第9話
野口珠緒は朝シャンをした後、洗面台の前に立ち、鏡を見ながら髪を乾かしていた。
カールドライヤーで前髪からサイドにかけて軽くウェーブをつける。
本当は肩まで伸ばし、流行のシャギーを入れたかった。でも校則があるのでそれは出来ない。高校に入ったら絶対に伸ばすぞと思った。
心ときめく、こんなハイテンションで身支度をすることなんてあっただろうか。
彼女は今、毎日、学校に行くのが楽しくてしょうがない。
なんたって学校に行けば、三浦大吾に会えるのだ。たとえ喋らなくても、彼の顔を見ているだけで幸せな気分になった。
彼とは学級委員として二人きりで行動する事が増えた。村上とやっていた時はただの面倒な雑務と思えたことも、相手が変わった途端やりがいのある仕事に変わった。
誰とやるかでここまで違うものなのか。
今までずっと学級委員をやらされてきて、いい加減辟易していたが、今ほど学級委員をやっていて良かったと思った事はなかった。
最初に大吾を見た時は、ちょっとカッコいいなぐらいにしか思っていなかった。
しかし、一言二言、会話を交わすごとに、彼に惹かれていく自分がいた。今までこんな感じで誰かを好きになったことはなかった。彼の事を一日中考えて過ごす自分。
九月の実力テストは二桁に落ちたが、ある意味当然だった。
勉強に身が入らない。勉強どころか好きな歌番組もどうでもよくなった。ご飯も喉を通らない時がある。
彼の事を好きになればなるほど、大吾を独り占めしたい気持ちが強くなっていく。
二人だけの世界で、大吾と過ごしたい。無人島で彼と二人だけだったらどんなにいいだろうか。でもそれは夢の話。現実には大吾の周りには多くの女子が群がっている。
特に、あの新海エリカだ。クラスでは大吾の後を、まるで金魚の糞のようについてまわる。
なるべく見ないようにしているが、どうしても目が行ってしまう。エリカが大吾にしなだれかかるようにくっ付いているのを見ると、胸に氷のナイフが突き刺さったような痛みを感じる。これが嫉妬、というものか。
私が恋にうつつを抜かしたり嫉妬心を抱いたりすることなんてないと思っていたけれど。
エリカに呼び出され「あんたには村上がお似合いだ」と言われた時は、本当に頭に来た。思い出すだけでも虫唾が走る。
いや、エリカの事なんか忘れよう。
ともかく、今日は邪魔者がいない。
二人だけで大吾と過ごせるのだ。しかも彼の部屋で。
珠緒は入念に前髪を整えると、小さく「よし」と声を出して洗面所を出た。
珠緒はドキドキしながら中央公園のベンチに座って大吾を待っていた。
家はこの辺りと言っていたけど、何処だろうか。
日曜日の公園では子供達が走り回っている。砂場でままごとをやっている五歳ぐらいの女の子とその前に正座している同い年ぐらいの男の子。男の子は女の子の言うがままだ。微笑ましい。珠緒は自分が幼稚園児の時、同時に二人の男の子を好きになった事を思い出した。そしてその二人ともに「好き」と告白して両人の頬にキスをしたのだ。
今から思えばすごい事をしたものだ。幼稚園児に戻り、自分の感情のまま行動出来たらどんなにいいだろうか。
五分ほど待っていると、大吾が笑顔で近づいてきた。
薄い色のデニムに真っ白なTシャツ姿。
「待たせたかな」
珠緒は首を振った。
「家はすぐそこ」大吾は来た方向を指さした。
「家の人はいるの?」
「父親はいない。おふくろは仕事。でもばあちゃんがいる」
「おばあさん?」
「今住んでいる家、おふくろの実家」
「そう」
大吾は、はしゃぎ回っている小さな子供達を見た。
「昔、ここでいとこと遊んだ」
珠緒は、ひょっとしたら自分と大吾はここで遭遇していたかもしれないと思った。あのキスした二人の男の子のうち、一人が大吾だったら良かったのに。
お邪魔します、と言って大吾の家に入った。
外壁が黒塗りの、とても古そうな日本家屋だった。
挨拶しても返事はない。
ばあちゃん、耳が遠いからと大吾は笑った。奥の部屋からテレビが大音量で流れている。だったら聞こえなくても仕方ない。
大吾の部屋は二階だった。
古い階段は、足を乗せる度にミシッ、という音が鳴る。足場の不安定な感覚が今の珠緒の心の状態とシンクロした。ドキドキしてきた。
