第4話

夏の大会はあっけなく終わった。


若葉のソフトボールチームは二回戦で敗退した。

正樹のチームも三回戦で負けてしまった。

相手は前年地区優勝の強豪校だった。でもコールド負けではなかった。

若葉もその試合を観戦していた。

中盤まで両校とも得点が入らず、先制したのはワンチャンスをものにした我が校だったが、終盤のエラーをきっかけに逆転された。

最終的にスコアでは差がついたが、善戦と言えなくもなかった。

正樹は一安打とフォアボール。守備ではダブルプレーを決めた。

試合が終わった後、正樹は若葉に言った。

「負けるとわかってたけど、わずかでも勝機は芽生えるものだな」

「そうよ、相手がどんなに強くても、同じ中学生なんだから」

だな、と正樹は頷いた。ひょっとして、野球を続けるつもりかもしれないと若葉は期待した。



部活が終わると、多くの生徒は塾通いを始めた。

面白い事に、ガリ勉を小馬鹿にしていた『キャバ嬢』達が真剣に塾通いし始めたことだった。彼女達は公立高校に入るだけの学力はなく、金さえ払えば入学出来る私立志望なのだが、それでも不安はあったのだろう。

あの新海エリカが『ユウトウセイ』の珠緒に勉強方法について相談したと聞いて、若葉は驚いた。

「返答に困っちゃった」

と珠緒は頭を掻いた。

「だって私、塾にも行ってないし。特別な何かをしてるわけでもないから」

玉緒のような生徒を本当の優等生というのだろう。

授業をよく聞き、自宅で予習と復習をする。それだけだ。シンプルだが実は誰もそれが出来ない。特に大切なのは予習だと玉緒は教えてくれた。

「わかんなくてもいいのよ。重要なのは自分の頭で考えてみること。そうすると授業でそれを先生が教えてくれるから」

どうやらエリカにもその事を言ったようだが、彼女はもっと特別なやり方があるはずだと言ってしつこく聞いてきたらしい。玉緒の成績は学年で一桁なのだから、エリカがそう思うのも無理はないかなと若葉は思った。

「最後はケチって新海さんに言われた」

玉緒は可愛らしく舌を出した。

「気にすることないよ」と若葉は言った。そんなのほっとけばいいと。

若葉は成績については、とりあえず百番以内が目標だった。二百五十人いて、その位置にいれば、どこかの公立高校に入れる。勉強はソフトほど真剣に取り組めなかった。


それでも若葉も人並には学習塾に通っていた。

進学塾ではない。おじいちゃんの元教師が自宅の一室を使ってやっている町塾だ。

そこで宿題や授業の予習をやっていた。家では集中して勉強できないので、塾に通って勉強時間を確保しているだけという感じだった。


塾は水曜日と土曜日の夜六時半から八時まで。部活が終わって軽くおやつを食べてから、自転車を漕ぐ。夕食は塾が終わってから。

帰りは暗い夜道をひとりで帰るので、多少は怖さがあった。

塾の女の子にはみんな車の送り迎えがあったが、若葉はそういうのが煩わしい。一人なら寄り道も出来るし、なによりも自転車で走る夏の夜は気持ちがいい。


その日も、塾が終わって、若葉は自転車で自宅に向かっていた。

時刻は夜の八時過ぎ。家に帰って食事を取り、お風呂に入ると九時を回る。

その後、一週間分録画しておいた好きなテレビ番組を見るのが土曜日のルーティーンだった。

土曜日は徹底的に夜更かしをすると決めている。

そのための準備として夜食を仕入れておかなければいけない。

帰り道にコンビニがあるので、そこに寄って行こうと若葉は考えた。

ゆっくりと自転車のペダルを漕ぐ。

豊石市は市街地から少し外れると、のどかな田舎風景が広がっている。市を斜めに横切るように大きな川が流れ、河川敷が広がっていた。その川に沿って自転車を走らせる。

湿気を含む、どこか艶めかしい夜の空気が若葉の頬や首筋を撫でた。

蛙の鳴き声は相変わらず五月蠅いが、河川敷の草むらからは初秋を告げる虫の音が聞こえている。


コンビニの駐車場に入り、自転車を店の前に止めて、店内に入った。

店内では三人組の若者がイートインコーナーで喋っていた。

雑誌のコーナーでは二人が立ち読み。

その内の一人を見て、若葉はあれっ、と思った。

三浦大吾だった。

家が近くなのだろうか。

声をかけようか迷ったが、そのまま気付かないフリをしようと決めた。

学校でもあまり会話を交わさないのに、こんな場所で今話すのは適切ではないような気がしたのだ。

そっと、大吾に気づかれないように若葉は店内を移動し、スナック菓子のある棚に向かった。

彼は雑誌コーナーで何かを読んでいるようだった。

顔を上げない限り、若葉に気付くことはない。

手早くポップコーンとアップルパイ、それに炭酸飲料を手に取ると、すぐに会計を済ませた。

しかし店を出て、二、三歩、足を踏み出したところで若葉は立ち止まった。

自転車をとめている場所のすぐ向かいが、ガラス壁を挟んで雑誌コーナーだった。

大吾が顔を上げれば、必ず見つかってしまう。

このまま自転車を置いて帰ろうか。家までは歩いてもたかが十分の距離だ。

数秒考えて、若葉は、小さく自分を笑った。

何故、こそこそする必要がある?

大吾が顔を上げたら、軽く挨拶すればいいだけじゃない。

若葉は自転車の方に向かってスタスタと歩き出し、前籠に夜食を入れると、足でスタンドを蹴った。

そして顔を上げた。

ガラス越しに大吾と目が合った。

彼は目を見開き、一瞬当惑したような表情を見せたが、すぐに微笑んでみせた。


「三浦くん、家はこの近くなの?」

大吾がやあ、と軽く手を挙げて店から出てきたので、五分ほど話をした。

「そうでもないかな。中央公園の目の前」

上下スポーツウェアというラフな恰好だったので、てっきり近所だと若葉は思った。

中央公園はここから三キロは離れている。

「ちょっと夜間トレーニング。昼間は暑いから」

彼は肘を曲げて、ランニングをしていたというジェスチャーをしてみせた。

「鮎川さんは?」

「私は塾の帰り」

「そうか。受験生だったね」

「三浦くんもでしょ」

若葉は笑った。

大吾も笑ったが、それは明らかに愛想笑いだった。

「そう言えば、惜しかったね。テニス」

村上健太とペアを組んだダブルスで、東海地区予選の決勝まで進んだという話を若葉は耳に挟んだ。

「まあね」と大吾は小さく頷く。

予選突破したら我が校としては偉業だ。やはりテニスの腕は相当のようだ。

若葉はテニスの試合の事を色々聞いてみたが、大吾の反応は薄かった。むしろ、あまり喋りたくないように見えた。

何故だろう?と思い尋ねた。

「三浦くんは高校でもテニスをやるよね」

大吾は「テニス?」と答えた。

なんでそんな事を尋ねるんだという感じだった。

「テニスはもうやらないかな」

「そうなんだ」

「なんか飽きちゃったんだよね」

じゃあ、何のトレーニングを夜間にしているのだろうか。

大吾は右肩に細長いバックを担いでいた。

てっきりテニスラケットでも入っているのかと思ったが、どうやら違うようだ。

若葉の視線が右肩のバックに注がれているのに気付いて、大吾はバックを下ろした。

「ああ、これ?」

大吾はバックを開けた。

予想外の物が出てきた。それは中学生にはまったく不釣り合いな代物だった。

ゴルフクラブだった。

「今はこれさ」

そう言って、ゆっくりとスイングして見せた。

「ゴルフなんかやるの?」

若葉は少し驚いた。

「あっ、鮎川さん、バカにしてる。おじさんのやるものだって」

そんなことないけど、と若葉は言ったが、実はその通りだった。中学生でゴルフをしている子を若葉は知らない。この辺りじゃいないけど、東京ならいるんだろうなと若葉は思った。

「ゴルフは金を稼げるからね」

と大吾は冗談っぽく言った。

大吾にゴルフはミスマッチな感じがした。

それに、この辺の高校にゴルフ部があるところなんてあったかな?

「じゃ、僕ランニングしながら帰るから」

大吾はそう言うとゴルフバックを肩に担いだまま走り出した。


コンビニへの寄り道と大吾とのお喋りで、いつもより三十分遅れて、若葉は帰宅した。

「遅いじゃない」と母は言って、夕飯を温め直してくれた。

キッチンのテレビがつけっ放しだった。

めずらしく、母は待っていてくれたようだ。

いつもなら、「自分で温めて」と言って、居間で煎餅を食べながら刑事ドラマを見ているのに。若葉の帰りが少し遅かったので、心配していたのかもしれない。

ちょうどニュースをやっていた。

母がテレビに釘付けになっている。

例の事件報道だった。今は朝から晩までこのニュースばかりやっている。

「ひどい事件ねえ」

母は顔を顰めた。

関東地方で起きた、連続幼女誘拐殺人事件。

世間を震撼させた残虐な犯行と不可解な動機。そしてマスコミを巻き込んだ劇場型犯罪に日本中の関心が集まっていた。

八月にその犯人の男が逮捕されたばかりだった。

その男の姿をテレビ越しに見た時、若葉も言いようのない薄気味悪さを抱いた。

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