第11話

始業のチャイムが鳴った。

三浦大吾が黒板にチョークで三つのヒントを書き始めた。


①「a workplace for the conduct of scientific research」

②「5×14−8÷2-21−43」

③「ヨハン・アダム・クルムスの翻訳本」


「さあ、これからゲームの始まりです。まずは第一ステージ。これを解いて次の場所に向かってください」

謎解きコールドゲームの始まりです、と大吾は宣言した。


すぐに教室を出たのは、村上健太と新海エリカ、川崎のチームだった。

ヨハン・アダム・クルスって誰だっけ?と囁き声がした。あれだよ、あれという声。バカ、声に出すなという笑い声。

五分経つと、その他のチームがゾロゾロと教室を出ていく。

十分が経過して、まだ教室に残っていたのはハンデを負った珠緒と若葉の『ユウトウセイ』チーム、岡田りえと森麗奈、山田晴美の『オタク・カゲジョ』チームだけになった。

もちろん、『ユウトウセイ』は答えを知っている。珠緒は「長いなー」と言いながら、時計の針だけを凝視している。


答えに辿り着けないのはりえのチームだけだった。

りえが教室を見渡して「私達はビリみたい」と投げやりな感じで言った。

森麗奈は「そうだね」とどこか楽しげに答えた。

もう一人の山田晴美は黙っているだけだった。


山田晴美は小さな女の子だ。小枝のような手足で背は一四五あるかないかだった。

以前はよく森麗奈と行動を共にしていた。

今はりえと麗奈が一緒にいるので、彼女は「ボッチ」になることが多い。りえと麗奈がお喋りをしていると、たまにこちらを見ている時がある。仲間に加わりたいのかもしれない。謎解きゲームでチームを作る時、りえが晴美を誘った。