大吾の部屋はベッドと勉強机と小さなガラスのテーブルがあるだけの、殺風景な部屋だった。アイドルやロックスターのポスターも貼ってない。漫画やCDも見当たらない。ゲームの類もなかった。
唯一目立ったのは、勉強机の上にポツンと置かれたパソコンだけだった。
毎日、この何もない部屋で大吾はどう時間を過ごしているのだろうかと珠緒は想像を巡らせた。
「この部屋、エアコンもないんだ」
いったん階下に降りた大吾がお盆に炭酸飲料とスナック菓子をのせて、戻って来た。
そんなに暑くはないからと珠緒は言った。九月の残暑はあるが真夏の暑さとは違う。不快さはないが、珠緒はじっとりと汗をかいていた。それは気温とは関係ないものだった。
「じゃあ、とっとと決めちゃおうか」
大吾はそう言って、担任の木崎から貰ったプリントをガラスのテーブルに出した。
文化祭のクラスの出し物を二人で決めろと言われて、大吾の家でやる事にしたのだった。
プリントを出されて、珠緒は頭のスイッチをひとまず切り替えた。
学級委員としての責任感は持っている。浮ついた気分はいったん脇において、やるべき事はやっておかないといけない。
珠緒はプリントアウトされた過去数年分のクラスの出し物を眺めて、どれもぱっとしないなと思った。・・・漫画図書館、ダンスコンテスト、 三英傑のコスプレ、大縄跳び記録挑戦、我が町の史跡研究、ディベート大会、クラッシック鑑賞会・・・
「いまいちだね」
大吾が言った。
「そうね」
「何かいいアイディアある?」彼が尋ねた。
木崎は、全員が参加できて、楽しめて意義があることがいいと話していたが、この一覧にそんなものがあるのだろうか。
「ごめん。特に思い付かない。三浦くんは?」
色々考えてみたけど、大吾はそう言って机の上のパソコンに視線を向けた。
「ゲームなんかどうかな」
「ゲーム?」
「うん」
「ゼルダやドラクエみたいな?」
ゲームと聞いて、珠緒はファミコンを思い浮かべた。
違うよ、と大吾は笑みを作った。
「オリエンテーリングって知ってる?」
「キャンプなんかでやるやつ?」
「そう。地図とコンパスを使って通過ポイントを順にクリアしてゴールするやつ」
「ただし、ゲームでは地図もコンパスも使わない。使うのは頭脳だけ」
大吾が考えているゲームは「謎解きゲーム」だった。
三人一組になってゲームをする。
最初の問題は全員に出す。
例えば、こんな感じだ。
①数学の方程式、②英語の問題、③歴史の問題。
そしてそれぞれの答えが、「4。音楽室。ベートーベン」となるようにする。
この三つのヒントを元に次の場所に向かう。
この場合は『校舎の四階にある音楽室のベートーベンの肖像画』
そこに辿り着くと、ベートーベンの肖像画の裏に次の問題が隠されている。
その問題を解いて、移動するとまた問題があり、解くとさらに次の場所に行ける。
最終問題のゴールの場所に、一番早く辿り着いたチームが優勝するというゲーム。
「ゴール地点には僕と君がいる。なにせクイズの主催者だからね」
「面白そう」と珠緒は興味を持った。
「優勝のご褒美は何?」
「そうだな。・・・次の席替え、自分の好きな場所選べるっていうのはどう?」
「それ最高」
と珠緒は言った。
これなら木崎の出した条件も満たす。全員参加で楽しめて意義があるという。
ただ、そのゲーム、一つだけ珠緒には不満があった。
「悪いけど三浦くん。私もそのゲームに参加したい」
「いいよ、じゃあ主催者は僕一人だ」
大吾は楽しそうに言った。
「ゲームの名前は?」
彼はあらかじめ決めていたようだ。
「謎解きコールドゲーム」
コールドゲームとは野球なんかでよく使われる。点差がついた時や雨でやれなくなった時にコールドゲームとなる。
コールドゲームのコールドは『冷たい/COLD』ではない。
CALLED、宣言したという意味だった。審判の宣言、すなわち彼の一存で終了させたゲームの事、と大吾は説明した。
「つまり、三浦くんがすべて支配しているゲームということね」
珠緒が言うと、大吾はにやりとした。
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