第8話
「結局決まらなかったか」
担任の木崎は頭を掻きながら、座っている机の引き出しをあけて、何かを探した。
そして、これだなと言って一枚のプリントを学級委員二人に差し出した。
「過去の文化祭の出し物が列挙してある。これを参考にしてお前ら二人で決めろ」
「いいんですか」
と新しい学級委員である三浦大吾が確かめた。
「しょうがない。もう来週から準備しないと間に合わないだろうから」
三浦大吾と野口珠緒が一礼をして、教室を出ていく。
それを見届けた後、木崎はスボンに入っているタバコをまさぐり出し、一本口に咥えた。
百円ライターで火をつけようとしたが、木崎は何かを思い出したように顔を上げた。
タバコを毛嫌いする若い音楽教諭がいないのを確認したのだ。
いないのを確かめて、タバコに火をつけ、強く紫煙を吸い込んで、ふぅーと吐き出した。
最近はタバコ一本吸うのにも気を使う。
この間の職員会議で、その音楽教諭が提案したのだった。
職員室をすべて禁煙にしましょうと。
「欧米ではタバコを公共の場で吸えない処が増えています。吸わない人がタバコの副流煙を吸うリスクもあります。吸わない人が肺がんになるなんて納得行きません」
教頭は前向きに検討すると答えた。
男性教諭の多くはタバコを吸うが、若い教諭の中には吸わない者もいる。今のところ、まだ全面禁煙にはせず、分煙ということで窓際に喫煙コーナーを設けるようだ。いずれ、吸えなくなるかもしれない。
来年はもうミレニアムだ。色んな事が変わっていくのだろうな、と木崎は思った。
せめて自分が定年退職するまでは大きく変わってほしくない。
「それも無理か」と木崎は呟いた。
何が無理なんですか?
後ろにいた新任教師が聞いてきた。A組、副担任の池田だ。
「いや、なんでもない」
「なんかお疲れですね」
「まあな」
年を取る度に、体中にガタが来やがる。膝、腰、首の関節の痛みがひどくなった。体力だけは自信があったが、あれも昔取ったなんたらになったな。
「そういや、お前いくつだ?」
池田は少し変わった経歴で、いったん社会人になってから教育大学に入学したと聞いた。
「三十三です」
「となると二十年前は中学生か」
「そうなりますね」
「あの頃の中学はどうだった?」
池田は苦笑した。
「ひどかったですね」
そうだな、と木崎は同意した。
七十年代後半の地方の中学校はひどく荒れていた。
校内暴力全盛時代。
リーゼントに長ラン姿の不良が各クラスに必ず二、三人はいて、やつらがクラスを引っ搔き回していた。
いや、引っ掻き回すなんて生易しいものじゃない。
教師がやつらに舐められたら終わりだ。授業が崩壊する。
現に気弱な教諭がどれほど辞めていったことか。
対抗するには「力」しかない。
木崎は武闘派教師として、数えきれないぐらい不良を殴ってきた。そうしなければ学校生活が成立しなかったのだ。
やるか、やられるか、だ。
木崎は不良達とやりあう時、容赦はしない。手加減などしたらこっちが痛手を負う。
粋がっても相手はまだ体の出来ていない中学生。三十代半ばで柔道をやっていた木崎に圧倒的に分があった。
ただ、正直木崎も怖くなかったわけではない。向こうも本気だ。
不良達は虚勢を張って、木崎に悪態をつく。
「このクソ教師が」
木崎は「かかってこい」と声を張り上げた。野太い木崎の声が教室を通り抜けて、廊下にまで響き渡る。
木崎は知っていた。不良達が震えていた事を。震えながら突進してきたのだった。
木崎は相手の胸倉を左で掴むと、右手で拳を握り、ボディーブローを数発かました。そして相手が激痛で背中を丸めた瞬間に投げ飛ばした。
不良の体は宙を舞い、教室の壁に叩きつけられる。
見ていた女子生徒は泣き出し、男子生徒は青ざめていた。
その後、クラスは平穏になる。
誰が、この教室で一番力があるか誇示し、理解させる必要があった。
まるで動物の世界だ。だが、それ以外に解決法などなかった。
そうやって校内暴力を押さえてきた。
それがいつごろか。
八十年代後半か。
外見ではっきりとわかる不良がいなくなった。
一見、大人しい生徒ばかりになった。
そしてイジメが始まった。
それまで教師対不良の対立だったのに、対立軸が変わったのだ。生徒同士に。
木崎には見えない構図だった。
今のA組はどうだろうか。そんな子がいるようには見えないが。
一瞬、一人だけある生徒の顔が浮かんだが、木崎はすぐに「それはないな」と打ち消した。
「なあ、うちのクラスにイジメなんかないよな」
副担の池田に尋ねた。
「ないと思いますけど。わかりませんね。今の子は先生に相談なんかしませんから」
そうだな、と木崎は吸っていたタバコを灰皿に揉み消した。
対立軸は変わっても、けっして教師は生徒と同じ側にいるわけじゃない。
そんなことは百も承知だ。
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