晴美は性格も大人しい。いや大人しいというよりやはり暗いと言った方が正確だろう。

それは彼女の抱えているコンプレックスのせいだろうとりえは思った。

晴美には吃音障害がある。

ふだん喋っている時はそうでもないが、授業中に本読みに指名されると、可哀そうなぐらいに音読できない。

性格が暗くなるのも仕方ない。


りえは黒板を見直した。

計算式の答えは2、英語の答えは理科室よね、と呟く。

最後は見当もつかなかった。

十五分経過して、『ユウトウセイ』チームが出て行くと、教壇に立って様子を見ていた三浦大吾が近寄ってきた。

「三番目、ちょっと難しかったかな」

「答え教えてくれない? もう、勝ち目ないから」りえが言う。

「そんなことないよ、まだあるさ」と大吾は真顔で答えた。

ムリ、ムリと麗奈は顔の前で手を振った。

「じゃあ、杉田玄白が出した本は?」と大吾が聞く。

「解体新書?」と麗奈が答えた。

「正解」と大吾は一回、手を叩く。

理科室、2、解体新書。

この三つがヒントと言われても、りえにはピンと来ない。

「わかんないよ、それでも」とりえが首を傾げてホワイのポーズをして見せた。

「理科室と言えば何がある?」

と大吾がヒントをくれる。

「顕微鏡とかフラスコとか」

「気味悪いやつだよ」

そう言われてようやくりえは解答がわかった。

「第二理科室の骸骨標本か」

「ご名答」

サンキュー、とりえは答えたが、三人はすぐに立ち上がろうとしなかった。

大吾は「さあ、行った、行った」と手をパンパン叩いて、りえ達を教室から追い出そうとした。

その仕草がベテラン教師みたいでりえはなんだか可笑しかった。

「ねえ、三浦くん。さっき言った事ほんと?」

「なんのこと?」

「私達にも勝ち目あるって」

「そうだな。僕のオッズでは君らはダークホースだ」



理科室に最初に辿り着いた村上健太は、骸骨標本の前においてある箱を開けた。

そこには『第二ステージにようこそ』という封筒がある。

封を開けるとワープロで書かれた問題が記されていた。

エリカも一応覗き込んだが、健太に任せるわという感じで、すぐに諦めた。

健太はさっそく問題を解いた。

最初の一次方程式の答えは「7」だった。

次の英文説明は「バスケットボール」

最後の歴史の問題も簡単だった。答えは「源義経」

ただ、この三つのヒントを得られても健太には何の事か皆目見当がつかなかった。

「とりあえず、体育館に行ってみる?」

エリカが言った。

健太も頷いた。バスケに関する場所には間違いないだろうが・・・


体育館では二年生がクラス対抗の合唱コンクールを行っていた。

バスケのゴールは折りたたまれ、壁際に仕舞われている。

全部で四つあったが、その下を見て回っても何もなかった。

「やっぱり違うなあ」と健太が呟いた。

それにしても「源義経」ってどういう意味なんだ。

義経にまつわることに考えをめぐらしてみた。

静御前、弁慶、一ノ谷、壇ノ浦、奥州藤原氏・・・

いくら考えてもバスケとは結びつかない。数字の「7」もそうだった。

「やけに難しいんじゃないか、この問題」

「村上でも分からないなんて大吾もやるね」

エリカは楽しそうに笑った。

「ただのクソ問さ。て言うか、お前らも少しは真剣に考えろよ」

三浦大吾が作ったクイズを解くのは不快だ。しかし、解けないのはさらに不快だし、なにより野口珠緒に負けるわけにはいかない。たとえクソ問だろうと。

それにしても、まったく意味不明だな。この三つのワードは。

「部室は?」と川崎がポツリと言った。今まで黙っていた川崎が初めて口を開いた。少し遠慮があったのだろう。 以前は健太の子分的な存在だったのに、今は大吾のそれになっているのだから。

「部室?・・・そんなものがあるのかバスケ部は」

あるよ、と川崎は答えた。

「強い部活って待遇いいんだ。うちらの弱いテニス部と違って」

弱いテニス部と言われて少しカチンときたが、テニス部に部室がないのは事実だ。小さなプレハブの道具入れがあるだけだった。

「うちのバスケ部そんなに強いのか?」健太が聞いた。

「強いって言っても地区レベルの話だけど」

確か全中の地区予選、男子は五年連続突破とか聞いたけど、と川崎は言った。

「ひょっとして七年連続とか」

とエリカが言う。

それで数字の7?

なんとなくピンと来なかったが、とりあえず三人はバスケ部の部室に向かった。



『ユウトウセイ』チームの珠緒と若葉らが体育館にやって来た時、まだ他のチームが体育館の中をうろうろしていた。それを見て若葉は「やっぱり、違うか」と呟いた。

「ここじゃなさそうね」

珠緒も若葉も体育館の入口から中に入らず、そのまま出ていく。

無駄に時間を費やすべきではない。自分達は十五分のハンデを負っているのだから。

「発想を変えてみたらどうかしら」

渡り廊下を歩いている時、そう提案したのは、もう一人の『ユウトウセイ』、藤井美穂だった。

美穂の成績は上位一割圏内。秀才タイプなのだが、なにせ存在感がない。男子は、藤井美穂の事を将来忘れてしまうのではないか。卒アルを見て「これ、誰だっけ?」みたいな感じの女の子になるかもしれない。それくらい地味な女の子だった。

そんな藤井美穂の提案に、若葉は興味を持った。

「藤井さん、それどういう意味?」

「探すべきは場所じゃないんじゃないかしら」

それを聞いて、珠緒は、そっかと言った。

「場所じゃなく、人」

「バスケ部の男子で義経という名前」

確かに発想はいいと若葉は思ったが、義経なんて名前の男子はいるのだろうか?

でも探してみないことにはわからない。

A組のバスケ部の男子は確か吉川だった。吉川はどこに行ったのだろうか。そういえばクラスの男子はあまり見かけない。体育館にいたのはすべて女子生徒のチームばかりだった。

校内中を見て回ったがA組の男子生徒はなかなか見つからなかった。


しばらくして、ようやく男子を見つけた。

運動場の隅でミニサッカーをやっていた。

「あんた達」

と珠緒が声を張り上げた。

「真面目に謎解きゲームやりなさいよ」

男子はボールを止めない。こちらをチラリと見て、薄笑いを浮かべながらサッカーをしていた。

「ちょっと」と珠緒は怒り心頭な様子だった。

「勝手にこんな事していいわけ」

相葉という男子生徒が、珠緒を見て「だってつまんねーし」と言った。

「せっかく三浦くんが一生懸命作ってくれたのに」

「三浦、三浦って・・・お前らだけじゃん。楽しんでるの」

「やれば楽しいよ」と若葉が言った。

「サッカーの方が楽しい」と相葉がボールを蹴り返して言った。

珠緒はさらに文句を言ったが、完全に無視された。

「もういい、行こ」と若葉は珠緒を促した。

A組の男子が三浦大吾の事を本音ではどう思っているのかよくわかった。

面白くないのだ。新リーダーとして認めていない。

認めていないのはいいが、じゃあ代わりにクラスのまとめ役をこの中から出そうとするかと言えば、それもしない。

村上健太に学級委員を押し付けた時も同じだった。

非協力的な態度を示すだけの無責任な連中。

「後で木崎に報告しとけばいいよ。だからもうよそう」と珠緒を諭した。

若葉も気分が悪かった。

若葉達は、ゴールキーパーをしているノッポの吉川に近づいた。

吉川は罰の悪そうな顔を見せた。

「みんながサッカーやろうというから」

「まあ、いいわ。それよりバスケ部にヨシツネという名前の子いる?」

吉川は首を横に振った。

「いない」

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