第15話
岡田りえは二日間入院したのち、退院した。
大事には至らなかった。
彼女は擦り傷と打撲だけですんだ。
その週は学校を休んだが、翌週には登校してきた。
一方、森麗奈は重症だった。
穴に落ちた時、頭から落下し、穴の底にあった石で前頭部を強く打った。
頭蓋骨、陥没骨折。
その際、意識を失った。
CT、MRIで検査した結果、今のところは異常は見られなかったことが救いだった。
しかし簡単には退院できるはずもなかった。
意識は二日後に戻ったが、彼女は穴に落ちた事は何一つ覚えていなかった。
当然、この事は大問題となった。
PTA、教職員、そして教育委員会で何度も会議が行われ、原因究明と事故防止のガイドラインについて話し合われた。
しかし、謎は何一つ、わからなかった。
そもそも、何故あんな大きな穴を学校側は放置していたのか、という事だ。
学校の用務員は、あの穴の事に気付いていなかった。
なぜなら祠のある松林の管理は用務員の仕事ではなかったからだ。
あの松林は年一回、業者に依頼し、剪定や草刈りをしてもらっていた。
春に業者が仕事をした時にはそんな穴はなかったと彼らは断言した。
ではいつ、誰があの穴を掘ったのか?
それを知っている人間はいなかった。
しかし、あの穴の事に気付いていた者もいた。
テニス部の連中だった。
テニスコートは松林のすぐ横にある。
練習をしていると、テニスボールがいつもあの松林に転がっていくのだ。
球拾いは一年生の仕事だが、夏頃からロストボールが極端に増えた。
そこで二年生が一年に「なんでボールが少ないんだ」と怒ると、一年が答えた。
「穴に落ちて取れないんです」
実際、二年生が見に行ってみると、確かに穴の中にボールがいくつか入っていた。
こんな穴あったかなと二年生は思ったそうだが、その時はそれ以上にムカついたことがあって穴の事は重要視しなかった。
いくら一年がチビだからといって取れなくはない。しかも、穴に落ちているボールはせいぜい三つか四つ。足りないボールはそれ以上あった。
つまり一年はボール拾いを真面目にやっていなかったのだ。
こんな事、自分らが新人の頃には考えられなかったと二年生は怒った。もしそんなことをしたら、上級生からこっぴどく叱られる。もちろんキツイお仕置きも。
「今年の一年はたるんでます」
とキャプテンの村上健太は二年生から報告を受けた。
健太はそうなった理由を知っている。
今年から変わった顧問のせいだ。
部活の方針を『楽しく、上下関係なし、しごきなし』に決め、それを守らなかった者にはテニスをやらせないと言った。
それを知っているので、一年生がボール拾いに手を抜いたわけだ。
「まったくやりにくくなったぜ」
健太はペアを組み始めたばかりの三浦大吾に愚痴った。
「いつまでも昭和じゃないんだよ」と大吾は冷めた感じで答えた。
「東京って、部活で上下関係がないのか」
学校にもよる、と大吾は答えた。
そして「僕は昭和のやり方ってやつ、大嫌いだけどさ」と付け加えた。
「だろうな」と健太は仏頂面で答えた。
夏休みには松林に穴があったのだから、それを放置した学校の責任は重いという結論が出た。
学校の管理不行き届き。これが最終結論となった。
一方、どういう経緯でその穴に落ちたのかという事は当事者しか知りえない。
岡田りえ、森麗奈、そして山田晴美の三人だ。
大怪我をした森麗奈は当時の記憶がない。
岡田りえは以下のように説明した。
「自分の前を歩いていた森さんが、穴の手前で躓いてそのまま頭から穴に落ちました。
私は助けようとしましたが、うまく行かず自分も落ちました。森さんの上に落ちたので自分は大したことありませんでした。
落ちて、森さんを見たら頭から血を流していました。私は動揺して・・・というよりパニックになったんです。ひょっとして自分が上から落ちた事で彼女の怪我が悪化したのかと。あるいは私は森さんを殺してしまったのではないかと思いました。
恐ろしくて・・・そんな事を考えたら言葉も出ず、体が硬直して動けなくなったんです。金縛りにあったみたいになって意識も遠くなりました・・・」
もう一人、その様子を見ていたのは山田晴美だったが、彼女から証言を求めることは無理だろうと教師らは思った。
普段でさえ、あまり喋らない。内気で自信なさげの小さな女の子だ。人前で何か喋るなんてこと出来る子ではない。吃音障害で本を読むことさえ出来ないのに。
したがって晴美の行動の不手際を責めてもしょうがないという空気だった。
ただ、穴に落ちた二人を助けることは無理でも、助けを呼びに行くことぐらいは出来ただろうと思う者がいたのは確かだし、それもその通りだった。
若葉は保健室で泣きじゃくるだけの山田晴美を見ていたので、気弱な子が予想外の惨事を目撃して途方に暮れることもあるんだと納得していた。
その立場にならなければ理解できない事もある。
重症を負った森麗奈が回復して戻ってくれば、一応この問題は収束したかもしれない。
しかし不幸な事に、事態は逆になった。
そしてこれが一連の出来事の始まりとなった。
入院して十日後、森麗奈が再び意識を失った。
やはり頭部に深刻なダメージを負っていたようだった。
市内の病院から名古屋の大学病院に転院したが、回復しなかった。
転院してすぐ、森麗奈が亡くなった。
森麗奈の通夜には三年A組全員が出た。
市内のお寺で、お坊さんが濁声で延々とお経を上げる中、A組の生徒達が森麗奈と最後のお別れをした。
森麗奈は体こそ大きかったが、クラスでは目立つ存在ではなかった。
最近仲が良さそうに見えたのは岡田りえだった。
りえは、当然ひどく落ち込んでいた。
A組全体も、どんよりとした重い空気で覆われていた。机の上の花瓶を見る度に、誰もが、本当に同級生がなくなったんだと思い知らされた。
だが、実感はわかない。
十五歳は死が身近に感じられるような年齢ではない。
人はいつかは死ぬということを頭では分かっていても、そんなものは自分とはまったく無縁だと思うのが自然だった。
だから死んだ人間には言い得ない恐れ、畏怖の感情をもってしまう。
森麗奈はもう、のろまなお嬢様ではない。目に見えない霊的な力を得て、今、この教室を漂っているのだ。その霊的パワーがA組を支配していた。
森麗奈が亡くなって、一週間が経った頃、若葉は岡田りえの様子がガラリと変わったのに気が付いた。
それまで気落ちして、暗い表情しか見せなかった彼女が、今度は一転して怒りに満ちた表情になったのだった。
りえの怒りの視線の先にいたのは、意外な人物だった。
いや、意外でもないかと若葉は思った。
森麗奈と岡田りえは、二時間近くも穴の中に放置されたのだ。
その子がすぐに助けを呼んでくれたら麗奈は助かったかもしれなかったのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます