大体のストーリーを把握したが、正樹はよくわからなかったようだ。でも殴り合いのシーンが格好良かったらしく満足した様子だった。

「レンタルになったらもう一度見よう」

と正樹が言った。


テレビ塔の付近を歩きながら、若葉は聞いた。

「ところでさ、正樹は高校の方は大丈夫?」

「まあ、行けるんじゃないの。たいした所じゃないし」

正樹の第一志望は公立の工業高校だった。

「若葉はどうなんだよ」

「私は大丈夫」

若葉は小さくVサインを出す。

「お前昔からそんな感じだよな」

「そんな感じって?」

「ブレないっていうか、肝が座っているというか」

「それ、誉め言葉?」

「まあな」

「ありがとう」

公立高校の入試は内申点でほとんど決まる。受験と言っても倍率は高くない。結局は内申点の高い子から上位校に振り分けられるだけの話だった。

「でもね、うちのクラスはちょっとピリピリしている」

A組がピリピリしているのは受験のせいだけじゃない。

「そういや、A組は文化祭の時に亡くなった子がいたんだよな」

若葉は頷いた。

あれは不幸な事故だった。最初のうちは席に花瓶が置いてあったが、今はない。なんでも四十九日までだそうだ。

若葉は花瓶が消えてくれて、どこかほっとした。亡くなった森麗奈には悪いが、いつまでも引きずりたくはなかった。

しかし、事はそう簡単ではなかった。

麗奈の死はA組で尾を引いていた。

麗奈をイジメていた新海エリカが学校に来なくなったのだ。

不登校だった。

先月の「道徳の時間」で、麗奈がクラスでイジメに遭っていたことを担任の木崎が話した。誰がイジメていたかまでは言及しなかったが、そんな事はすぐに判明する。

エリカはクラスから孤立した。

誰も話しかけず、近寄らなかった。腫物に触るようにA組の生徒は接した。

新海エリカと一緒にいた『キャバ嬢』も、保身の為にエリカから離れた。

意外だったのは、三浦大吾まで彼女を露骨に無視した事だった。たぶん、それが決定的だったと若葉は思った。

クラスで居場所を失ったエリカは学校に来なくなった。

担任の木崎が何度も家庭訪問したが、彼女は結局、ずっと学校を欠席したままだ。

A組のクラスでは二席が空席だ。たった二席なのに大きな穴のように生徒達は感じていた。


「これからどうする?」

と正樹が尋ねた。

「CDショップに行きたい」

と若葉は答えた。

「何を買うんだ?」

「ジャミロクワイ」

正樹にも貸してあげるねと若葉は言った。

「いいよ、別に」

それより、と正樹は言った。

「CDを見に行く前に、ちょっと寄りたいとこあるんだけど」

「オッケー、いいわよ」


正樹が行きたがっていたのはスポーツ用品店だった。

野球の硬式用グラブを見ている。

どうやら高校でも野球を続けるようだ。それを見て若葉は嬉しくなった。

「正樹の行く工業高校って野球強かったっけ?」と彼女は尋ねた。

そこそこ、と正樹はグラブを試しながら答えた。

「でも甲子園目指すのは無謀」

愛知は野球の強豪校がひしめいている。

「何、最初から諦めてんのよ」と若葉が発破をかけた。

そう言うと、正樹が苦笑いした。

「お前、目標高すぎ」



若葉とのデートの翌日、沢村正樹はもう一度スポーツ用品店に行ってみた。

今度は近くの行きつけの用品店だった。

そこで昨日見かけた同じ硬式グラブが置いてあるか確認した。

あった。

グラブは手に取ることなく、すぐに店を出た。

値段を確かめたのだった。

名古屋の店より千円安かった。買うならこの店だなと思った。

正月に、じいちゃんから結構なお年玉が貰える。それを貰ったらすぐに買いに来よう。


家に帰る途中、バッティングセンターに立ち寄った。

ここのバッティングセンターの最速マシンは130キロ。正樹は最速マシンのゲージに入り、硬貨を入れた。

バッターボックスの一番前で構える。少しでも速い球に順応したかった。

ピッチングマシーンが「ブンッ」と唸り声を上げて、一直線に球が向かってくる。

正樹はボールから目を離すことなく、力いっぱいスイングした。

バットが球を捉えるなんとも言えない感触。

打球が後方のネットへと飛んでいく。会心の打球だった。

久しぶりの感触で、余韻に浸りたい気分だったが、彼はすぐに構え、次の球を待った。

二十球で空振りは一度もしなかった。真を捉えたヒット性の当たりが八回。

二年半前、このバッターボックスに立った時はファールチップがせいぜいだった。

俺も成長しているんだな、と正樹は思った。


若葉とこのバッティングセンターに来たのが初デートだったかもしれない。

若葉もソフトボールをやっていたから、バッティングセンターに行くのを喜んだ。

「お前、打てるのか?」と聞くと「もちろんよ」と自信ありげに答えた。

最初は正樹が打った。

110キロのコーナーだ。中一にとっては順当な速さだ。

一打だけ、ホームランの看板にもう少しで当たりそうだった。あと数センチ。惜しかった。

若葉は後ろで眺めながら「やるじゃない」と言った。


次は若葉の番だった。

若葉は「どこで打とうかな」と含み笑いをした。

90キロのところをちょうど小学生が使っている。

100キロはさすがに無理だろうと正樹は思った。

「90キロが空いたら、そこで打てば?」と正樹は言った。

「いやよ」と若葉は言った。

そして若葉が悪戯っぽく指さした。

最速130キロのマシンだった。

「バカ言うな」と正樹は笑った。当たるわけないじゃないかと。

「若葉、ちょっと素振りしてみろよ」正樹は言った。

いいわよ、と若葉はバットを振ってみせた。

なるほど、女子にしてはしっかりしたスイングだった。

だが、どう考えても130キロを打ち返せるわけがなかった。

やめとけ、と正樹が言っても、若葉は「いいから、正樹は見ていて」と言って、130キロのゲージに入った。

「怪我だけはするなよ」

正樹は少し心配になった。

よろめいてホームベースに出てしまったら危ない。

若葉がゲージに入り、構えた。

130キロのマシンから速球が勢いよく弾き出される。

若葉はゆったりとした構えのまま、力むことなくバットを振った。

ボールがバットの上をかすり、後方のネットにめり込んだ。

「当たった」

正樹は目を見開いた。信じられなかった。あのボールを当てたのだ。

若葉は「少し下だったか」と呟いた。

そしてバットを構え直した。

次のボールが来た。130キロの速球だ。

今度はバットがボールを捉えた。

力のないボテボテの打球だが、前に飛んだ。

「嘘だろ」

と正樹は小さく声を出した。

若葉は振り返って「どう?」と笑った。

「すげえ」

若葉は130キロのボールに一度も空振りをしなかったのだ。

正樹は野球少年のプライドを傷つけられた気分になった。女に負けてたまるかと思った。若葉と入れ替わって、130キロのゲージに入った。

しかし、ファールチップが何回かあっただけで後はすべて空振りだった。

振っても当たる気がしなかった。

意気消沈してゲージから出ると若葉が言った。

「ようはタイミング。コツさえ覚えれば誰でも打てるのよ」


正樹は久しぶりに130キロのゲージに入って、三ゲーム打ち込んだ。

たった三ゲームなのに、かなりバテた。

夏の大会以来、運動をしていない。

明日から少しトレーニングするぞ、と正樹は決意した。

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