第16話

斜め右のデスクに、タバコを毛嫌いする女教諭がいたのは分かっていたが、木崎は無視してタバコに火をつけた。

タバコでも吸わなきゃやってられない。

例の女性教諭は露骨に嫌な顔をし、文句を言おうとしたが、木崎にジロリと見られ、何も言わずに席を立った。


木崎にとって、担任している教え子が亡くなるのは初めての事だった。過去にはマラソン大会中に倒れて亡くなった子がいたが、木崎はまだ新米だったし、教えたこともない生徒で、どこか他人事だった。しかし今回は違う。

まだ中学生じゃないか。

木崎にとって十五歳と言えば、娘というより、むしろ孫の方が近い。

そんな生徒が、不慮の事故とは言え、亡くなった事がいまだに信じられない。

「木崎先生」

と副担の池田が呼んでいる。

「先生にお会いたいという方が見えていますけど」

「どちら様?」

「それが・・・」ちょっと池田が口ごもる。

「森麗奈のお父さんです」

職員室の入口に口ひげをたくわえたスラリとした男性が立っているのが見えた。


「この度はご愁傷様でした」

あまり他人に話を聞かれたくないと森麗奈の父親が言うので、隣の応接間に案内した。

しかし、国語教師のわりに、こんなありきたりな言葉しか出てこないとは。語彙力のなさに木崎は自分が情けなく感じた。もっと適切な言葉があるはずだ。

「それで、今日はどういった事で」

そう言うと、森の父親は脇に抱えていた黒革のブリーフケースを開けた。開けた時、内側にバーバリーのロゴが垣間見えた。

これです、と言ってそのバーバリーのブリーフケースから取り出したのは、思いがけない代物だった。

赤い、猫のキャラクターが描かれたカバーの本・・・いや本じゃない。

「麗奈の日記帳です」

と父親は言った。

木崎は頷いた。

「あの子は、親にも言えないような事をすべて日記に書いていました。まあ、あの年頃の女の子はみんなそうかもしれませんが」

落ち着いた、ゆっくりした口調で森の父親は話す。社会的にそれ相応の地位にいる人間の話し方だった。

「実は、麗奈の事は小学校の頃から心配でしてね。いや勉強やスポーツがダメなのはいいんです、そんなことは。それより、あの子にはなかなか友達が出来なくて。それだけが心配でした」

木崎は黙って聞いていた。

「友達は一生の財産になる。だからいっぱい作りなさい、と言ってたんですけど。こればかりはね。なかなかうまく行かなかったようで」

森の父親は少し微笑んだ。

「でも最近、麗奈にも友達が出来たようで・・・岡田さんという方かな。家にも遊びに来てくれたんですよ。麗奈も喜んでいました。いや、麗奈より私の方が喜んだかな。偶然、私も会ったんですが、本当にいい娘さんでした」

岡田りえかと木崎は思った。彼女も・・・

「そうなんです。岡田さんも麗奈と一緒にあの穴に落ちてしまった。岡田さんにも気の毒な事になったと思いました。でもあの時、麗奈は一人じゃなかった。それが救いです」

岡田さんには感謝していると父親は言った。

「それで」

と父親はちょっと躊躇う表情を見せ、テーブルに置かれた赤い日記帳に視線を落とした。

「この日記にある事が書かれています」



木崎は森麗奈の父親が一礼をして校舎を出ていくのを、同じく一礼して見送った。

職員室の自分のデスクに戻ると、再びタバコを吸いたくなった。

しかし今回は我慢することにした。

そして、彼の提案を受け入れるかどうか思案した。

数秒、まどろむように虚空を見つめた後、首を振った。

バカげている。

そんなこと出来るわけないと。

木崎の手元には可愛らしいキティちゃんの日記帳がある。

死んだ森麗奈が書いた日記帳だ。


森麗奈の父親の話はこうだった。

小学生の時は比較的明るかった娘が中学に入ると途端に暗い表情になった。学校生活がうまくいっていなかったようだった。両親もその理由がわからなかった。しかし、娘が亡くなって、この日記を読んでみてようやくわかった。

それはある一人の女の子に嫌われたからだという事が。

その女の子は中学一年生の時のクラスメートで、女子の中心的な存在の生徒だった。娘も元々、その女の子の仲良しグループの一員だったが、ある日を境にグループから弾き出された。何故かはわからない。その子から突然「なんかムカつく。あんたのような鈍くさい奴は大嫌いだ」と面罵されたそうだ。娘はひどいショックを受け、それ以降友達もおらず孤独に過ごしたという。

二年生はその女の子と別々のクラスになったが、三年生では再びクラスメートになった。今度はその女の子から、さらにひどい仕打ちを受けた。

つまり「イジメ」だった。

イジメは陰湿なやり方をとった。裏で手をまわし、娘を孤立させる方法をとったり、時には優しい言葉で誘い、誘いに乗ったらパシリをさせ、その後口汚く罵るという方法を取ったりした。娘へのイジメは三、四人のグループ内で行われ、それ以外の生徒には見えていなかった。もちろん教師にも。なぜなら教室内では行わなかったからという。

イジメは娘が泣き出すまで続けられた。泣くといったんイジメをやめ、またしばらくして始める。そして娘が泣くと終わる。その繰り返し。

何故、その女の子が執拗に娘を標的にしたのか。理由はあるはずだが、娘にはわからなかった。そしてそのまま娘の麗奈は亡くなった。

そのイジメをしたのが誰かがこの日記に書かれているので、先生にはぜひ読んでほしいと。


木崎は森麗奈の日記を読んだ。

イジメをしていたのは新海エリカだった。

父親はそして以下のような頼み事を木崎にした。


「この件を生徒と話し合ってほしい。そして、その時に私もその場に同席させてほしい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る